概要
超教育協会は2024年7月24日、信州大学教育学部 准教授の佐藤 和紀氏を招いて、「生成AIを活用するために必要な情報活用能力を育む」と題したオンラインシンポジウムを開催した。
シンポジウムの前半では、佐藤氏は子どもたちが生成AIを使いこなすために必要な情報活用能力やメディアリテラシーをどう育むかについて講演し、後半では超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。その後半の模様を紹介する。
>> 前半のレポートはこちら
「生成AIを活用するために必要な情報活用能力を育む」
■日時:2024年7月24日(水) 12時~12時55分
■講演:佐藤 和紀氏
信州大学教育学部 准教授
■ファシリテーター:石戸 奈々子
超教育協会理事長
▲ 写真・ファシリテーターを務めた
超教育協会理事長の石戸 奈々子
シンポジウムの後半では、超教育協会の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。
生成AIを使ううえで大事なのは学習に対する姿勢と態度
石戸:「GIGAスクールが始まり数年が経ちましたが、情報活用能力に関して研修を行ない、いろいろな子ども達と触れ合う中で、GIGA前とGIGA後でどのように変化を感じますか」
佐藤氏:「タイピングの速度でいうと、前回の情報活用能力調査に比べたら今回の方が伸びています。一定の効果があるのではと言われていますが、もっと速くてもよいのでという印象です。毎日、コンピューターを使い当たり前に学習しているところは、1分間に60~90も打ちます。でも今はだいたい20も打っているかいないかの話で、スキルは伸びているとはいえ、物足りないという印象です」
石戸:「情報活用能力の重要性は、これまでも指摘されてきましたが、新たに生成AIが出てきてました。これまでと生成AI以降の差分で、情報活用能力に関して特に留意すべきと伝えたいことがありましたら教えてください」
佐藤氏:「子どもにとっては生成AIだろうが何だろうが、意外と情報が読めていない事実からスタートしなくてはいけないと思います。その感覚でいうと心構えが非常に大事だと思います。教科書を読もうが、普段、日常的にインターネットを使おうが、もしかしたら嘘かもしれない、みたいな感覚がない人が使ったら失敗するのではないかという思いは常に持っています」
石戸:「生成AIの登場は社会的に大きな衝撃を与えて、インターネットに匹敵する、もしくはそれ以上の新たな改革を社会に及ぼすかもしれないと言われていますが、そうなってくると教育現場は変化するし変化せざるを得ないと思いますが、実際に生成AIを活用しているパイロット校において、授業や学校や教育に関する考え方に変化があれば、事例を教えてください」
佐藤氏:「これは生成AIに関わらず、GIGAスクールや個別最適な学びにも似ていますが、まず保護者に関して言えば、保護者世代が受けていない教育については、どうしても受け入れがたい感覚を持ってしまいがちのようです。何をやっているのかわからないわけです。
そういう中でやると、ハレーションが起きたり反発が起きたりすることはあります。うまくやっている学校はどうしているかという話ですが、やはりきちんと説明をしていたり、体験会をしていたり、そういったことを繰り返しています。それらをやった上で、子どもの変化を保護者が見ていくと、これは意味のあることだ、効果があることだ、となります。結局、保護者は子どものことしか信用しないというか、子どもしか見ていないです。それで我が子が変わると、これはよいものだという感じに変わっていくので、まず保護者への説明をしながら、我が子が変わっていく様を見せていく必要があると思っています。
沖縄県嘉手納町のケースも、保護者が見たら立派に思います。今までなら、自分の作成した文章を先生が添削してくれましたが、先生は一人でやっていては生徒1人1人への指導にやってくるのも遅いです。ですから、先生に代わって先生になってもらえることをやれば、家でもかなり勉強できるようになります。三者に対して刺激を与えながら進めていくことが大事だと考えています」
石戸:「学校の先生は、生成AIを使うことによって、先生が一人一人につかなかったとしても個別家庭教師がつくような状況を生み出せるわけですよね。そんな中で授業の構成は変わっていくのではないかと思いますし、それがさらに大きな波になると学校で重視すべきことも変わってくるのかなと思うのですが、いかがでしょうか」
