不登校特例校ではなく「学びの多様化校」をつくるために
第141回オンラインシンポレポート・前半

活動報告|レポート

2023.12.15 Fri
不登校特例校ではなく「学びの多様化校」をつくるために</br>第141回オンラインシンポレポート・前半

概要

超教育協会は2023年118日、京都大学総合博物館 准教授の塩瀬 隆之氏を招いて、「学びの多様化を妨げない情報技術とAI活用の要諦」と題したオンラインシンポジウムを開催した。

 

シンポジウムの前半では、塩瀬氏が不登校特例校で実践されている多様性のある学びについて講演し、後半では、超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。その前半の模様を紹介する。

 

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「学びの多様化を妨げない情報技術とAI活用の要諦」

日時:2023年118日 12時~1255

講演:塩瀬 隆之氏
京都大学総合博物館 准教授

■ファシリテーター:石戸 奈々子
超教育協会理事長

 

塩瀬氏は、約30分の講演において、岐阜市立草潤中学校を例に、多様性のある学びの在り方について話した。主な公演内容は以下のとおり。

 

【塩瀬氏】

現在、大学等の授業で生成AIを使うことについて、教員が不安になっていることのひとつは、今まで自分たちがやってきた出題、評価、採点だけではなく、学生の表現、思考がAIに取って替わられるのではないかという危惧があると思います。授業のやり方やレポートの出題の仕方そのものを変えないと、学生が生成AIなど情報技術を使いこなすかたちにはなりません。学生にとって面倒な作業をAIにやらせるような使い方が浸透してしまうと、教員、学生のどちらにとっても不幸です。新しい技術の存在を前提としたうえで、別の手法で教育環境を作り直すことが大切だと感じています。

 

▲ スライド1・授業で生成AIを使うにあたり
先生方が不安に感じていることは

 

その視点から重要なことは2あります。まず、情報技術を誤用すると教育の多様化ではなく「画一化」を加速するということ。典型例でいうと、GoogleやWikipediaなどに同じ検索キーワードを入れて出てきた検索上位の情報を使ってレポートを作成すると、ほとんどのレポートが同じ内容になってしまいます。情報技術さえ使えば多様化を促進するというのは勘違いなのです。

 

同様に、個別最適化の教育にも情報技術が使えると思われていますが、生徒を無視した「個別最適化」が多いのが実情だということ。「この成績だったらこのくらいのドリルで良いだろう」といった教育が個別最適化と思われているような現状では、個別最適化をやればやるほど児童や生徒は受動的になります。それぞれにカスタマイズされた教材が受け身の児童・生徒に渡されるだけ、それが目指していた個別最適化なのかということを再度、考え直すことが必要です。

 

▲ スライド2・今日の講演で伝えたいこと

不登校特例校ではなく「学びの多様化学校」に岐阜市立草潤中学校の取り組みとは

先に説明した2つの考えをもとに不登校特例校にアドバイスをさせていただきました。「学びの多様化学校」である岐阜市立草潤中学校です。どのようなことを実現できたのか。まずは、義務教育に対する誤解を払拭することを目指しました。これまでは「義務教育だから学校に行きなさい」とかえって不登校の生徒を追い込んでしまっていました。ところがそもそも義務教育とは、子供たちが学びたい時に周りの大人が「サポートする義務」であって、子供たちが学校に行かなければいけない義務では必ずしもないのです。そのことを改めて伝えることが、公立中学校で実現できたことが大きいと感じています。

 

草潤中学校をつくることになったきっかけは、元々の委員会では石戸さんとご一緒させていただいた岐阜の教育を未来にどう繋げていくかという委員会で、小学校の廃校をどうやって利活用するかの相談をしていたことです。そこで、石戸さんがやられているようなワークショップができるように教育のバリエーションを増やそうと議論していた中で、不登校に対応できる特例校を作ろうということがもちあがりました。

 

ただし、不登校になって嫌々、通うような学校は作りたくない、不登校になってでもそこに行きたいと言われるくらいの「理想の学校」を作りたいと教育長から相談をいただきました。私が即答したのが「バーバパパの学校ならみんな行きたいとなるのではないか」というものでした。草潤中学校の図書サービスにもバーバパパの本を飾っていただいて、バーバパパ学校作りをしようという方向で教育長も多方面に声をかけてくださいました。

 

