大学はもう必要ないのか、生成AIが問う学びの未来
第211回オンラインシンポレポート・前半

活動報告|レポート

2026.10.2 Fri
大学はもう必要ないのか、生成AIが問う学びの未来</br>第211回オンラインシンポレポート・前半

概要

超教育協会は2026年7月24日、中央大学法学部政治学科 教授の山崎 望氏を招いて、「生成AI時代に大学は何を残すべきか」と題したオンラインシンポジウムを開催した。

 

シンポジウムの前半では、山崎氏は大学がこれまで担ってきた機能と、生成AI時代の大学の未来を示す4つのシナリオ、今後の変革の方向性について講演し、後半は超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。その前半の模様を紹介する。

 

>> 後半のレポートはこちら

 

「生成AI時代に大学は何を残すべきか」

■日時:2026年7月24日(金) 12時~12時55分

■講演:山崎 望氏
中央大学法学部政治学科 教授

■ファシリテーター:石戸 奈々子
超教育協会理事長

 

山崎氏は、約30分の講演において、大学が担ってきた4つの機能と、今後、大学に起き得る変革について話した。主な講演内容は以下のとおり。

これまで大学が担ってきた大学特有の機能とは

【山崎氏】

初めに問題提起をします。

 

▲ スライド1・大学教育に対する
問題提起

 

大学で教鞭をとっている立場から痛感しているのは、生成AIの普及により、大学教育の存在意義が問われているということです。待ったなしで問われています。また、学生も研究者も、課題作成・学習・研究にAIを活用し始めています。論文を書くときなどに多くの学生がAIを使っているのが現状です。とりわけ学部生はAIが日常生活の一部で、AIとは切っても切れない関係性です。大学においても同様で、密接にAIに関わっている状態だと認識しています。

 

こうした状況の中、大学にそもそも意味があるのか、AIがあれば大学という組織、制度は必要ないのではないかという議論も散見されています。「大学はAIに代替されるのではないか」という問いが生じているのです。そこで、大学が置かれているポジションや、大学には何が必要なのかについて考えていきます。

 

大学が担ってきた機能は、大きく4つあります。まずは知識の伝達です。

 

▲ スライド2・大学が担ってきた
機能の1つ目は知識の伝達

 

具体的には、教材を提示したり、課題を学生に与えたり、採点したり、質問に対応し議論をすることなどです。AIによってこの機能の大半は代替されつつありますし、可能にもなっています。望ましい教材を提示し、レポート課題や試験問題を作成することは、人間よりAIの方がより巧みにできます。採点についても、細かい部分を注文して、プロンプトに入れて配点などを決めてしまえば、例えば受講生500名のテストも1日かからずに採点できます。また学生一人ひとりに対し、どうするとより理解が深まるか、次はこういった本を読むべきなどアドバイスも可能です。これを教員がやるとなるとマンパワーが必要になって、実現は不可能です。仮にAIによるアドバイスで構いませんと学生や保護者が合意したならば、AIによる非常にきめ細かい知識を伝達する教育、さらにそこから先のアドバイスまで可能になります。

 

となると、この知識の伝達という側面に関しては、大学が持っている役割が相対的に弱まっていることになります。もともと大学とは知識を教える場所であり、同時に知識をベースに自ら問いを立てる力を育てる場、そして他人と議論して判断力を鍛える場の二つの役割があると考えた場合、前者の知識を与えることに関しては、大学はやらなくても良いのではないかという議論が出てきます。それには説得力があると思います。

 

大学の機能の2つ目は、教育の後に与える学位・資格の認証です。

 

▲ スライド3・大学の機能の2つ目は
学位の認証

 

大学は、学士号や修士号を与えることによって学生個人の能力を証明します。多くの企業で新卒で採用する時などは、そういった大学卒業の資格が要件にされています。つまり学位が何かしらの能力の担保になっており、能力を証明しているという見方が日本社会に根付いてきたということです。

 

ただ、それも徐々に変わりつつあります。企業によっては、実務能力やポートフォリオを重視する動きも強くなっています。そうすると大学の学位が本当に必要なのか疑問になります。それよりも、本人がその企業でどういう能力を発揮できるかの方が重要ではないかということです。

 

例えば、企業が人材を求めた場合、面接や試験やインターンなどで企業とマッチしているかを見抜こうとします。しかし、本当にマッチするのかどうか簡単には分かりません。学位を持っていない、義務教育修了以外は何も持っていないとしても、その企業で働く能力としてはとてつもなく高い能力を発揮できるというケースも想定できます。現実に、そういう方々も存在しています。つまり、学位がそもそも必要なのかも疑問です。大学で身に付けた内容と同じものを、AIによって取得できているならば、本当に大学という制度が必要なのかという議論も出てきます。

 

3つ目は研究です。

 

