テレビプロデューサーの目線で辿るデジタル・エンタメ・教育の30年
第84回オンラインシンポレポート・前半

活動報告|レポート

2022.6.3 Fri
テレビプロデューサーの目線で辿るデジタル・エンタメ・教育の30年<br>第84回オンラインシンポレポート・前半

概要

超教育協会は202246日、NHK人事局統括プロデューサー/NHKデジタルアカデミア学長の福原 伸治氏を招いて、「教育番組とエンタメとデジタルと」と題したオンラインシンポジウムを開催した。

 

シンポジウムの前半では、フジテレビからネットメディアを経てNHKに移籍というユニークな経歴を持つ福原氏が、これまでに関わってきたエンタメ・教育関連のデジタルコンテンツに関する講演を行い、後半では、超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに視聴者を交えての質疑応答を実施した。その前半の模様を紹介する。

 

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「教育番組とエンタメとデジタルと」

■日時:202246日(水)12時~1255

■講演:NHK人事局統括プロデューサー
NHKデジタルアカデミア学長 福原 伸治氏

■ファシリテーター:石戸 奈々子
超教育協会理事長

 

フジテレビ時代に伝説の子供番組「ウゴウゴ・ルーガ」を生み出したことでも知られる福原氏は、約30分間の講演において、情報インフラがテレビからネットへ広がっていった平成年間におけるエンタメ・教育コンテンツの歩みを「デジタル」というキーワードを軸に説明した。主な講演内容は以下のとおり。

【福原氏】

平成年間にテレビのテクノロジーは大きく変化しました。特にコンピューターの発達とインターネットの登場、つまりデジタル化はテレビのすべてを変化させました。今で言う「DX」がテレビのさまざまなところへ及んできたのです。

 

1990年代に一気に花開いたメディア環境の変化は、いずれも80年代にその萌芽がみられます。81年のLD(レーザーディスク)を皮切りに、82年にはPC-9801CDアルバムによってPCとデジタル音楽が大衆化され、83年のファミリーコンピュータ発売と共に生まれたゲーム業界が85年のスーパーマリオブラザーズで大ブレイクするなど、特に80年代中盤以降、メディア界に次々と新しい動きが出てきました。

 

▲ スライド1・1980年代に起こったメディア環境の変化の胎動

 

その最中、1987年に企画した「TV’s TV」は、5時間に及ぶいわゆる深夜番組の先駆けです。「ブラウン管に映るのはテレビ番組だけではない」というコンセプトで、ゲーム、プロモーションVTRCG、環境映像、外国の番組、ビデオアート、モニター映像など、「テレビ番組以外の映像」を集めてただひたすら見せる「コンテンツ時代の予言的番組」で、ニコニコ動画などに上がっている動画には「1987年のYouTube」と紹介されていたりします。

 

▲ スライド2・1987年に放送された「TV’s TV」

 

番組のキャッチコピーは「これはまったく新しいTVの試みとなるでしょう。今、テレビに残されているのは、テレビ以外のブラウン管を取り込むことではないだろうか、つまり端的に言ってテレビ以外にも楽しいブラウン管はいっぱいある」というものでした。

 

1990年には、演出を担当した科学番組「アインシュタイン」でバーチャルセットを登場させました。これは、当時の世界的なメディアアーティストで、今は絵本作家としても知られる岩井 俊雄さんと一緒に、Macintosh(現Mac)のデスクトップの世界をテレビの中で再現することを目指したものです。「モニター上でしかありえない世界」の再現にあたっては、PCをカメラとして活用し、司会者に奇抜な服装をさせてところどころCGを被せるなどできるだけローコストのセットを利用し、題材は論文発表レベルの最新科学を、まだ日本では概念としてしか存在しなかった初期のインターネットでアーカイブ検索して取り上げました。日本における本格的なバーチャルセット時代の到来を告げた試みで、まさに教育とつながっていくものでした。 

 

▲ スライド3・科学番組「アインシュタイン」で
バーチャルセットに挑戦

デジタル=ITを活用したメディアの双方向化への取り組み

これらを発展させたものが1992年の「ウゴウゴ・ルーガ」です。バーチャルセットのさらなる進化系で、月曜日から金曜日までの毎朝放送を実現するために、ローコストのCG表現と少人数・低予算で効率的に制作するノウハウをさらに追求しました。ここで役立ったのがデジタル=IT化で、会議ではノートPCとネットワークでデータ交換し、データ納品もネット経由で行ったほか、パソコン通信「Nifty」の会議室での意見を参照する「エゴサーチ」みたいなこともやっていました。今で言う「VTuber」のはしりということもできます。

