急速に広がる「AI認知症」への対抗策は?
第209回オンラインシンポレポート・後半

活動報告|レポート

2026.8.21 Fri
急速に広がる「AI認知症」への対抗策は?</br>第209回オンラインシンポレポート・後半

概要

超教育協会は2026617日、國學院大學観光まちづくり学部教授、東京大学名誉教授の吉見 俊哉氏を招いて「AI化する社会と教育の未来 ―AI吉見くんとの対話から見えてきたこと」と題したオンラインシンポジウムを開催した。

 

シンポジウムの前半では、吉見氏が、生成AIの進展にともない学生の間に「AI認知症」が急速に広がっている考えられる現状について講演し、後半では超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。その後半の模様を紹介する。

 

>> 前半のレポートはこちら

 

AI化する社会と教育の未来 ―AI吉見くんとの対話から見えてきたこと

■日時:2026617日(水) 12時~1255

■講演:吉見 俊哉氏
國學院大學観光まちづくり学部教授、東京大学名誉教授

■ファシリテーター:石戸 奈々子
超教育協会理事長

 

▲ 写真・ファシリテーターを務めた
超教育協会理事長の石戸 奈々子

 

シンポジウムの後半では、超教育協会の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。

絶対やってはいけないことは学生たちにAIの答えを信じさせること

石戸:「私は吉見先生の『自己との対話』をはじめ、いくつかのご著書を非常に興味深く拝読しました。AIとの対話形式だからこそ、吉見先生のお考えをより立体的に理解できたのではないかと感じています。AIからの問いにどのように応答していくのか、その過程が描かれているからこそ、吉見先生の問題意識や思考の輪郭が非常によく見えてきます。教材としても、AIとの対話には大きな可能性があると感じました。

 

また、吉見先生は生成AIの限界や課題について指摘されていますが、一方で私は、AIは単に答えを出すための道具ではなく、自分の考えを言語化し、問い直し、思考を深めるための対話相手にもなり得るのではないかと感じました。

 

さらに、AIを使いこなすためには、人間側に俯瞰的な『知の地図』が必要だとも感じました。吉見先生は、大学論、都市論、社会学、メディア論など、長年にわたる知の蓄積を背景にAIと対話されているからこそ、そのやり取りが豊かな思考の展開につながっているのだと思います。AI時代における知性のあり方を示す、非常に示唆に富んだ一冊だと感じました。

 

吉見先生は『AIは思考を奪う』とおっしゃっていますが、一方で、使い方次第では、学習過程にある学生の思考を可視化したり、自らの考えを深めたりするための教材としても有効なのではないかと感じます。こうした教育におけるAIの可能性について、吉見先生はどのようにお考えでしょうか」

 

吉見氏:AIの使い方という観点から、『絶対にやってはいけないこと』があります。それは、学生にAIの答えを信じさせることです。つまり、AIが出したアウトプットを鵜呑みにさせるような使い方は根本的に間違っています。それだけは、絶対にやってはいけません。重要なのは、AIが出したアウトプットを疑う姿勢を育てる教育を、どのように組み立てるかということです。

 

私の書籍を読んだ方から、『吉見先生はニコニコしていながら、こんなに厳しい方だったのですね。AI吉見くんが本当にかわいそうになりました』と言われたことがあります。企業に吉見俊哉と『AI吉見くん』がいたら、出世するのは間違いなく『AI吉見くん』でしょう。吉見俊哉のほうは非常に意地悪で、わざと引っ掛けています。AIにこう質問すればこう答えるだろう、その答えをこう批判しようと考えながら、あえてたくさん罠を仕掛けています。もちろん、人間の学生や他者に対してそのようなことをしてはいけません。アカデミック・ハラスメントで訴えられてしまいます。

 

あるシンポジウムでこの話をした際、『吉見先生は鉄腕アトムには人権がないとお考えですか』と質問されました。私は『はい。鉄腕アトムに人権はありません。機械です』と答えました。私は、AIやロボットが人格を持つとは考えていません。あくまでも機械です。人間をいじめてはいけませんが、AIはいじめてもよい、そのように考えています。

 

重要なのは、AIに従ってはいけないということです。人間は人間である以上、AIに従ってはいけません。AIと対抗し、AIと衝突し、AIを批判し、斜に構え、疑うことのできる知性を私たちが持てるかどうかが問われています。そのような知性を育てるために、AIをどう活用するかが重要なのです。AIを上手に使いこなし、良い答えを出させ、それをそのまま信じるような教育には、私は反対です」

 

石戸:「吉見先生は『AI認知症』という言葉を使われています。非常にインパクトのある言葉ですが、その最も本質的な症状とはどのようなものだとお考えでしょうか」

 

吉見氏:「認知症は単なる物忘れとは違います。自分が忘れていること自体を忘れてしまい、その自覚がなくなる。つまり、忘れたという記憶そのものが失われることが認知症です。認知症であることを認知できない状態とも言えます。