佐藤氏:「個別最適な学びの時に、教師はどう支援するべきなのか。一人一人にどう指導すべきかという議論は絶えないです。そういう中のひとつとして、教師だけでなくて生成AIに頼っていくとか、生成AIに相談してみるといった選択肢があり得ると捉えていく必要があると思います。ただ生成AIは間違えることがあるという前提のもと使っていくのは、情報活用能力に関わることだと考えています」
石戸:「このような質問が視聴者からきています。『生成AIを使った授業で最も印象的でこれは素晴らしいと思った授業を教えてください』というものです。いかがでしょうか」
佐藤氏:「まだ『あまりない』と言うのが率直なところ、『こんなものだよな』といつも思っています。ただし、繰り返したらすごくなるんだろうなっていうのはあります。新しいテクノロジー、ICTを使うと見た目以上のインパクトがありますが、それが継続して使われているか、自分の力になっているかという話は、別の話で考えなくてはいけないと考えています。例えば沖縄県嘉手納町のケースで、文章を書いた子が自力で素晴らしい文章が書けるようになっていくと、素晴らしいなと思います。テクノロジーに使われていたら想像の範囲を超えない感じですが、これが何百回と繰り返された時に子どもはどうなっていくのかに興味があります」
石戸:「生成AIを使った子どもたちの作品をどう評価するのかという話があると思いますが、『生成AIを活用して学んでアウトプットしていく子どもたちの評価の方法はどうあるべきだと思いますか』という質問がきています。いかがでしょうか」
佐藤氏:「難しいですね。読書感想文コンクールがどうあるべきかから考えなくてはいけないと思いますし、読書感想文で何を伝えたいから、どういう表現するかということが非常に大事になると思います。今、私の目の前にいる先生は、写真が得意な先生です。私のプロフィール写真など撮ってくれる人です。ところが今は写真ですら訂正できます。もっとリアリティを出すとか。そういう時にどう表現したいかという気持ちが非常に大事で、それを評価軸にするとなるとだいぶ難しい話になると思います。
ただし、読書感想文が心に響くものがよいというのは、昔からあまり変わらないと思います。どこで生成AIが使われているかわからないみたいな話になると思いますが、でも本当に読書感想文を読んで生成AIが作ったと見抜けない人は間抜けだと思っています。ただし、見抜けなくなってきているほど、精度が上がっていることも事実です。大学のレポートの話ですが、大学の先生も学生が生成AIを使ってくると、まともな大学の先生は、これは生成AIを使っているなと感じます。生成AIに文章をコピペして、これはあなたが作りましたかと聞くと作りましたと言います。そこで学生に『これ生成AIが作ったと生成AIが言っているよ』と言うと、そうですと白状します。そんな感覚があります。大事なことは学びに向かう姿勢やコンクールに向かう姿勢で、それを評価し、指標みたいなことがこれからすごく必要になってくると感じています」
石戸:「読書感想文に限らず、これから学習において生成AIを使う子ども達が出てきた時に、それに対する評価の仕方はきっと議論となると思いますが、私も大学の教員をしていて、仰るように、学生たちが生成AIを使っているかいないか文章を読むと何となく分かります。一方で、私は生成AIをぜひ積極的に使ってもらいたいと考えていて、使えるものを使ってよりよいアウトプットを出して欲しいと考えています。昔、京都大学の入試においてヤフー知恵袋に質問を投げかけてカンニングをしてしまった事件がありました。それ以降も、アップルウォッチが出たら時計持ち込み不可など議論もありましたが、大人になるとど使えるツールを駆使しながらより良い解を出していくことが求められるわけです。そう考えると、生成AIをより良い解を導く力を育んだほうが良いのではないかと思いますし、それを実行できた子ども達をどう評価していくかも大事ではないかなと思っての質問ではありました」
佐藤氏:「そうですよね。結局、答えがある問いばかりやっていたらつまらないというふうに解釈しました。私も同意で、そんなつまらないことばかりやっていても意味がないと思えたら、テクノロジーを使っていかに問いに対して、自分の考えを述べるのは健全だと思います。読書感想文の話に戻りますが、テクノロジーを使っていれば、大体分かるという感覚があると思うので、テクノロジーを使っているという違和感の感覚を子ども達に身に付けさせるとか、コンクールの採点する方々もそういう感覚にならなくてはいけないと思っています」