 

▲ スライド4・ローコストCGと制作現場の
IT化を図った「ウゴウゴ・ルーガ」

 

「ウゴウゴ・ルーガ」は、放送開始から半年後にゴールデン帯での生放送を行い、1年後には本格的なインタラクティブを取り入れた「ウゴウゴ・ルーガ2号」の放送も始まりました。メディアの双方向化の試みとして、お絵かきセットを開発して一般の子供たちが参加できるようにするなど、当時の技術でどうすれば双方向なものを実現できるのか、さまざまな工夫と試行錯誤を繰り返しました。

 

懸念は、当時はまだ「視聴者は本当にテレビに参加したいのか」があやふやだったことです。表現する人1に対して鑑賞する人9という「19の法則」や、「テレビは3m離れて、PC30cmに近づいて」という言葉もある中での実験的な意味合いもあったのですが、結果的にはそれなりの参加者が集まり、子供はテレビを見るだけではなく、中に入って作ることも好きなのだとわかりました。

 

▲ スライド5・「ウゴウゴ・ルーガ2号」で
インタラクティブに挑戦

2000年代に入りテレビとネットが連動する時代へ

この1990年代は、94年の12月にブラウザー「Netscape Navigator」、95年に「Windows95」が登場して「インターネット元年」と呼ばれ、96年には家庭用DVD-Video99年には携帯電話でインターネットを利用できるiモード、さらには2ちゃんねるも登場しました。そして2000年にはGoogleが国内に本格登場するという、まさにインターネットの本格的な普及期に重なります。

 

2000年には「インパク」と呼ばれるインターネット上の博覧会イベントで、フジテレビパビリオンのインターネット連動プロジェクト「秘密倶楽部 o-daiba.com」を担当しました。これは、栗山 千明さん、宮崎 あおいさん、松本 まりかさんたちが演じる少女たちがインターネット上で何か面白いことを仕掛けようと自分たちのサイトを作り上げていくテレビドラマで、一年間、インパクと同時進行でサイトがあたかも本当に作っているように更新されていきます。

 

この中でゲームやEコマースのほか、おそらく日本初のオリジナルネット限定配信ドラマや、生のバラエティのストリーミング配信などを実施して、「インパク最優秀アクセス賞」を受賞しました。テレビとネットの本格連動の先駆けとなった作品です。

 

▲ スライド6・「インパク」で
テレビとネットの連動企画を実施

 

2005年には「ガチャガチャポン」という中学生向けの教育番組を制作しました。夕方5時からの放送で、多部 未華子さんや夏帆さんが登場するシチュエーション・コメディの手法を取り入れ、教育学者の齋藤 孝先生に総合監修で参加していただいたものです。

 

▲ スライド7・教育とエンタメを
融合させた「ガチャガチャポン」

 

2008年には石戸さんのCANVASと一緒にワークショップを開催して、フジテレビ公式サイト上のWebコミック「少年タケシ」と連携して、子供たちと一緒のものづくりなどを行いました。

 

同じ2008年にはインターネットとの単純な連動ではなく、演出にネットのコンセプトを取り入れた「近未来予想ツギクル」も制作しました。当時ソーシャルメディアの主流だったブログ記事からAIを使ったデータマイニングで未来予想を発掘するという企画も斬新でしたが、さらに画期的だったのは、30分の番組をテレビの生放送からネットのストリーミングまで30分で行い、テレビからネットへの流れ込みをデータ的に試してみたことと、オンデマンドの先行実験を行ったことです。

 

▲ スライド8・ネットと放送の
新たな融合を模索した「近未来予想ツギクル」

 

2009年からはウェザーニューズと「テレビではない」インターネット向けの番組「SOLiVE24」を始めました。インターネットのほかBSデジタル放送や携帯などでも視聴できる番組にテレビのノウハウを活かすことを目指したもので、現在も「ウェザーニュースLiVE」として続いています。 

 

