概要
超教育協会は2026年1月28日、渋谷区教育委員会 教育長の伊藤 林太郎氏を招いて、「探究『シブヤ未来科』の成果と課題」と題したオンラインシンポジウムを開催した。
シンポジウムの前半では、伊藤氏が教科科目の時間の1割を探究学習にあてる探究「シブヤ未来科」の取り組みについて講演し、後半では超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。その後半の模様を紹介する。
>> 前半のレポートはこちら
「探究『シブヤ未来科』の成果と課題」
■日時:2026年1月28日(水) 12時~12時55分
■講演:伊藤 林太郎氏
渋谷区教育委員会 教育長
■ファシリテーター:石戸 奈々子
超教育協会理事長
▲ 写真・ファシリテーターを務めた
超教育協会理事長の石戸 奈々子
シンポジウムの後半では、超教育協会の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。
進学など次のステップに向かうときに探究に取り組んだことが評価される仕組みを
石戸:「視聴者の皆さまから、多くのご質問が寄せられています。まず私からお伺いします。授業時数特例制度を活用して午後の時間を探究『シブヤ未来科』に充てるという設計は、本取り組みの大きな特徴の一つです。この発想は、どのような経緯から生まれたのでしょうか。教育委員会主導で構想されたものなのか、それとも学校現場との長年にわたる対話や試行錯誤の積み重ねを踏まえての協議が土台にあったのか。制度を活用するという決断に至るまでの背景や、変革に向けた着想がどこから芽生えたのか、その原点についてお聞かせください」
伊藤氏:「探究『シブヤ未来科』は2024年度(令和6年度)からの取り組みですが、実は2021年度(令和3年度)から『シブヤ科』という名称で、地域のことを題材に学ぶ総合的な学習を実施していました。年間約20コマを充当する中で、『単発の経験で終わってしまう』、『My探究までやろうとすると時間が足りない』といった課題が指摘されました。そこで、授業時数特例を使って大幅に拡充しようという案が教育委員会内から上がったというのが経緯です」
石戸:「実際にこの制度を使う際にハードルはありましたか。スムーズに利用できたのでしょうか」
伊藤氏:「二つの課題がありました。一つは、実行する際の『現場の受け止め』です。シブヤ科時代からの積み上げや連続性はありましたが、時数特例を使って制度上限まで総合学習に振り分けるということは、教育委員会で決定しました。大幅に拡大した時間数で何をすべきか、国語・算数・理科・社会などの時間が1割削られることを踏まえて、これまでと同じ内容を9割の時間でどう教えるか、学ばせていくか、カリキュラムをどう組み立てるか、といった指摘が現場からありました。
もう一つは、保護者への説明です。学力への不安や、時間を増やして何をするのかといった懸念が示されました。丁寧に説明することで、少しずつ理解していただきました」
石戸:「探究的な学習は、ともすると基礎学力と対立するものとして語られがちです。教科の授業時数は減っていますが、一方で、探究を通じて教科の理解がより深まるという相乗効果も期待されています。現場の先生方や保護者の皆さまは、その点をどのように受け止めていらっしゃるのでしょうか。また、当初懸念の声もあった学力面について、実際にはどのような変化が見られているのか。手応えやデータも含めてお聞かせください」
伊藤氏:「まず学力について説明します。文部科学省では毎年4~5月に、中学3年生と小学6年生を対象に全国学力・学習状況調査を実施しています。我々もその結果を分析しています。結論としては、当初1年間では良くも悪くも影響はなかったです。単純に点数だけを見ると変化はほとんどなく、各学校の点数に寄与している要因について重回帰分析した結果も、令和6年度のカリキュラム変更による影響を見てとることはできませんでした。
ここには二つの捉え方があります。教科科目の時間を9割にした『負の影響が出なかったのは良かった』という捉え方と、探究『シブヤ科』により自分で学ぶ力がつき、それが学力にプラスの効果になるだろうと意図しましたが、『そうした効果をデータ上から見て取れなかったのは残念』という捉え方です。いずれにしても、現時点では目に見えるプラスマイナスは特にありません。