石戸:「先ほど生成AIのパイロット校は、まず校務から使われている学校の割合がそこそこ多いという話と、それはデジタル化の時もそうであったという話を踏まえて、先生方が使えるようになる、使うメリットを見出すということが重要であるため、校務から使われるのは良い話だと仰っていました。視聴者からこのような質問がきています。『生成AIに関する教員の養成や、スキルアップに関してどのような対策をすればよいと思われますか』というものです。ここから先、デジタルと同じように生成AIを全ての人が使うような社会になっていくことを前提とした時に、教員の方々にAIに関するスキルをどのように広めていけばよいかということに関して、ご意見を伺わせてください」
佐藤氏:「教員養成は、昨年から生成AIはきちんと取り扱おうということで色々な授業をやっています。昨年はまだ全然使われていないという印象で、授業で初めて出会いましたみたいな学生が多かったですが、今年はもうほとんどの学生が日常的に多様な生成AIを使っていて、1年で変わったという印象を持っています。
一方で生成AIを使ってきた学生たちが採用試験を受けて合格して先生になります。しかし学校現場は生成AIを使ったことがなく、生成AIを使っている若者を見て、そんなの自分でやりなさいと言って、潰されていくような実態があります。これは生成AIに関わらずICTも同様です。それから教育委員会が生成AIをまだ使わせないという実態があります。ですから、そんな観点でいうとまず生成AIがきちんと使えるというようなセキュリティポリシーの話が大事になると思います。ですが、GIGAスクール構想のセキュリティポリシーがきちんと作られているかというと、それもちょっと怪しい感じなので、そういったことも含めてまず環境をきちんと整えること。そのためには教育委員会の方の意識向上や、周りの方がもう少し教育について理解していただくという構造はこれからもこれまでも変わらないのではないかと考えています」
石戸:「生成AIについての懸念事項も聞かれますが、視聴者からこのような質問がきています。『自分で考えてゼロから生み出す機会が奪われているのではないか。子どもたちにとって思考する面白さ、喜びに気付けなくなることを危惧していますがどうでしょうか』というものです。一方でこういうご意見もあります。『プロセスで使うという理解が分かりやすいのではないか。思考ツールと一緒です』というものです。私も生成AIは、思考補助のツールとして使うことが多いですが、子どもたちに使ってもらうときの使い方として、答えをひたすら求めるものではなく、探究を深めたり、調べ学習をより高度にしたりするものとして使ってもらうために、先生が留意していることについて教えていただければと思います」
佐藤氏:「思考することの喜びとか面白味といった話は、先ほどの個別最適の学びや探究の話とほぼ一緒だと思っていて、何か追求したい人は、生成AIは全てを持っていない、与えてくれないことはよく分かっていると思います。ただ、何かのデータを素早く整理したいなど、探究をより良くしていく道具として使う感じになるので、やはり学習に対する姿勢や態度だと思います。
道具として使うことは、プロセスの中で情報の整理、分析の段階で使うということです。先ほどあまり話をしていないですが、整理、分析が抜けることは『人が考えない』ということです。情報を収集した後にまとめ表現する人は、子どもにもたくさんいます。つまり、そのままコピペする状態です。だから、整理、分析がこれからいかに重要なのかということは、今の議論でも同じかなと考えています」
石戸:「生成AIのパイロット校で、生成AIが探究に使われていたという話があったと思いますが、まさにそういう整理分析をすることの補助ツールとして使い、より探究が深まったなど、実践で成果がでている事例はもう出ていますか」
佐藤氏:「基本的には整理分析で使っていく感覚もありますが、それぞれのプロセスのヒントをもらうといった話もあります。課題の設定が一番難しいと思っていますが、課題を作っていく時のブレストのアイデアをくださいとか、そういう方法を聞いてみることです。内容を聞いてみるのではなくて方法を聞くということです。どの段階でも大いに使われるという印象を持っています」