バーバパパのファミリー自体はそれぞれ個性豊かで、いろいろなものに変身できる妖精みたいな設定です。子供たちもそれぞれ自分の好きなことや得意なことが違うので、それぞれに合わせてコンテンツを提供できる個別最適化の基本が、この絵本に書かれていると思っています。それが学校でも実現できると良いですねと紹介して、不登校特例校の骨子づくりがスタートしました。

 

草潤中学校の特徴はどこにありますかと聞かれた時に紹介している4点があります。

 

▲ スライド3・草潤中学校の特徴

 

ひとつはお弁当をどこでも食べられることです。そんなことですかと言われることもありますが、校長室や職員室でもお弁当を食べられるようにしましょうということが、わたし自身が最初に強調したことでした。学校が開校した時にもテレビの取材でこの学校の特徴は何ですかと聞かれて、開口一番に校長室でお弁当を食べられますと説明しました。また、授業は、常に撮影してオンラインで流しているため、教室でも図書室でも自宅でも受けられます。担任の先生も、学級担任を決めるのではなく、個別担任で生徒自身が選べます。これは、学級担任制が人間関係の最初の壁になりかねないところがあるからです。時間割には一部、セルフデザイン授業といって、自分の好きなもの、自分が決めた内容を割り当てられます。例えば、月曜日の一時限目に自分の好きな科目や自分が決めた科目があると、それだけでも一歩、踏み出すことができるでしょう。生徒が自分の中で決めて前に進めるようなきっかけをちりばめる、それが学校作りの中で意識できたと感じています。

 

最も大切にしたことの一つは、理想の学び場は主体的な選択ができることであるということです。選択肢がたくさんあることも大事ですが、自分で選べて、学びたい時に学びたいところで学びたいことを学べる学校、それを公立学校としてできると良いと思い目指しました。

 

▲ スライド4・理想の学び場の鍵は
生徒が主体的な選択ができること

 

実際に、教室以外に図書室でも自宅でもどこでも授業が受けられます。図書室はただ本を並べるだけではなく、好きな姿勢で「読み倒すことができる」図書室です。クッションもあるし、ハンモックを置いてみたりテントを並べたりして、さまざまなスタイルで本を読めるように心を砕いて作ってもらいました。

 

▲ スライド5・好きな姿勢で読書ができる図書室

 

また、時間割を自分で設定できるようにしたことで、生徒がどこにいるのかわからなくなることもありました。そこで、「イマここボード」を用意して、自分はこの時間帯はここにいるというのを示しながら移動するようになっています。

 

▲ スライド6・生徒の居場所が分かる
「イマここボード」

 

先生と生徒のコミュニケーションでも新しく加わったことがあります。例えば先生からすると心配で声をかけたいなと思う時もありますが、生徒の立場からすると声をかけようと気にしてくれていることそのものが負担になる場合もあります。そういう時には「声をかけてくれるなシール」をボードに貼るように現場で工夫されました。これはすごく大事なことで、先生が良かれと思ったことが、生徒が「自分にとっては負担である」ことをきちんと表明できるようになったということです。そっとしておいてほしいということは決して悪いことではなく、むしろ「構ってくれ」から、「構わないでくれ」に変わった時などは、注意をしないといけないタイミングだと先生も気付くことができます。

 

また、生徒相談室のイラストにはハイヒールを履いた女性が描かれています。これは、以前に校長先生が描いたもので、「ハイヒールを履いてでも、何を履いてでもよいから来てくれ」という想いを込めたそうです。

 

▲ スライド7・ハイヒールを
履いてもよいから来て欲しいという

校長先生の思い

 

実際にハイヒールを履いて入学した生徒が数名いたこともありましたが、23経つとハイヒールは歩きにくいということでシューズに変わっていたそうです。実際に自分たちが歩きにくいと感じたら、わざわざ注意しなくても勝手に歩きやすい靴に変わっていくのです。先生が余計なことで注意をしなくてよくなる状況もすごく大切です。不登校特例校に赴任してきた先生の中には、「今までは靴下の装飾が華美でないかとか、髪の毛が肩口にかかっていないかにばかり注意をしていたが、不登校特例校に来てから生徒の顔が見えるようになった」と感じられる方もいらっしゃるようです。今までは顔を見れていなかったかもしれないと。「今まで何を見ていたんだろう」とおっしゃる先生もいらっしゃるので、制服のあるなしなども生徒と先生の関係を変えるきっかけになるかもしれないと思っています。

