プレイヤーの技量をエンハンスする「ゲームの人工知能」を教育分野に
第138回オンラインシンポレポート・後半

活動報告|レポート

2023.11.17 Fri
プレイヤーの技量をエンハンスする「ゲームの人工知能」を教育分野に</br>第138回オンラインシンポレポート・後半

概要

超教育協会は2023104日、ゲームAI研究者・開発者、工学博士 三宅 陽一郎氏を招いて「AIがもたらす教育の未来と可能性」と題したオンラインシンポジウムを開催した。

 

シンポジウムの前半では三宅氏が、自らの研究テーマであるゲームのAIについて説明し、教育分野への応用の可能性について言及した。後半では、超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。その後半の模様を紹介する。

 

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AIがもたらす教育の未来と可能性」

■日時:2023年10月4日(水)

■講演:三宅 陽一郎氏
ゲームAI研究者・開発者、工学博士

■ファシリテーター:石戸 奈々子
超教育協会理事長

 

▲ 写真・ファシリテーターを務めた
超教育協会理事長の石戸 奈々子

 

シンポジウムの後半では、超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。

教育コンテンツへ活用できる?ゲームの「メタAI」活用ノウハウ

石戸:「知能とは、人間とは、さらには生命とはなにか、と非常に深いお話をいただきました。AIと教育がテーマということもあり、AIと人間とのインターフェースの部分までを含めて質問します。

 

三宅先生は、機能に立脚した西洋的なAIに、東洋の混沌とした世界を融合させることで新しいAIを作ろうと、チャレンジをされていると思います。さきほどの人間に近寄ってくるメタAIは、教育で使うAIと捉えたときにひとつ大きなヒントだと思いますが、三宅先生が考える理想的な、教育で活用できる具体的な人工知能のイメージはありますか」

 

三宅氏:「メタAIは一つヒントになるのではないかと思っていました。ゲーム業界にはいろいろなメタAIのテクニックが蓄積されています。例えば、ユーザーのスキルに合わせてコンテンツを出すと飽きるのでやってはいけない。ユーザーのレベルの少し上のレベルにする。ゲームの中では、階段状にコンテンツの質を変えていくことが行われています。ユーザー自身を成長に導いてくれるようなAIは、教育の現場でも役に立つのではないかと思います」

 

石戸:「教育でも、ゲーミフィケーションという、ゲーム的な要素を入れていこうという動きはありますが、ゲーム業界に蓄積されている知見において、本来は教科書や教材、授業設計において活用できる知見がまだまだ山のようにあるということでしょうか」

 

三宅氏:「そうですね。ただし、現実世界はゲームほどデザインできないと思います。子どもがゲームに夢中になると、我々を目の敵にする親や保護者も多いと思いますが、ゲームでは学習曲線をうまくユーザーに合わせて上がるようにしてあります。『さっきまで苦労していたこんな強いモンスターを軽々と倒せるようになった、やったー!』というように、褒める時間も十分に確保して爽快感も感じさせ、しかも、それを繰り返します。学校の勉強もそうなればよいと思いますが、コントロールはなかなか難しいと思います。ただ、個人に適応するやり方は、人工知能が得意とするところです。それぞれに合ったコンテンツ、それぞれに合った教育があってもよいと思います。一人ひとりにAIをつけて、導いてくれて、できるようになった子どもは3年生でも6年生の問題を出すなど。そのようなことができるようになるとよいのではないでしょうか」

 

石戸:「一人一台端末を持って学習する環境は2020年に実現されましたが、次のステップは、11台『ドラえもん』がいるような1人1台ロボット世界が実現できるとよいなと思っていました。AIの捉え方で、三宅先生は西洋と東洋をある種対比させていらっしゃると思いますが、宗教観の問題からヨーロッパなどでは、生成AIを受け入れにくい姿勢もあると聞きます。一方で日本はポップカルチャー、アニメ、マンガにおいて、友達的ロボットや友達的AIの存在に親しく触れて来たので受け入れやすいという話もあると思います。教育においてAIを導入するとき、AIをどういう存在として位置づけるか、これからAIをどう位置づけていくと、より人間との協調が広がっていくのでしょうか。私は、日本に優位性があって、日本からグローバルスタンダードを構築できるのではないかとも思っています。そのあたりのお考えについて教えていただければと思います」

 

