ポイントは「選択できること」「幅と寛容度」「やさしいどうして!?」
第126回オンラインシンポレポート・前半

活動報告|レポート

2023.7.28 Fri
ポイントは「選択できること」「幅と寛容度」「やさしいどうして!?」</br>第126回オンラインシンポレポート・前半

概要

超教育協会は202367日、ノートルダム清心女子大学 人間生活学部児童学科 准教授/インクルーシブ教育研究センター長の青山 新吾氏を招いて「インクルーシブ教育を実装するために ~今、通常学級でできること~」と題したオンラインシンポジウムを開催した。

 

シンポジウムの前半では青山氏が「インクルーシブ教育」の定義を説明したうえで、それを実現するために通常の学級で実践できる取り組みについて提案。既に取り組んでいる学校の事例も多数織り交ぜながら、日本の「インクルーシブ教育」が目指すべき方向性を示した。後半では、超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、 視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。その前半の模様を紹介する。

 

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「インクルーシブ教育を実装するために ~今、通常学級でできること~」

■日時:2023年6月7日(水)12時~12時55分

■講演:青山 新吾氏
ノートルダム清心女子大学 人間生活学部児童学科 准教授/
インクルーシブ教育研究センター長

■ファシリテーター:石戸 奈々子
超教育協会理事長

 

青山氏は、30分間の講演において、まず「インクルーシブ教育」の言葉の意味や定義について日本とグローバルの違いを交えて説明し、グローバルな定義に基づき日本の教育現場で実践できる取り組みを提案した。

【青山氏】

「インクルーシブ教育」という言葉の意味合い、定義について、あまり整理されずに曖昧なまま使われているという印象です。文部科学省は「インクルーシブ教育システム」という用語を使いますが、これは特別支援教育の延長上にあるもので、障がいのある子どもたちを対象にしています。一方、グローバルで用いられる「インクルーシブ教育」という言葉には、統一された定義がなく、例えばユネスコの定義によると、さまざまなマイノリティを含むすべての子どもたちを対象としていて、そもそも文部科学省が対象としているものとは異なります。さらに日本の中には「フルインクルーシブ教育」との言葉も使われています。こちらは現在の通常学級にすべての子どもたちが在籍し、学んでいくことを目指しているもので、50年ぐらいの歴史の中で脈々と受け継がれる取り組みです。

 

▲ スライド1・「インクルーシブ教育」の言葉と
その定義は統一されていない印象がある

 

本日は、「インクルーシブ教育とインクルーシブ教育システムは異なるものである」という前提でお話します。ユネスコによるインクルーシブ教育は、障害のある子どものみではなく全ての子どもを対象とするものです。現行の教育システムにどう子どもを合わせていくのかではなく、教育システム自体を変えていく発想が必要という考え方です。文部科学省の「インクルーシブ教育システム」の考え方、つまり特別支援教育から発想するものとは定義が異なります。

 

▲ スライド2・ユネスコの定義では、
障がいのある子どものみではなく
全ての子どもが対象となる

 

インクルーシブ教育とは、3050年の長い年月をかけてより良いシステムを模索するプロセスそのものであり、それを実装していく取り組みです。そのことをきちんと踏まえて、今できることを考えていくことが大切です。

 

▲ スライド3・長い年月をかけて
インクルーシブ教育を実装していくため、
今できることを考える

インクルーシブ教育のために通常学級で「今、できる3つのこと」

通常学級を変革していく過程で、どうインクルーシブ教育を進めていくか、そのために「今できることは何か?」を考えてみたいと思います。結論に近いことを示すと「多様性と差異を大切にする取り組みを少しずつでもよいから取り入れ、通常学級の教育を変革していくこと」になるでしょう。通常学級にこの取り組みをどう入れていけるか、いくつかの視点を示しながら一緒に考えいきたいと思います。

 

まず1つめは「授業をつくる」ことです。どうつくるのか。ポイントは「子どもたちが選択できる」です。

 

▲ スライド4・通常学級を変革するための提案1、
授業を「選択できる」ようにする

 

本学の学生にここ10年ほど、毎年問いかけていることがあります。本学に入学するまでの小中高12年間の授業の中で、例えば国語の授業などで、先生から配られるのではなく「自分にとって書きやすい原稿用紙を選べて使えた授業を一度でも受けた経験はありますか」というものです。2023年の1年生120人程度のうち、「ある」と答えたのは9人だけでした。過去にはひとりもいなかった年や、1人や2人といった年が続いていましたので、10年間で10倍に増えことにはなりますが、授業中の「選択」のハードルは想像よりも高いのではないかと思います。

 

私の講義を受けて中学校で教育実習をした学生は、「みんな同じやり方では学べない生徒たちが必ずいる。生徒がみんな学びに参加できるようワークシートを取り入れてみよう」とワークシートを自作し、指導の先生に提案してみたそうです。しかし、指導の先生には「ノートに書かないと、生徒の力がつかないため、ノートに書くように指導してください」と言われ、ワークシートを使う案は却下されたそうです。