学びの多様化のために必要なデジタル活用の考え方

この学校の構想をつくる時に、実際にデザイナーさんと教育委員会と不登校児童を抱えている親御さん、さらにはつい最近まで中学生であった高校1年生や2年生にも入ってもらって、「どんな学校であれば理想の学校になり得るのか」をワークショップ形式で検討しました。実際にアイデアを出して、可能な限り実現できるところを実現しました。不登校特例校は地域ごとに特徴がありますが、草潤中学校は地元の方々や教育委員会、そして現場の先生方が尽力して理想と考えたことをできるだけたくさん実現したことが、各方面からの視察が絶えない理由だと思います。

 

このときのワークショップのコンセプトが、「学びたいときに学びたいところで学びたいことを学べる学校」をデザインするということです。その中のひとつに、そもそも不登校と言う呼称をやめようと、学校に行かないことを宣言した子たちとして迎えようという話はしていたのですが、文部科学省の不登校特例校の制度を使うのでそれは難しいですと教育委員会の方に言われてしまいました。デザイナーチームもそれは甘んじて受けざるをえないとしても、どうやって理想の学校制度を作るかを皆さんでしっかり議論していただきました。のちのち、この不登校特例校という名前自体が学びの多様化学校に変わっていくので、不登校特例校という名前もこれから出てくる回数は減ってくると思います。現状は、校内暴力不登校等問題行動調査みたいな一括りで、不登校も問題行動の枠におさめられた状態で調査が進んでいることは残念です。本当は、これが問題行動ですらないと言えるような社会を作れるとよいと思っていますが、統計上今までと同じ記録を続けたいというのがあると思うので、何とか表現を変えながら調査そのものは継続していただいたらよいと考えています。

 

当時の理想の学校ワークショップでは面白いアイデアが数多く出ました。例えば通信簿については、普通は評価をする側が成績や項目を決めます。通信簿は長期休みの前にもらいますが、子供自身も開くこともなく学期の始まりに先生に渡すために持っていきます。一体、誰と誰が通信しているのか分からなくなってしまっているので、生徒が本当に見てほしいところを自ら示せるような通信簿はどうだろうと「わがまま通信簿」というアイデアを出しました。

 

▲ スライド8・評価してほしいところを
見てもらう「わがまま通信簿」というアイデア

 

例えば、自分は漢字の書き順にこだわっているので書き順を特に先生に見てほしいとなったらその枠をつくります。先生もこの学年ならここが見たいと先生の枠もつくります。先生と生徒で通信簿のなかで評価してほしいところと評価されたいところを、その項目の数や面積でせめぎ合うような形で通信簿のかたちに落とし込んで、結果的に一人ひとり違うかたちに決まるような通信簿もあってよいのではないかと考えました。実際に学校現場では必ずしも通信簿は作らなくてもよいらしいのですが、どうせ作るのであれば、生徒と先生の両方が本当のコミュニケーションになるような通信簿ができたらよいと考えます。このように、学校のなかで生徒が選べるものを増やせるきっかけを作ろうというのが、不登校特例校づくりの中で心がけたことです。

 

もうひとつは、学校の職員室や校長室に呼び出されるとネガティブな印象があり、誰しもその部屋に呼び出されることを想像すると眉間にしわが寄ってしまうのではないでしょうか。つまり、生徒が自分の考えや意見を気楽に言えるような場所ではないかも知れない、そうすると自分が本当に相談したい時に気持ちを打ち明けに行ける場所ではないのかも知れません。

 

理想の学校ワークショップに参加してくださった生徒が通っている高校では、外国籍の生徒や帰国子女がたくさんいる学校ですごく面白い特徴がありました。数学や理科の試験の後は点数が出たら疑いない結果なので、当然そのままなのですが、国語の試験の後には先生の前に行列ができるということです。国語は数学のように答えがひとつに定まらないという考え方があり、作者はどう思うかという問いに対して自分は模範解答のようには思わないという意見が出てくることがあります。このとき、外国籍の生徒や帰国子女の生徒は自らの意見を譲りません。先生に、「ここはおかしいのではないか」ということをちゃんと主張するために先生の前に並んでいるところがその学校の特徴らしく、すごく面白いと思いました。

 

