概要
超教育協会は2022年9月14日、東京大学名誉教授の廣瀬 通孝氏を迎えて、「VRからメタバースへ –ポストコロナ社会に向けて–」と題したオンラインシンポジウムを開催した。
シンポジウムの前半では、新型コロナ禍で注目度が高まるメタバースとは、いったい何か。バーチャルリアリティ(以下、VR)とどこが違うのか。社会的な大変革をもたらす可能性のあるメタバースを、どう捉え考えるべきか。これらについてVR研究の第一人者であり、東京大学先端科学技術研究センターのサービスVRプロジェクトリーダーでもある廣瀬氏による解説。後半は、超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、参加者を交えての質疑応答が実施された。その後半の模様を紹介する。
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「VRからメタバースへ –ポストコロナ社会に向けて–」
■日時:2022年9月14日(水)12時~12時55分
■講演:廣瀬 通孝氏
東京大学名誉教授
■ファシリテーター:石戸 奈々子
超教育協会理事長
▲ 写真・ファシリテーターを務めた
超教育協会理事長の石戸 奈々子
シンポジウムの後半は、超教育協会理事長の石戸奈々子をファシリテーターに、参加者からの質問に廣瀬氏が答えるかたちで質疑応答が実施された。
戻ってしまってはもったいない
石戸:「社会全体が変化する必要があるとのお話しでしたが、変化しにくい領域の1つに教育があります。Meta(旧Facebook)が巨額の資金を投入してメタバース内に10校の学校を建設すると発表したり、東大もメタバース工学部を開設しましたが、教育機関のメタバース活用の現状と展望をお聞かせください」
廣瀬:「東大では、大学機能をバーチャルな世界に入れていって、通常の講義を『Zoom』で試すなど、徐々に始めている程度ですが、行動に移したのはよいことだと思います。ただ問題は、新しい地盤にどんな教育を持ち込むかです。
これまでも、新しいメディアに何を載せるかが繰り返し試されてきました。僕はテレビ第1世代ですが、子どものころテレビを見ていて、番組作りに困っていると感じていました。劇場中継やプロレスなど、リアルの世界にあるものをテレビで流していた。そこから20年ぐらいしてから、ワイドショーのような、テレビならではのコンテンツが出てきました。
その為、今のようにみんながリモートに入ってきた段階で、『やっぱりリアルは大事だよね』と言って従来に戻ってしまうと、面白いものを味わう前に終わってしまいます。それではもったいない。
僕らより下の世代で言えば、ゲームですね。あんなポリゴン丸見えのクオリティの低いキャラクターに、どうして感情移入できるのかが不思議でした。テレビや映画のほうが、クオリティが高いのにと思うのですが、若い子たちは、違うと言うんですね」
石戸:「昔の感覚で語ってしまうと、変化できませんよね」
廣瀬:「新しい体系には、昔の方法では不可能なものがあるのです。上の世代の人たちに比べて、今の人は絵が描けるようになりましたよね。昔の人は文字遣いが上手かった。その言語感覚はたしかに失われてゆくのですが、その代わりにビジュアルな感覚が身について体系が変わった。そんな感覚で見ています」
石戸:「その時代ごとに必要とされる力があって、衰える力もあれば、代わりに発達する力もある。その変化を受け入れないといけませんね」
メタバースでダイバーシティが実現する
石戸:「子どもの身体性に関する質問がきています。初等教育においては、自我の確立や身体の成長が重要だと考えます。成長期の子どもに関する注意点や、支援が必要な子どもに関する具体的な事例をお聞かせください。という質問です」
廣瀬氏:「きわめて重要な問題ですが、まだよくわかっていないというのが正しい答えだと思います。支援が必要な人については、まったくその通りで、(VRやメタバースが)身体が不自由な人への福音になるというのは、絶対的に言えます。さまざまな人がいろいろなやり方で社会に関与できる新しい方法論を、この世界は可能にします。メタバースの前の前の世代の『LINE』でも、そこでなら有能さを発揮できる人がいる。結果として、そういうふうになるのだと思います。
身体に関して言えば、建築家の黒川紀章さんが提起していたように、人間は動きまわることでいろいろな体験ができています。そうした意味では、身体的な感覚でさまざまな活動ができる能力を持たせることは、きわめて重要です。
リアルとDXとVRの関係を考えるとき、DXが進歩した先にVRがあるとの見方もできますが、逆もあり得ます。DXには身体性がないので、そこにリアルとの中間的な身体性を持たせるという考え方です。すると、メタバースやVRは、DXよりも現在のリアルに近いものになります。また、人間の体を完全にバーチャルに置き換えようとなると、ずっと遠くの話になりますが、どちらも可能です。
質問された方は、『ちゃんとした人間の身体』というものに対して、金本位制のような基軸が必要だとお考えのようですね。そうした方向に進むことは可能です。しかし、変動相場制移行後の通貨制度のように、どんどん変化してしまう危険性もあります。それを危険性と捉えるべきか、新しい世界が開けると捉えるべきかは、まだわかりません」
コミュニティを囲い込んではいけない
石戸:「リアルの世界ではコミュニケーションが困難な人たちも、メタバースのコミュニティでは円滑にできる可能性があるとのことですが、リアルとバーチャルのコミュニティの違いとは何でしょうか。また、メタバースで生きていくために必要なスキルは何でしょう」