三宅氏:「人工知能に限っていえば、東洋と西洋でだいぶ違います。日本と西洋と言ってもよいかもしれません。西洋はやはり序列が重要で、神様が一番上にあって、人間がいて、その下に人工知能があります。人間と人工知能は同列ではない。日本は逆です。日本は人間と人工知能を同列に置きたがる、あるいは上に立ちたくない。西洋から見ると日本はすごく不思議な国です。西洋では人工知能はいわば召使いで、人工知能という学問も基本的には『言うことを聞かせるにはどうしたらよいか』という学問です。それが西洋的な捉え方といえるでしょう。人間と対等に会話したり命令したりすることはないです。日本は、アニメやゲームの影響もあるとは思いますが、深くは宗教観だと思います。自然の中の一部として人工知能を受け入れたところが全く違います。

 

今、世の中が混乱しているのも、その二つの考え方で作られた製品がごちゃまぜになっているからです。例えば、映画『スターウォーズ』には『C-3PO』などのロボットが出てきますが、日本人は『ルークの友達』だと思っています。でも西洋では、彼らは『ルークの召使い』です。彼らが崖から落ちそうになっても、自分の身が危険になるなら、ルークは彼らを助けないです。たぶん。でも日本人はきっと助けると思っている。でもこれは日本人のすごくよいところです。『みなし文化』というのですが、生命ではないと分かっていても、生命とみなして受け入れる。『初音ミク』も『たまごっち』もそうです。これは日本の最大の利点だと思います。この土壌があるのは日本だけです。それをうまく生かして、友達ロボット、対等な存在として人工知能を育て上げていくことは、日本にしかできないことです。

 

例えば、人間の役に立つ人工知能を自分で作ってみよう、という授業になると、役に立つという立ち位置が明確なら西洋の社会では人工知能が受容されます。ただしポジションは必ず人間の召使いです。でも東洋の場合は違う、友達。友達の人工知能を作ってみよう、という授業になるだろうことは、決定的な違いです」

 

石戸:「日本は、デジタル化では諸外国から後れを取りましたが、生成AIが出てきたときの社会の受容度は他の国に比べて高いと感じました。そこに次の日本の可能性があるのではないかと思います。それを教育の分野でも発揮できるとよいなと、私自身も思っているところです。

 

次の質問は、主観世界のお話にも関わるかもしれません。藤井聡太さんを見ていても思うのですが、AIネイティブ世代は、AIが出てくることによって人間の知能や思考方法が変わってくるのではないかと感じます。研究者、開発者として人工知能を作る中で、現時点で人間だけしかできない人間らしい知能はどこにあると思われますか。そして、それは、これからAI時代になり変わっていくのでしょうか。さらに、AIが普及した時代に適した、人間だけにしか発揮できない知能とはなんなのでしょうか。今後の教育ではどのようなことを重視して人を育んでいけばよいのかということにもつながると思います」

 

三宅氏:「人間にしかできないことは明確です。問題を作ることです。学校でも職場でも、『これが今、課題になっています。これを解決しなければいけない』と問題設定していると思います。将棋もそうです。『こんな配列があり、歩はこれ、ルールはこう、王将を取ったら勝ち』というように問題設定をするのは人間です。藤井さん以外はAIより弱いわけですが、先ほども申しあげたように、AIはコンピュータの中で加速して学習できますので、人間より強くなることも難しくないです。将棋も人間の時間で200300年分を学習できてしまいます。囲碁もそうですし、翻訳も絵を描くのもある程度そうです。しかしAIは欲望が全くないので、1万年放置しても将棋を打ちたいとは思わない、将棋を作る必要さえない。人間の私は仕事でゲームを作らなければなりませんが、人工知能はゲームを作る必要はない。欲望がないので問題を作ることはできません。これからの社会で必要となるのは、問題を設定する力です。問題を設定して人工知能を動かす、そこまですればあとは人工知能に任せて、やらせればよいのです」

 

石戸:「問題を設定する力を育むにあたって、何が大事だと思われますか。問題を設定する力を育むために、AIが役に立てる要素、もしくはAIの使い方にはどんなことがあると思われますか」

 