日本の学校で育った日本人の生徒の多くは、そのような場面で、もし国語の解答が自分のなかで納得いかなかったとしてもほぼ甘んじて受け入れてしまうのではないでしょうか。自分でその押し付けられた考え方がおかしいと思っても、ちゃんとおかしいと言えない関係を6・3・3の12間にずっと作り続けてしまっているのです。自分でおかしいと思ったことをおかしいときちんと表明できる場が学校の中にあることが本当は大切なのです。そこで、職員室や校長室に行く機会を増やして、自らの考えを自然と表明できるような場所にしようという試みのひとつが、「お弁当を食べられるようにした」ことでした。

 

このように考えると、今の学校には時間、空間、内容に関する選択肢が圧倒的に不足しているのではないかと思います。さらに方法論を変えないままデジタル化しようとすると、例えば会議をデジタル化する場合、紙で配っていた資料をただそのままPDFにしてタブレットに入れてその場で配るだけになります。これではただのアナログ資料のデジタル化に他なりません。これはやめましょうとなると、方法論そのものを見直さないといけません。デジタルを活用すれば選択肢がたくさんあってもアルゴリズムでマッチングできるので、選ぶ時間や労力、コストを最小化できます。そうすると、生徒と先生の余力が引き出されるはずです。

 

▲ スライド9・生徒と先生の余力を
引き出すためのデジタル化を目指す

多くの人から外れたものが「多様性」ではない まずは多様性があり、その中に「共通性」がある

いくつかICT多様性を維持しながら画一化を避けて使った教育事例を紹介します。ノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌスさんが京都にいらっしゃった時に、高校生と対話がしたいというお話をいただき作ったワークショップの事例です。高校生が、貧困問題について世界で一番といえるほど考えてきた博士と2時間くらい膝詰めで対峙するので、そこまで短期間でレベルを上げるための手段として、30日間毎日「貧困とは〇〇である」ということを考えてSNSのグループアカウントに投げてもらい、毎日数分程度でよいので30日間考え続けてくださいと依頼して、ワークショップ当日を迎えました。

 

「貧困というのは誰かがなくそうとしても別のところですぐ生まれるのでなかなか消えない無限ループである」とか、「貧困とは本人はそう思ってなくてもほかの人が勝手に貧困と決めつけているような偏見である」とか、最初は数多くでてきても1週間くらいすると言葉が枯渇します。言葉がなくなってまた「無限ループである」と以前に言葉にしたものと同じところに戻ってきた時に、「自分たちは学校に行けるだけで有利な立場にある、しかし全員の貧困をなくそうと思うと自分たちは学校に行けなくなってしまうのではないか、結果として損をするのではないか」といった意見など、ふだんは言葉にするのが憚られるような言葉も出てきます。そうするとまた新たな視点が増えて、それからまた言葉がなくなるまで考え続ける。これを30日間ずっと続けることが大切で、自分の中で生まれた疑問をたくさん並べて、このなかから選りすぐりの問いをムハマド・ユヌスさんにぶつけるというのが、その時にやったワークショップの流れです。

 

ユヌス博士が全ての学校に来ていただくわけにはいかないのですが、多くの生徒に同じように深く考えるこの機会を体験してもらうために生徒の意見を集めるアプリ、サービスを使います。例えば400人なら400人みんなで「貧困とは〇〇である」というのを考えて無料のwebサービスで集約します。講演会場や体育館で400の生徒が手を挙げて発言しようとしても、全員から答えてもらうことはできませんが、情報技術を使えば400人の意見を一気に集約できます。

 

これは今までの対面だけの学校ではできなかった授業形態のひとつだと思うので、こういった情報技術があればこそできる新たな授業形態のためにその技術を使ったらよいと考えています。今までの授業の方法を置き換えるためだけではなく。実際に「貧困とは何だと考えますか」と400人に聞くと、ものの23分で400のアイデアが出てきます。「世界で解決すべき問題」とか、「なくならないものだ」、などたくさんの言葉が出てきます。この時、現状では匿名で投稿してもらうようにしています。匿名のほうが実際にたくさんの意見が出てくるからです。

 