ただし、これは学力調査の結果です。現場の先生方からの意見は興味深いものでした。例えば、探究テーマありきで進めると、クラスの周囲の流れに乗るだけで個々の子どもたちの濃淡があっても探究学習が進んでしまいます。しかし『My探究では、自分で課題を設定しないと何も始まらない。それが自分で学ぶ姿勢につながっている』という声がありました。こうしたことが結果に表れると素晴らしいと考えています」
石戸:「先生方が探究の伴走者となるというお話がありました。役割の軸足を移すために、これまでとは異なる研修を整えられたのでしょうか。また、探究の時間にとどまらず、他の授業における先生方の姿勢にも変化が見られるとのことでしたが、先生方ご自身の中で、役割や専門性に対する捉え方に変化はありましたか」
伊藤氏:「研修は当然必要です。探究を中心に進める先生を『探究コーディネーター』として任命し、月1回程度、全校のコーディネーターを集めて教育委員会が研修を実施しています。それとは別に、探究コーディネーターに限らず、勉強したい先生を集めて探究ゼミを開き、自分たちの実践を持ち寄って学び合う研修も行っています。両輪で探究スキルの向上を目指しています。
先生方の役割に対する考え方では、これまでのように先回りして教えることが不可能になります。必然的に、自分で課題を発見する方法や課題へのアプローチ方法を教えるようになりますし、子どもと外部の専門家をつなぐ役割も担うようになります。例えば、保護者やその他の人的ネットワークを活用して支援するなどです。『シブヤ未来科』を経験することで、先生方も『探究の伴走とはこういうことか』と具体的に理解し、他の教科にも影響していると思います」
石戸:「先ほど学力への不安についてお伺いしましたが、そもそも学力そのものの捉え方や評価軸も、いま改めて問い直されるべき段階に来ていると思います。渋谷区として、評価をどのように捉え、どのような方向へ進めようとしているのか。現時点での考え方と、今後の展望についてお聞かせください」
伊藤氏:「探究の評価については、いわゆる5段階評定は総合学習ではつかないので、通知表の所見欄に書く形です。しかし、それより重要なのは、子どもたち自身が取り組みを振り返り、先生が価値付けをすることです。渋谷区として決まった形は示していませんが、例えばポートフォリオで日々の振り返りを記録し、先生がコメントする形で評価しています。また、アプリを使い、自己評価、友だち同士での評価、先生の評価という順で次に繋げる取り組みも行っています。ただし、学習活動全体の評価につながるかというと、まだ議論は十分ではなく、課題と考えています」
石戸:「探究『シブヤ未来科』も、実践を重ねる中で、子どもたちや先生方、そして学校全体が少しずつ慣れてこられたのではないかと思います。そのような中で、子どもたちが立てる『問い』の質や、探究そのものの深まりには、どのような変化が見られているのでしょうか」
伊藤氏:「個人差はありますが、質の高まりは感じています。例えば、最初は『野球がうまくなりたい』という課題で、My探究の時間にひたすら練習する子がいました。しかし、それでは放課後の遊びとあまり変わらず、学校の探究として取り組む意味が薄いという葛藤が生まれました。そこで、『うまくなりたいとはどういうことか』を掘り下げ、『自分はこの動きが苦手』と課題を明確化し、解決・改善に取り組むよう指導しました。また、視点を変えて『他の人にどのような影響を与えられるか』と考えるよう促しました。少しずつ視点を与え、探究に深まりが出るよう先生がサポートすることで、鋭い探究ができる子どもだけでなく、全体として探究活動が循環するようになってきています」
石戸:「近年は、『好きなことから探究することが大切だ』という考え方は広がっています。一方で、好きなことが見つからないという子どもの声も聞こえてくることがあります。アンケートでは多くの子どもたちが肯定的な回答を寄せていますが、その陰には、戸惑いや違和感を抱いている子どももいるのではないでしょうか。
そうした子どもたちに対して、どのように伴走し、どのような支援や仕組みを整えているのか」