 

AI認知症も同じです。うまく考えられなくなること自体は問題ではありません。しかし、自分が考えられなくなっていることを、メタのレベルで認識できなくなること、それがAI認知症です。AIは答えを出してくれますし、使いこなせばアウトプットも得られます。しかし、その一方で、AIなしに自分で考える能力は少しずつ弱まっていきます。そして、そのことにさえ気づかなくなるのがAI認知症です。

 

考えることができなくなっていても、生活は便利で困らないため、その状態そのものを認識できなくなってしまう。もし、その状況が社会全体へ広がれば、それは『AI認知症社会』になってしまいます」

 

石戸:「吉見先生は産業革命にも触れておられました。これまでも電卓やコンピュータ、インターネット、スマートフォンなど、新しいメディアや技術が登場するたびに、人間は失った能力がある一方で、新たな能力も獲得してきました。

 

そう考えると、確かにAIが思考を奪う側面はありますが、新しい思考の在り方を獲得する可能性もあるのではないでしょうか。吉見先生ご自身はAIとの対話を通じて、その点をどのように感じられましたか」

 

吉見氏:「大切なのは、AIと対峙し、AIと対話する能力を人間の側がどう磨いていくかということです。AIを使いこなし、効率よく答えを出す能力ばかりを発達させれば、人間が深く考える力は確実に衰えていきます。AIの使い方はさまざまです。いくつかのキーワードを入力すれば、AIはきれいな文章を作ってくれます。しかし、その文章には何か嘘があるのではないか、本質的に抜け落ちているものがあるのではないかという視点で、クリティカルにAIと対話していく。そのような能力を育てる教育システムやリテラシー教育が必要だと考えています。

 

AI化は今後ますます加速していきます。その中で、人間が考える力を取り戻し、AIの回答を批判的に見つめることができるのは、人間にしかできません。私は『AI吉見くん』を徹底的に問い詰め続けたことで、逆に『人間とは何か』の本質が見えてきました。これからは、あらゆる場面でAIが当たり前に存在する社会になります。そのとき、AIに使われ、AIに従属する人間ではなく、AIと向き合える人間をどう育てるか。それこそが、21世紀の教育の課題なのだと思います」

 

石戸:「最後に、視聴者からの質問と、そして私からの質問をお伺いして締めくくりたいと思います。初等中等教育に携わる視聴者が非常に多いこともあり、『こうした時代だからこそ、子どもたちが学び、知識を得るうえで大切にすべきことは何でしょうか』という質問が寄せられています。

 

また、私からもお伺いしたいと思います。吉見先生のお話を伺っていて、問題はAIそのものというよりも、効率化や最適化、タイムパフォーマンスといった現代の価値観の延長線上にAIが存在していることではないかと感じました。吉見先生は、その価値観そのものに警鐘を鳴らしているようにも思えます。そのような時代において、大学はこれからどのような価値を創造していくべきなのか、大学に求められる役割や使命について、吉見先生のお考えをお聞かせください」

 

吉見氏:「限られた時間でお答えすると、非常に象徴的な話になってしまいますが、初等中等教育において最も重要なのは、非常に大まかな言い方をすれば、『演劇』と『フィールドワーク』だと考えています。

 

私は、小学校や中学校の国語という教科は、演劇に変えたほうがよいと思っています。言葉とは何かを学ぶとき、言葉だけをテキストとして扱っていては、AIに乗っ取られてしまいます。しかし、本来、言葉は人間関係の中で交わされ、相手との距離や方向性、表情など、具体的な場面の中で成立するものです。

 

また、言葉を知り、理解するためには、自然を見たり、草花に触れたり、社会で働く人々と対話したりすることが欠かせません。そうした意味でも、演劇や身体を使ったパフォーマンス、そしてフィールドワークは、これまで以上に重視されるべきだと考えています。大切なのは、言葉そのものだけではありません。言葉の背景にあるものを理解することです。そのような教育を重視していかなければならないと思います。

 

大学の使命については、その話と表裏一体です。最も大切なのは時間です。学びの時間は、タイムパフォーマンスという観点から見れば決して効率的ではありません。しかし、その『タイパの悪い時間』をきちんと確保すること、それを可能にする大学の仕組みをつくることが重要です。学生が深く、じっくり考えられるようにするためには、数多くの科目を履修させるのではなく、履修科目を絞り、一つひとつの科目の単位数を増やしていくべきだと思います。深い学びを可能にすることこそが、大学にとって最も重要な使命なのではないでしょうか」

 

最後は石戸の「吉見先生のお話を伺い、改めて『人間とは何か』、『知性とは何か』、『学ぶとは何か』、『大学とは何か』を深く問い直し、前提を疑いながら新しい価値を創造していくことの大切さを改めて感じました」という言葉でシンポジウムは幕を閉じた。

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