石戸:「視聴者から、『生成AIを使うのに最も適した場面や教科は何ですか』という質問がきていましたが、今のお話が答えに近いかなと思います。もう少し具体的に、これから生成AIを使って授業をしていこうと思っている学校にお勧めするとしたら、どういう場面や教科が一番よいと思われますか」
佐藤氏:「よく見るのは英語と社会科だと思っています。特に社会科だと自分の意見をどう構成していくかに使えます。自分はこう思うけれどお前はどう思うかと生成AIに聞いてみて、生成AIと議論をし続けるといったかたちです。議論や、フィードバックがすぐもらえる学習のタイプには合っているのではないかと思うと、英語と社会科と言われたら納得するという感覚です」
石戸:「そうですね。ディスカッションパートナーとしては最適ですね。多角的な視点をくれるというのは、生成AIを使う醍醐味かと思います。佐藤先生が考える、AI時代に子どもたちが今後も変わらず必要と思われる力、新しくより重視される力、さらに言うと今後は必ずしも重要でなくなるかもしれない力がありましたら教えてください」
佐藤氏:「情報活用能力の話なので、情報活用能力の話に戻ってお話すると、情報活用能力は十分指導されていないと思っています。例えば、先日の日曜日、ICTの研修ができる講師を育てる研修をやっていました。比較的詳しい先生たちですが、その先生に情報活用能力を説明してくださいと質問してみると、ほとんどの人がきちんと説明できませんでした。皆さん何となく覚えて何となく指導しているという傾向があります。
この課題に私が答えを今日出せないのは、まず今までの情報活用能力がきちんと指導されていないからです。きちんと指導した時に、その差分が見えてくると思いますが、そうでないとたぶんこれは見えないと思います。まず今言われていることをきちんとやってみた時に、生成AIと子どもの反応はどうなのかということを先生方に実際に見ていただき、ご判断いただきたいと思っています」
石戸:「この視聴者の方は、メディアリテラシーという言葉で質問されているのですが、『メディアリテラシーがまだ学校であまり実践されていないのはなぜでしょうか』今、先生も情報活用能力は碌に指導されていないと仰いましたが、それはなぜでしょうか。どうすればこれから改善されるのかというのがポイントだと思いますが、いかがでしょうか」
佐藤氏:「私はメディアリテラシーで博士論文を書いたので、普通の方よりはメディアリテラシーには詳しいという立場でお話ししますが、これは、やはり学校教育で『教科になっていない』ことや『メディアリテラシーという文言が学習指導要領で使われていないこと』が大きいです。国語の説明文や社会科、英語のなどで題材としてメディアリテラシーが使われることが非常に多いです。しかし、それがメディアリテラシーなのかと言われると、ちょっとわからないとお伝えしています。
メディアリテラシーという言葉が使われる前に、日本では情報活用能力という言い方をしますが、やはり教科になっていないことで、教科が優先されている現状は大きいです。これはいつの時代でもそうだと思うので、文部科学省の研究開発指定校では、情報の時間や情報活用能力を教科にするといったところで施行されていて、そういったものが次の学習指導要領に教科として入ってきたら状況が変わると思いますが、今の教科の学習で達成しろと言われている時に、メディアリテラシーには、たぶん先生方が興味ないと思います。それが現状だと思っています」
石戸:「これからの時代において、テクノロジーを適切に使いこなす力も確実に必要な力だと思います。先生が満足されるレベルまでどうやって引き上げていけばよいかということについて、最後にぜひ熱い思いを聞かせてください」
佐藤氏:「子どもたちが生きる時代はとてもしんどい時代であるということが最初にあって、そういう議論が抜け落ちて、教科の目当てはどうこうみたいな話が非常に多いと思っています。子どもたちが、これからどういう時代に、どう生きるために何をやるのかということを、もっとたくさんの人に議論していただきたいと思います。そうなった時にICTを活用する能力がなかったら困ると思うはずです。どういう時代に子どもたちを送り込んでいくのかというような議論を熱く学校でしていただきたいと思います」という佐藤氏の言葉でシンポジウムの幕は閉じた。