▲ スライド4・大学の機能の3つ目は研究

 

私自身も研究者の一人として、さまざまな研究のあらゆる側面においてAIが非常に大きな力を発揮していることを感じています。もちろん、大学の図書館や研究室の存在は重要で大切ですが、AIによってかなりの部分をカバーしてもらえるので、研究環境も激変していると思います。自分では全く思いつかなかったアイデアやデータ分析などが、AIとの対話、いわゆる壁打ちによって加速度的に進展するという現象はすでに起きています。

 

特に医学や数学の分野では、世界的には、さまざまな学会で論文の投稿数が激増しています。なぜ増えたかというと、もちろん世界中の研究者が勤勉になったという仮説もあり得ると思いますが、実際にはAIの力で凄まじい勢いで研究が加速しているのではないかと感じています。

 

ただ、困った問題も同時に発生しています。投稿された論文を査読する人、判断する人のマンパワーが追いつかないという問題です。どんどん論文が量産されてしまい、それを判断できる人間がいなくなっているということです。人ではなくAIに適切な論文か判断させるということが、オフィシャルではない形で実施されているということも耳にします。

 

マンパワーが追いつかなくなって、画期的な論文が誰も読まないまま積み重ねられていくのは問題です。そう考えると、人が判断しないでAIが論文の良し悪しを判断する時代もそう遠くないかと感じています。いずれにしても、研究が大学の中でなければできないという状況は減っています。

 

4つ目が大学特有の機能ということで、社会化・ネットワーク形成です。

 

▲ スライド5・大学の機能の4つ目は
社会化・ネットワーク形成

 

人間関係や出会いを作る場所、偶然性の経験などです。そこには身体性を伴う学びがあります。そういったものはAIではできません。キャンパスの中で友人と会うとか、誰かと知り合いになって友人になるとか、そこから恋愛に発展するなど、そういった出会いに大学の意義があるのではないかという議論もあります。確かに、AIで質疑応答や対話もできますが、それを「AIとの出会い」と呼ぶのかは微妙なところです。身体性がパソコンなどのデバイスでは得られないというのは、確かにその通りだと思います。

 

つまり友人を作ったりパートナーを作ったり、もしくは大学の教員と知り合って色々な議論を交わしたり、学問以外の部分でも新しい価値観を学ぶことができる場所として、大学の機能は残っていくと思います。そして大学でできた友人関係は卒業後も続いていく可能性があります。

 

ただ、友人を作るとか誰かと出会うなどは、大学以外の場所でも可能です。街中でも可能でしょうし、教育機関でなくても友人はできるでしょう。アルバイト先で友人がたくさんできたという話も聞きます。なのでこの機能は、大学に特化した機能ではない、大学の占有物ではないと思います。

大学の「大倒産時代」もあり得る大学の未来を示す4つのシナリオ

大学の機能について考えてきましたが、その上で今後のシナリオはこう予測されます。ひとつは、大学がどんどん潰れていくということです。

 

▲ スライド6・大学は今後
どのように変わっていくか

 

AIで様々な学習やスキル習得が可能であるなら、そもそも大学にお金を払って行く必要があるのかという問いかけは当然、出てくると思います。少子化とも相俟って大学へ行く人が減り、大学不要論が生まれてくる可能性は高いと考えています。例えば、知識の伝達で学びの大半が済んでしまうから大学には不要と言われる学部や専門分野が出てきたり、逆に知識の習得だけでは難しい側面が強い分野では、学部や学科単位での生き残りが加速化されるかもしれません。私が研究している政治学も10年後、20年後に日本の大学で残っているのか分かりません。大学自体はあるかもしれませんが、政治学や経済学を学ぶ場所が残っているかについては、自明ではないという認識を持っています。

 

仮に大学でそういった分野を学ぶことが少なくなっていくと、受験のあり方や進学の仕方、高校での学びなどが大きく変わっていく可能性があると思います。ただ、AIが代替することで経済的に負荷がかからないのであれば、経済的に恵まれていない人にとってはチャンスと言えます。

 

私自身、30年近く続けてきた研究について、AIと議論するとかなり高度な議論が展開できますし、建設的な研究成果に結び付くなど、研究が加速していると感じます。実際、論文が採択されることもあります。一方であまり知識がない分野に関してはAIを使っても、知識の習得すら覚束ないことが多々、あります。私は数学が非常に苦手で、小学校の算数も苦手ですが、AIを使って中学受験の問題を学習しようとしても、なかなか解くことができないです。つまり、AIを使っても、ベースになる知識がないと一気に伸びることはないということです。

 