廣瀬氏:「根本的には同じですが、バーチャルの世界だと、リアルの世界に比べて予定調和的にできてしまう傾向があります。SNSでも指摘されていますが、会いたくない人を避けることができるので、どんどん小さな世界に固まっていってしまう。DXのように、完全に囲い込まれた世界だけで体験を重ねてしまうと、外の声が聞こえなくなるという、今まさにツイッターなどで言われているような問題が起きてくるはずです。そこは注意しなければなりません。
昔、テレビを見るとバカになると言われましたが、みんながテレビを見てみんながバカなると、自分がバカなのかどうかがわからなくなります。あまりバカバカと言ってはいけませんが、みんながバカになったコミュニティの中は、けっこう幸せなんですね。メタバースは、そうなる危険性をはらんでいます。では、それを外部からどうするか。そこで相互接続性が重要になります。
今のようにプラットフォーマーに権力が集中すると、人はプラットフォームに囲い込まれて危険な状態になってしまう。メタバースでは『囲い込んではいけない』という議論が始まっていますが、違う世界同士をどうやってつなぐかがコンピューターサイエンス全体の問題になっています。
こっちのプラットフォームだとよいが、あっちはいけない、みたいな議論が激しくなると、小さいコミュニティばかりになってしまいます。教育も、ひとつのコミュニティだけで頑張ってしまうと、ほかのコミュニティでは通用しなくなる。したがって、いかにしてコンピューターサイエンスの中で相互関係を持たせるかが、まだあまり意識はされていませんが、大きな課題になります」
この歳で歴史の面白さを知る
石戸:「メタバースと相性のよいコンテンツは、どういうものでしょうか。また、教育においてメタバースと相性のよいものは何かを教えてください」
廣瀬氏:「あくまでも作業仮説ですが、まずはやってみることです。昭和のおじさんたちは、やるからにはちゃんとやろうと計画を立てるわけですが、それは間違いです。ちょっと面白いなと思ったら、すぐやってみることです。
そのようにやってみた中で、面白かったのは歴史です。たとえば、明治維新のときに上野の山に大砲を設置したと言われていますが、どこに置かれたか知ってますか? 『上野の山』ぐらいの認識しかないと思います」
石戸:「たしかに、我々の知識の解像度は低いですね」
廣瀬氏:「それを一発、生々しく見せてやる。今、テレビで大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がやっていますが、あれは、生々しいじゃないですか。僕は鎌倉出身ですが、鎌倉幕府は3代将軍で終わったんだといった程度の知識しかありません。でも、あのドラマを見れば、あの人たちは今の八幡宮の辺りにいたのだなとか、空間的なことも把握できるようになります。将軍もその後けっこう続くんですね。すべてをそれで見せるのは大変ですが、生々しい何かを一発見せれば、面白く感じてハマる人が出てくる。歴史はこんなに面白かったのかと、今、この歳になって思っています。
あとは数学ですね。超空間のような難しい概念をバーチャルで見せるにはどうするか、といったことを数学の先生と一緒にやっています。このように、アイデアを単純に試せるようになってきたことがとても重要な為、そうした方法論で取り組まれたらいいと思います。
ともすれば教育は、体系作りが重視されがちです。たしかに最終的に体系ができるのは重要ですが、そこに同時に、体験という具象的なものとつながれば最強です。
石戸:「体系から入ると途中で飽きちゃって、最後までたどり着けない子どもたちが出てきますよね。まずは体験でインパクトを与えて、頭の中をビックリ(!)マークとハテナ(?)マークでいっぱいにすることが大切ですね」
若い人には開き直ってほしい
石戸:「まずやってみるというのは、教育の分野では非常に難しいことでもあります。『デジタル敗戦国の日本』ではメタバースの普及に長い時間がかかると思いますが、先生はどうお考えでしょう、との質問があります。メタバースを早く普及させるにはどうしたらよいでしょうか」
「たぶん、肩の力を抜くことですね。今日も、(自宅で)講演している途中で宅急便が来ましたけど、あれを許すことですよ。授業はきちんと間違えなくやらなければならないと思われがちですが、いろいろ試すうちに、いいものがだんだん近づいて来るものです。
20世紀の企業社会では、教科書に従ってきちんと計画を立てて実行するという方法を習ってきたわけですが、21世紀はもっとアジャイルで、ロードマップ型ではない形に次第に変わってきています。そうした考え方を身につけなければいけません。
それには、最初に少し失敗してみることです。失敗しないに越したことはないのですが、多かれ少なかれ失敗はします。大切なのは、それを素直に捉えて改善して2度同じ失敗をしないことです。これが大きな教育になります。失敗を恐れて何もしないのがいちばんいけない。
『日本はデジタル敗戦国』と思う必要もありません。たしかに遅れている面もありますが、よくないのは、ネガティブになることです。若い人たちには『だから何だ』と開き直ってほしい。いいものもいっぱいあるんです。大事なのは、その『よいもの』をどう料理して自分の力にするかです。勝ち負けではなく、いいものをどんどん取り込んでいくことが大切です」と廣瀬氏の言葉でシンポジウムは幕を閉じた。