伊藤氏:「アンケートで『自分の問いはどうやって見つけましたか』と聞いたところ、当初は『もともと関心があったから』や『企業の話を聞いて興味を持ったから』、『本で読んだから』などが上位を占めると思っていましたが、最も多かったのは『友だちと話す中でこの課題に決めた』という答えでした。課題設定は、友だちとの関係性の中で進められることがわかりました。そこで、My探究でも意識的に友だちと協働する場面を設けることで、なかなか進められない子も課題を決められるようになります。
また、基礎探究に入る前にさまざまな企業と連携し、できるだけ多様な経験を積む機会を子どもたちに提供し、その中から自分の関心を見つけてもらう取り組みを行っている学校もあります。ゼミ形式で分野ごとに分かれ、先生方の得意分野に沿って個人の探究を進めるケースも見られます。
中には『もやもやゼミ』といった名称で、なかなかテーマが定まらない子どもたちを集め、課題設定に特化して集中的に支援する取り組みもあります。グルーピングを工夫しながら、きめ細やかにサポートしている学校もあります。ただ、なかなか探究に向かいきれない子は、0にはなっていないと思います」
石戸:「視聴者から横展開に関する質問が届いています。『他の地域でも導入できるのか、その場合どのようにアプローチすれば実現可能か』というものです。渋谷区の良い事例が全国に広げていく視点からアドバイスいただけますでしょうか」
伊藤氏:「仕組みとしては、総合的な学習の時間を広げることは、どの自治体でも可能です。渋谷区では、企業や団体、個人の支援を受けていますが、同じ活動が他地域で展開できるとは限りません。午後の授業を探究にする取り組みは特徴的ですが、令和6年4月に始めたばかりで、特別に高度なことはしていません。他の学校でも探究実践は積み重ねられており、意思決定さえできればどの地域でも可能です。始めるには、学校単位で校長が意思決定し、地域の方への説明や説得を行うことが必要です」
石戸:「最後に、二点お伺いします。まず一点目です。渋谷区は、既存の制度の枠組みの中で創意工夫を重ねながら、探究『シブヤ未来科』という新たな学びの形を実現されています。しかし、社会が大きく変化する中で、制度そのものもまた固定化されるのではなく、時代に応じてアップデートされるべきものではないかと思います。現行制度のもとで最大限の努力をされているからこそ見えてきた、構造的なボトルネックや、本来であれば制度改正がなされることで、より理想的な学びに近づけると感じている点があれば、お聞かせください。そしてもう一点です。新たな挑戦を先導されている教育長として、いま改めて日本の教育全体に対して問いかけたいことは何でしょうか。探究という実践を通して見えてきた、これからの教育に必要な視点ついて、最後にメッセージをお願いいたします」
伊藤氏:「我々を取り巻く規制で自由度が奪われているという感覚はとくにありません。ただし、渋谷区の小学生はかなりの割合で中学受験します。中学生は当然、高校受験します。そういった中で、子どもと親を含めご理解はいただいていますが、とはいえ目前に受験が見えている中では、その影響を大きく受けているところはあります。今はまだ、探究に一生懸命に取り組んできた子どもたちが、次へのステップに進む時にまだまだ評価されない仕組みです。うまく次のステップにも繋がるようになっていくと、子どもたちにとってより良い世界になっていくのではないかと思っています。
最後のご質問でいうと、これまでの学校では、子どもたちの本当に好きなことや真剣にやってみたいことは教育課程の外、部活やその他活動の中にあることが多かったと思います。そうではなく、やはり教育課程の中で子どもたちが『これを真剣にやったんだ』と言えるようになれば良いと思っています。『勉強は勉強、部活動等はその外側で』と分けてきたところがあったのですが、それらを教育課程の中で実現できていくと良いと思っています」
最後は石戸の「私たちは、ともすると既存の制度や枠組みを前にしたときに、それを『できない理由』にしてしまいがちです。しかし、渋谷区の探究『シブヤ未来科』の取り組みを拝見していると、制度の中にも活用できる余地があり、創意工夫と覚悟があれば、まだまだ挑戦できることが数多くあるのだということに気づかされました」という言葉でシンポジウムは幕を閉じた。