さらに、AIが日本のあらゆる階層の人に行き渡っているかというと、そうではないです。年齢でも差があると思います。高い年齢層の方でどれだけAIを使いこなせている方がいるか分かりません。パソコンなどのデバイスに接続できるだけの金銭的、時間的な余裕がない方がどれだけAIを使えるかというと疑問です。そういった意味で、ある種の格差を拡大してしまう側面もあると思います。まとめると、大学が大倒産、もしくは再編されるような時代が訪れる可能性は高いということです。もしくは一部の専門領域、とりわけ人文社会系の一部が消えていく、縮小していく可能性はあると思います。

 

2つ目に考えられるのは、AIではできないことという発想で考えた場合、体験や人脈の形成に重きが置かれるということです。多くの人がなかなかできないような体験、例えばテック産業の技術者と何かを開発する経験を共にする、なかなか会えないような世界の指導者と直接対話するような機会を作る、高名な研究者の研究室に直接行ってお話するなどの体験を、大学が枠組みを作って提供するようになります。

 

人脈の形成では、富裕層で知的好奇心が高く、様々な関心を持っている人同士を繋ぐ場所、エリート候補の社交場を大学が提供します。つまり、知識の伝達はAIにやらせます。大学ではそれをやらず、知的に高度な人間同士が話す場所、ある種の高級サロンのようなイメージの場所を提供するように変化していくことも想定されると思います。

生成AIがこれまでの大学の多くの主要機能を揺さぶっている状況

そして3つ目は、企業と大学の一体化です。

 

▲ スライド7・企業と大学の一体化や
大学の刷新が進むと予測

 

これは現在、進んでいるところだと思います。まだ特定分野に限定されていますが、顕著なのは自然科学分野です。企業と密接に産学連携を行って、その企業で将来何かイノベーションを起こしてくれるような人材を育てる。そのために企業が大学にお金を出すし、大学もそういった資金を受け取ることによって研究開発を進めていって、その企業に人材を送り込んでいきます。学生をその企業の社員にすべく、大学も働きかけていくということは、もうすでに起きていますし、加速化していくと思います。ただ、学問の自由や幅広い進路選択が結果として阻まれてしまうという問題が懸念されます。

 

もしくは、現時点では社会的な需要が高いと思われていないような学問分野が、大きい災害など危機が起きた時に非常に大きな意味を持つこともあり得るかもしれないと考えると、企業と大学の一体化も企業の要請としてはよく分かるのですが、諸手を挙げて賛成とはなりません。

 

4つ目が大学の刷新です。ここまで紹介した3つ目までの選択肢はややネガティブに聞こえたかもしれませんが、もう少し違う形で大学を変えていくこともできるのではないかという試みも行われています。つまり、知識を教える場所から、自らの力で新しい問いを立てる、他人と議論して判断力を鍛えていく場所へ。また、価値観が異なる人と対話することによって、自らの考えを顧みて意見を変えていき、もしくは相手の説得力が高いと思えば相手もこちらの意見に寄ってくる、そういった経験をたくさん積み重ねていくような、共同して何かを成し遂げる場所として機能するのではないかと考えます。集団で知を成し遂げる場所となり、そこに企業の方が入ってくることもあれば、大学に籍を持っていない方が入ってくることもあるでしょう。そういった場所として大学が再編していく可能性はあると思います。

 

そうなった場合、ここまではAIの領域でここから先は人間という区分は重視されなくなるでしょう。「AI vs 人間」という問いの立て方には違和感があります。それについては、ぜひとも視聴している皆さんにも議論していただきたいと思っています。「AIがあるから知識なんて軽視して良い」と言われる方もいますが、決してそうは思いません。先ほど私は数学が苦手でAIを使っても伸びなかったと話しましたが、やはり知識は重要だと思います。知識がゼロでもAIに育まれると言えるのかは慎重になるべきです。知識伝達をAIに全て投げられるのかも、やはり考えるべきかと思います。

 

また、大学は問いを立てる力や判断力を鍛える場で、それはAIにはできないという議論もありますが、私はAIにもできると思います。それよりも、そもそも大学でこういった力を育んでこれたのかを反省すべきだと考えます。日本全国の大学でそれを成し遂げてきたとは言えません。

 

最後に結論です。いずれにしろ生成AIは、大学の多くの主要機能を揺さぶっている状況だと思います。大学に残る価値を考えると、人間関係や経験重視という方向性は大きいです。ただ、それが本当に良いことなのかについては、一抹の疑問を持っています。知というものが全ての人にとって開かれているべきだと考えるならば、特定の層の人間しか得られない経験を大学という場所で囲い込むのはどうかと考えています。

 

今後の大学においては、AIと人間でどう役割分担していくかを、状況や環境に応じて考えていくべきだと思います。そういった意味では、根本的に大学というものが問い返されています。同時に、AI対オールドファッションな教え方という対立軸ではなく、大学という場所には何が求められているかというところから問い返していかないと、あまり建設的な議論にならないと考えています。

 

>> 後半へ続く

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