 

もちろんこれらは、すべての中学校の実態ではありません。そういうこともあったというエピソードです。その学生は、「ノートに書いても力がつかない生徒、そもそもノートに書けない生徒の存在は、一体どのように考えるのだろうか。そこは考えずに授業を作って進めていくことになってしまうのだろうか」といった議論を、大学に帰ってしていました。

 

逆に、ワークシートを積極的に取り入れる中学校の研究に関わったこともあります。先生方がどんどん自作されていたのですが、面白いと思ったのは、「全員に同じワークシートを配る」という大前提の発想からは、抜けていなかったことです。

 

▲ スライド5・子どもたちが
「選べる」授業をつくるには、
一人ひとりの違いを理解することが大切

 

実際には、いろいろな生徒たちがいるはずです。虫食い型の(解答欄がある)ワークシートを使うことで学びに参加できる生徒もいるでしょう。虫の食い方も一律でよいかどうかは当然、違うはずです。また、自分で記述するスペースが多いほうが良いという生徒もいるでしょう。そもそもワークシートはいらない、罫線だけのプリントに自分の言葉を自分の力でアウトプットすることを促せばモチベーションが上がる生徒もいます。そのようなところに、一律なものを配ってしまうことは、果たしてよいことなのでしょうか。

 

このように、選択すること一つとっても、丁寧な協議や議論をしていかないと、なかなか次に進んでいかないところがあります。ある学校では、生徒自身が選択できることが大切だと、いろんなタイプのプリントを作り、自分が使いたいものを選ぶ授業をやってみよう、とチャレンジをしていました。

 

▲ スライド6・いろいろなワークシートや
プリントを作り、子どもたちが選べるようにする

 

しかし、子どもたちのある行動が露呈しました。「自分に合うプリントを選ぶ子がいる」クラスと、自分に合うかどうかよりも「みんなと同じプリント選ぼうとする子が多い」クラスが出てきたのです。教員がいくら説明して促しても、機能しなかったクラスがあったのです。

 

ワークシートのクオリティの問題なのだろうか、ぜんぜん選ばないクラスがあったのはどのような理由からなのだろうか、それが次の問いへとなって、インクルーシブ教育をより深く考えていくことに繋がります。

 

▲ スライド7・自分にあったものを選ぶ
子どもが多くいるクラスと、他人と同じものを
選ぼうとする子どもばかりのクラスがでてきた

子どもたちに「やさしいどうして!?」のまなざしを

2つめの提案は、いわゆる「学級経営」です。子ども達同士の関係性、集団の在り方を学級経営といいます。これも考慮しないと、同じものでも機能したりしなかったりすることが見えてきました。ここ56年で日本にも学級経営学会ができ、学級経営を学術的に研究していこうという機運が高まっています。その学級経営と合わせて、インクルーシブ教育の進め方を考えていきたいと思います。

 

私は、「幅と寛容度」が、学級の中にどれくらいあるかが重要であると思っています。集団で生きていく上で、ルールは必要です。しかし「ルールはこうだけれど、こういうこともあるよね」、「こうできればよいけれど、難しいこともあるよね」、と子どもたち自身が思える幅や寛容度を持てるかどうか。このような視点を持って学級経営を重ねていくことが、インクルーシブ教育を考えていくときに重要なのではないかと思います。

 

集団の在り方は、将来の社会を形成していくときの小さな社会の在り方とも言えるかもしれません。いろんな子ども達とどのように関わって生きてきたかは、長い目で見ると重要だと思います。

 

▲ スライド8・通常学級を変革するためには
学級の集団の中で、
「幅」と「寛容度」を持つことが大切

 

ここにつなげるために何が必要なのかについてが、3つめの提案になります。「どうしてみんなと同じ原稿用紙だと書こうとしないの『かな?』」、「少しマス目が大きい原稿用紙ならモチベーションが上がるようだ。どうして『かな?』」、語尾に「かな?」をつけて、子どもの言動にまなざしを向けることが、幅や寛容度を上げていくときに重要なファクターではないかと考えます。

 

▲ スライド9・通常学級を変革するための提案3
「かな?」と子どもの言動の背景を考える

 