匿名で投稿するのは学校の授業では良くないという意見も出てくることがありますが、匿名だと意見が書けて匿名じゃないと意見が書けなくなる教室の雰囲気があるならば、それ自体が問題だと思います。先生に褒められそうな発言しかどうせ許されないと生徒自身が不信感をもってしまっている教室の空気がすぐには変えられない時に、まずは匿名でも意見がたくさん出るということ自体はすごくプラスに働きます。そういった授業が終わった後に生徒に話を聞いてみると、「周りの同級生がこんなにたくさん考えているなんて知らなかった」と言うたくさんの声を聞きます。つまり情報技術を使ってさまざまな人の意見が400人分一堂に会することによって、初めてほかの生徒が違うことを考えているという事実に触れられるのです。

 

この多様な意見に触れられること自体が本来であれば学校に人が集まることの意義の一つで、個人個人が他の意見に触れることなく教科書に向き合うだけなら、それは学校という形態をとらなくてもできます。色んな人たちの意見に触れられる環境を十分に提供できていないとすると、今の授業形態は情報技術を退けられるほど集団学習の場を生かしきれていないことになります。

 

そういう意味では、教育の現場において多様性と共通性の順番を変えてみる方がよいのではないかと思っています。

 

▲ スライド10・多様性と共通性の順番が重要

 

今年の中央教育審議会の高等学校教育の在り方ワーキンググループでは、今までの学校教育がまずは共通化を目指し、共通化の枠組みだけでは対応しきれないものを多様性への対応として向き合ってきた歴史的経緯に注目しました。少し消極的に多様性に向き合うという姿勢があったと言わざるをえませんが、委員の一人としてその順番を変えるきっかけをつくってほしいという趣旨のお願いをしました。

 

今回、中間とりまとめ案では、まずは多様性への対応をしっかり図りつつ、その上で共通性を確保していくという順序の入れ替えを提案しています。一人一人ばらばらであってそれぞれ違うことが当たり前ということを大前提にしたうえで、どうやって学校教育のなかで目線を合わせていくかという話に変えていこうと考えています。それを学校建築という空間でどうやって実現するかを考えた時に、先日面白い授業見学をした話を紹介します。

 

この2023年4月に京都で立ち上がった普通科改革の最後の学校で、3クラスの間の仕切りをぶち抜きいて80人同時授業ができる大型教室です。80人で一斉に授業をして、先生は主の先生1人と副の先生2人がサポートでつきます。先生から見渡せる範囲をコンパスの扇形みたいに書くと、この範囲だけからは漏れてしまう生徒もどうしても出てきます。

 

▲ スライド11・生徒が主体的に動ける
80人同時授業

 

しかしこの範囲から漏れた生徒は、座席の移動が自由にしておくと、自分が聞きたい先生のところに移動して自分で自主的に進行や難易度に合わせた授業を受けることができます。80授業に面白い可能性を感じたのですが、一つは孤立が目立たない。そして、みんなが色んな方向を向きながら授業の進捗や自分の理解度に合わせて先生の話を選んで聞けるので、多様な学びが共存する大教室をうまく活かせていると思いました。今までの教室のサイズで、今までと同じ黒板がひとつしかない教室で先生が前に立つかぎりは、タブレットを各自に配っても生徒の視線や姿勢は変わりません。目に見えないドリル的な出題問題が多様化するだけで、結局は同じ授業しかできない可能性がある。むしろ、空間が持つ自由度も活かしてこそ、初めてタブレットのような個別に異なる内容や順序で学ぶことのできるデジタルデバイスの多様な力が生きてくるのではないかと思っています。

 

あらためて最初の懸念に戻ると、情報技術の誤用は多様化どころか画一化を加速するということに常に注意を払う必要があります。そこに注意して使うことで初めて多様化が加速するはずです。もうひとつは、生徒置き去りのまま個別最適化を叫ぶと、誰が準備をしたのかもわからないカスタマイズ問題集に、本人たちはどういう理由でその問題を解いているのかもわからないままに受け身で渡された教材をただこなすだけになります。これが本当に個別最適化で目指したい教育であったのか。むしろ生徒自身の主体性を活かすためにこそぜひ情報技術を使っていただきたい。この2点に注意さえすれば、私自身は技術も好きだし学生時代からAIなどの情報技術に長く触れてきたこともあるので、生徒の役に立つと基本的には信じていますが、そればかり前に出すと従来の教育を疎かにしているのではないかといった誤解を招いてしまうので、ただただどちらも生徒にとって大事だと思っているということが伝わると嬉しいです。

 

>> 後半へ続く

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