同じ年に始まった「新・週刊フジテレビ批評」では、「テレビを外部から見たらどう見えるか」をテーマに、テレビとは無関係のネット関係者をどんどん呼んで討論を行いました。合わせて、ネットとテレビをより近づけることにも取り組み、テレビ放送に先駆けてニコニコ生放送で討論を先行するようなことも行い、そういう関係が東日本大震災の関連報道を早い時間にニコニコ動画に流すことにつながりました。テレビ放送をネットに流した最初の事例です。

 

2011年には、ニンテンドー3DSが発売初期に展開していた3D映像配信サービス「いつの間にテレビ」のコンテンツ作りに参加しました。これは、街中のWi-Fiサービスなどから毎朝3D映像コンテンツが自動的に送られてくる、いわばテレビとネットの中間的なプッシュ型サービスで、毎回100万人ほどが視聴していました。3分~5分程度の番組の1本を担当したのですが、3Dらしさの表現や最適な演出の模索が面白い、こういう「テレビではないけれども近いもの」にも関わるようになっていきました。 

2020年代はSNSAIの時代になっていく

この30年間をざっと振り返ると、1980年代はアナログからデジタルへの切り替え、90年代はパーソナルコンピューターの台頭、2000年代はインターネットの時代、10年代はユビキタス=スマートフォンの時代と言うことができ、特に2011年の東日本大震災ではテレビとネットが本格的に融合しました。おそらく2020年代は、よりSNS的なもの、SNSAIの時代になっていくと考えます。 

 

▲ スライド9・テレビを取り巻く30年間の変化

 

その後はいわゆるネットニュースやオンラインニュースが台頭し、フジテレビもやろうと2015年に立ち上げたのがネットニュースサイト「ホウドウキョク」で、現在も「プライムオンライン」という形で続いています。 

SNSを新しいプラットフォームとして活用 若者が気になるテーマを語り合う深夜番組「NABE

2018年にBuzzFeed Japanに転職し、TwitterYoutubeFacebookInstagramTikTokなどのプラットフォームへの番組/コンテンツ配信を担当しました。ここで学んだのは、テレビの世界では番組単位で面白いものを作っていれば良かったのに対し、ネットの世界では「どうやって配るか」が作ることと同じくらい重要で、しかもプラットフォームごとに全く表現が違うということです。NHKに入ってからも、それを活かしたことをやろうとしています。 

 

最近、NABE(なべ)という、NHKによる若い人向けの新サービスを立ち上げました。個性あふれる6組のアーティスト・俳優・インフルエンサーからなるBUGYOZ(ブギョーズ)が、鍋奉行のようにさまざまなコンテンツの楽しみ方を伝えるというものです。例えば、人気番組をネットの手法で再編集して新しい魅力を届ける「キュレーションコンテンツ」を番組として放送するとともに、若い世代が親しみやすいようにSNSでも展開します。また、BUGYOZによるライブ配信では、若い世代が気になるテーマについて視聴者と語り合い、それをギュッとまとめて深夜番組として放送していきます。

 

この企画がスタートした背景には、NHKのインターネットに対する新聞協会や民放連の厳しい見方があります。「民業圧迫」と指弾されてあまり自由に動けない、だけどSNSがなければ若い人たちには届かない、ということで今までにないような形を考えました。これまではちょっとした番組の告知などにしか使えなかったインターネットで、各SNSを番組やイベントなどを若い人たちに届けていく新しいプラットフォームとすることを考えたのです。 

 

NABENHKのオウンドサイトをはじめ、YouTubeTwitterInstagramなどで展開していきますが、特にYouTubeはこれまで「NHK」と「NHK World」の2チャンネルしかなく、今回初めてそれ以外を作ったほどコンサバティブな姿勢でした。今まではTwitterやせいぜいInstagramで番組を紹介してきましたが、私たちはYouTubeを含めたそれらで若者層に届けていくスキームを模索しています。 

 

NABEは、多くの人気番組や報道を含む情報コンテンツの協力のもとで3月にトライアルを行い、6月以降の本格展開を予定しています。ライブ配信もNHKはほぼ初めてで、ある意味「グレーゾーン」を突き進んでいかなければなりません。実はNHKはけっこう縦割社会なところがあり、私が人事局に所属しているのも人材育成の名目でそこに横串を刺し、社内横断的なプロジェクトを実現することが目的で、そのためにまさに試行錯誤を繰り返している最中です。

 

>> 後半へ続く

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