10年以上前になりますが、講義が終わったあとに一人の学生が私のところに来て「先生は、子ども達の言動にまなざしを向けていくことが大切だとおっしゃいましたよね。でも、私『どうして?』という言葉が大嫌いなんです」と言いました。「あなたはどうして、『どうして?』という言葉がそんなに嫌いなのかな、そういう話をしているのだけどね」と私が言ったところ、その学生は笑い、「私は大学に入るまで、両親に『どうしてそれを選ぶの?』『どうしてそれができないの?』など『どうして?』と言われまくって育ってきました。だから私は『どうして?』と聞かれるのが大嫌いなんです」と教えてくれました。私が講義中に何度も「どうして?」と言ったことを謝ると、「違います。先生の『どうして?』は、私が嫌いな『どうして?』とは違う、一緒に考えようとしてくれる、やさしい『どうして?』だと思います」と言うのです。これ以来、私の講演や原稿は全部「やさしいどうして!?」という言葉に変えています。

 

でもこれを申し上げると、よく「現場には、『どうして?』と一緒に考えている時間なんてありませんから」と叱られます。そこには誤解があります。「やさしいどうして!?」のまなざしは、リアルタイムで使うものではないです。職員室に帰ったとき、ちょっと時間を置いてふと子どもの姿が思い浮かんだときに「どうしてあのとき~かな?」と作動するものです。中には、リアルタイムで「やさしいどうして!?」を使って取り組んでいる教育のプロもいますが、誤解があるといけないと思いました。

 

▲ スライド10・子どもの言動を理解するための
まなざし「やさしいどうして!?」が重要

 

インクルーシブ教育を進めていくときの3つを提案として、「選択できることを取り入れていく」、「集団の形成の中での幅と寛容度」、そして子どもに対して「『やさしいどうして!?』のまなざしを向ける」を申しあげました。

 

これらは、日常ありふれた教育活動の中で、当たり前のように自然に融合されていくことが重要で、それが結局、多様性や差異を大切にする取り組みを少しずつ進めていくことになるのではないかと思います。

 

▲ スライド11・3つの提案が日常の教育で
自然に融合していけば、
インクルーシブの取り組みになる

通常学級の変革と特別支援学級の充実 この2つを結び付けて考えなくてはならない

インクルーシブ教育を「今すぐに」実現可能かというと、そうではないと思っています。ユネスコの定義にもありましたが、インクルーシブ教育とは過程であると思います。絶えざる追究の過程こそが「インクルーシブ」だと考えていかなければ、進まないのではないかと思います。

 

一気に実現することはない、そう考えると、令和3年に中央審議会から出ている「令和の日本型学校教育」を進めていく上での指針となる答申が、実は今日のテーマと密接にからんでいるはずだとずっと思っています。国の動向としては、中央審議会の中に「令和の日本型学校教育」を実装させるための部会が置かれています。さらにその中に「義務教育の在り方ワーキンググループ」があり、ここでは今日の講演と重なる内容がきっちりと議論され、報告されています。

 

▲ スライド12・中央審議会
「令和の日本型学校教育」の答申

 

一方、この3月に出されたもうひとつの違う検討会議「通常学級に在籍する障害のある児童生徒への支援の在り方に関する検討会議報告」では、従来の特別支援教育の発想からどう充実させていくかという議論がされ、報告されています。

 

本来これらは重なるはずですが、本日私が申しあげたことは「通常学級の教育がどう変わっていくか」、それに対し日本の国のインクルーシブ教育の動向は「特別支援教育を充実させていく」方向性が強く、これらが結び付いて議論されていないのではないか、そう思えて仕方ありません。ですから、実はここに大きな課題があるのではないかと、少し大きめの問題提起をしておきたいと思います。

 

▲ スライド13・国の動向は
「従来の特別支援教育の発想」からの議論

 

学習指導要領の中で細かく規定されているカリキュラムの柔軟性をどう担保できるかの取り組みと、インクルーシブ教育がセットにならないと、現行の教育の中で全ての子ども達が教育を進めていけるかの観点では、無理があるのではないかと思います。

 

人と人が緩やかに共に生きて育っていくことを丁寧に進めていく先に、インクルーシブな社会を形成していく基盤となる人たちが、育っていくとは思います。しかし先を見据えた議論と今、現在の子どもたちへの教育については、分けて考えるべきなのではないかと思います。これが本日の提案のベースです。

 

そして、環境整備。財的や人的な環境も当然議論していかないと、現行のままでは難しいと思います。

 

広島にあるインクルーシブ教育の研究所が「多様な発想支援士」という新しい事業を始められました。いろんな発想ができるようになるためには、いろんな人の語りに耳を傾け、それぞれの人が置かれた立ち位置でできていくことを探ることが重要だと思います。なかなか個人ではいろんな人に会えないから、そうかなるほど、と思いながら、私はこの事業に非常に期待しています。

 

▲ スライド14・日本インクルーシブ教育研究所の
「多様な発想支援士」新規事業が期待される

 

私たちは、小さな私立大学の研究室で学生たちと、地道に細々とでもよいからやろう、と本日提案したような通常の教育の変革と、インクルーシブ教育をどうからめていけるのか、考えて研究しています。それを踏まえての3つの提案をさせていただきました。

 

>> 後半へ続く

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