三宅氏:「問題を設定するところに関しては、人工知能はほとんど何の役にも立たないと思います。それは人間の問題だからです。『ゴミ問題は困ったなぁ、埋め立て地はどうやって作ろうかな』など、人間が困っていることには人工知能は全く関係がありません。逆に言うと人間はいろいろな状況に巻き込まれて問題を設定する力をつけるのです。例えば『たまたま市役所に勤めた、ごみ問題や埋め立て地問題があって事業者を割り振らなければならない、どうしよう』それを次は言語化してルール化します。今、コロナ禍もあって子どもたちは物事に巻き込まれることを嫌がりますが、社会に出るということは、いろいろなことに巻き込まれることです。そのときにうまく問題を凝縮して言語化していく力が必要になると思います。小中学校で、『学校にこんな問題があるのでみんなで突き詰めてみよう。言語化してください。人工知能にこれを解いてもらうには、どんな形で問題を提示すればよいでしょうか』と考えるようなことを1回でもやっていると、これからの社会で役に立つのではないかと思います。ある程度、人工知能のことを分かっていれば『こんな曖昧な設定では、人工知能には解けない』ことも分かります。『無限に広がる土地』といった表現では人工知能は分からない。『マス目のグリッドが1メートル四方で1万個あります』と言ったら分かります。人工知能の都合が少し分かっていると、より社会に適応できると思います」

 

石戸:「リアル社会との接点の中で、AIを活用しながらプロジェクト型の学びに取り組んでいく。これからの教育のあり方のヒントになると思います。

 

次の質問です。ChatGPTには年齢制限があるとはいえ、幼少期から生成AIを使う子どのたちも出てきています。それに対して文部科学省からガイドラインも出されています。これからの子どもたちが生成AIと向き合うときに注意すべきこと、最低限育んでおくべきリテラシーや、こういう使い方をしてほしいなど、三宅先生からありましたら、教えていただけますでしょうか」

 

三宅氏:「生成AIは大人のような文章を書き、プロのような絵を描いたり音楽を作ったりしますが、子どもたちには、自分たちが文章を書くこと、絵を描くこと、音楽を作ることを無意味だと思わないように持っていかないといけないと思います。今の人工知能は、これまで作られてきたデータの間を埋めることしかできません。全く新しいものを生み出すことはできないのです。例えばピカソがキュビズムを作りましたが、ピカソが見た絵を人工知能に全部学習させたらキュビズムが生まれるかというと、そんなことはないです。Aという絵とBという絵の間を作るのが人工知能です。文章もそうです。これまで書いてきた文章をこま切れにバラバラにして組み立てることはできますが、村上春樹氏のような小説が書けるかというと、そんなことはないです。村上春樹氏の作品が世に出た後に『村上春樹風』に書くことはできます。人工知能は補完しているだけだということを正確にきちんと教えないと、子どもは無限の創造力があるものに見えてしまうかもしれません。『芸術家や学者になる意味って何?』と分からなくなると思います。大人でさえそう思っている人もいるかもしれません。『なぜわざわざ読書感想文を書かなければならないの、AIが要約してくれるのに』というように。新しいことは何も作っていないことを子どもたちにはセットで教えないと、間違った誤解で絶望してしまうことになります。今、世の中もそのようになっているように思いますので、ちょっと危険だなと思います」

 

石戸:「人間だけにできること、AIができること。人間とAIはどのように付き合っていくべきなのかをしっかりと伝えることはすごく大事だと思います」

 

三宅氏:「禁止はしないほうがよいと思います。使わせて『ここが限界なのだ』と教えたほうが、世の中で『ここで使えそうだ』というアイデアも出やすいと思います。『こんなつまらない仕事はAIにやらせよう』となるぐらいが、ちょうどよいのではないでしょうか」

 

石戸:「学校の試験などでも『これだったら生成AIの方が良い回答をする』という試験や教育の仕方をしていると人間のすごさには気づけないですね。その部分を変えていく必要があり、人間にしかできない力を育むような教育に変えていかなければならないのだと、改めて思いました。最後に一言、人工知能の未来、もしくはこんな社会を作っていきたいという思いがありましたらお願いします」

 

三宅氏:「これからは人工知能と人間が共存していく社会になりますので、避けていると逆に子どもが適応できなくなってしまいます。子どもがAIに宿題をやらせるようなことがあったら、逆に褒めてあげてもよいと思います。また先生方は、人工知能ではできないような課題を出していかなければならないかもしれません。人工知能をうまく使いこなせば自分の力が2倍にも3倍にもなっていく時代なので、むしろそちらへ舵を切っていく方が、子どものためにもなるし、日本全体のためになるのではないかと思います。日本はこれから少子化の時代です。1人の力を10倍にも20倍にもしていくためにも、人工知能が役に立つのではないかと思います」

 

最後は石戸の「人間はすごい、でもAIを使うとさらに人間の力がさらに拡張される。そんな体験ができる学びの場を提供していければと思います」という言葉でシンポジウムは幕を閉じた。

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