問われる「社会的住まい方の変化」への覚悟
第100回オンラインシンポレポート・前半

活動報告|レポート

2022.11.4 Fri
問われる「社会的住まい方の変化」への覚悟</br>第100回オンラインシンポレポート・前半

概要

超教育協会は2022年914日、東京大学名誉教授の廣瀬 通孝氏を迎えて、「VRからメタバースへ –ポストコロナ社会に向けて–」と題したオンラインシンポジウムを開催した。

 

シンポジウムの前半では、新型コロナ禍で注目度が高まるメタバースとは、いったい何か。バーチャルリアリティ(以下、VR)とどこが違うのか。社会的な大変革をもたらす可能性のあるメタバースを、どう捉え考えるべきか。これらについてVR研究の第一人者であり、東京大学先端科学技術研究センターのサービスVRプロジェクトリーダーでもある廣瀬氏による解説。後半は、超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、参加者を交えての質疑応答が実施された。その前半の模様を紹介する。

 

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VRからメタバースへ –ポストコロナ社会に向けて–」

■日時:2022年9月14日(水)12時~12時55分

■講演:廣瀬 通孝氏
東京大学名誉教授

■ファシリテーター:石戸 奈々子
超教育協会理事長

 

VRからメタバースへ

【廣瀬氏】

今日は、最近話題のメタバースについて、いろいろな視点からお話しします。メタバースはVR技術との関わりが深いため、まずはVRについて説明します。

 

みなさんは、VRはコンピューターサイエンスの中では比較的新しい言葉だと思われているかも知れません。しかし、VRという言葉が初めて登場したのは今から30年ほど前の1989年、平成元年のことでした。平成と同い年です。決して、昨日今日登場した技術ではありません。

 

VRのエッセンスは、コンピューターの中に入り込んでいろいろな体験ができる点にあります。その技術の特色は「体験を合成すること」だと言われています。人の体の中など本来は見えないものを見たり、あるいは遠方の世界を見たり、また自宅にいながら講演会に参加して何かを体験する、話をするというようなことです。

 

時間を超えることもできます。スライドの上のほうにありますが、タブレットをかざすと昔の光景が見えてきて、過去を体験できるといったようなものです。これは教育に大きく関係してくると思われます。これらのことが、メタファーではなく行えるのが、VRの面白いところです。

 

▲ スライド1・VRは体験を合成することのできる技術である

 

ICTやDXなどを使えば、なんとなく現場に行ったような気になることはできますが、それはあくまでメタファーです。対して、本当に現場に行ったときと同じ体験ができるのがVRであり、従来の情報系技術と決定的に違うところです。

 

さて、ここ(スライド2)に顔写真がありますが、VRという言葉を最初に言い出したジャロン・ラニアーです。VPLリサーチという会社の創設者である彼は、1989年67日、初のVR製品を発表しました。

 

▲ スライド2・VRは新大陸である

 

そのときのプレスリリースで彼は、6月7日を「VRデー」として、コロンブスがアメリカ大陸を発見した記念日であるコロンブス・デーと同じように祝うべきだと主張しているのです。大層なことを言っていますが、我々は新大陸を、新しいフィールドを発見したのだと鼻息が荒げていたのです。ここからVRの歴史が始まりました。

 

実はこの新大陸が発見された時点で、メタバースに近い概念が登場しています。最初にメタバースという言葉が登場したのは『スノウ・クラッシュ』(Neal Stephenson著、1992年)という小説でして、コンピューターの中で我々が活動する空間があると考える人が以前からいたということです。ウォルト・ディズニーは『トロン』(1982年)という映画を作りましたが、コンピューターの中に入り込むという概念は、その当時からあったわけです。

メタバースの定義とは

ここで、メタバースの定義についてお話ししておきましょう。「メタ」には「もうひとつの」という意味があります。「メタサイコロジー」などという言葉もあります。「超心理学」と訳されていますが、「超」と言うと上下関係になってしまう。英語圏の人に聞くと、メタは「Set aside」の意味だそうで、「別の」という言い方をしたほうがよさそうです。

 

「バース」は、「ユニバース」という言葉があるように、天文学用語で「世界」を意味します。したがって、メタバースは「もうひとつの世界」となります。定義からすれば、VRの世界にみんなが入っていくというジャロン・ラニアーが提唱した世界に近いため、VRや拡張現実(AR)と非常に近い言葉だと思ってよいでしょう。

 

ただし、軸足が違うということに注意してください。そこに注目すると、まったく違ってきます。いちばんの違いは、「複数人のコミュニティをサポートする」という点です。

 

VRは、目の前の3D空間を体験するという、どちらかと言うと自己中心的な世界です。そこに大勢の人が入ってきてワイワイやるというのは、軸足のひとつでしかないのです。

 

ところがメタバースというのはコミュニケーション系の技術であるため、コミュニティ作りが中心になります。メタバースには、インターネット利用者の思いが込められています。僕はVRの研究者の為、個人的な体験から始まったVRが、だんだん人が集まってソーシャルな形に進化しメタバースへ向かっていくと説明するのですが、そうではなく、コミュニケーションを前提としたツールがVR的な体質を身につけていくという方向で語られるべきだという人もいます。

 

1986年に、ルーカスフィルムが開始して後に富士通が展開していた『ハビタット』というサービスがありました。もともとはRPGから始まった、今で言うSNSのようなコミュニケーションツールです。

 

▲スライド3・メタバースの先祖たち

 

もうひとつ、ゲームからの流れもあります。『ファイナルファンタジー』などのゲームがVRにつながっていくという形です。

VRプラスDXがメタバース」

今、気になっているのは、世の中でよく言われているDX技術とメタバースとの関係です。DX側の人たちは、DXの延長線上にメタバースを見ています。

 

「Zoom」などのDXツールで講演会を行うとき、参加者全員がカメラを消してしまうと相手の反応が見えないためにテレビで話をしているような感じになります。それでは通常の講演会と違うじゃないかということで、身体的、空間的なものを付けた形で開催できたら素晴らしいじゃないかと、そういう流れもあります。今あるビデオ会議に、身体や空間を付け加えることでメタバースの新しい世界が広がるという考え方です。

 

▲ スライド4・VRとDXの融合

 

ですから、VRにDXのコミュニティ性を付けていくとメタバースになる。あるいは、DXにVRを付けていくとメタバースになる。そのようなルートがあるということです。「VRプラスDXがメタバースだ」と言ったら、すごくわかりやすいと褒められたことがあります。

 

さて、このスライドにある『メタバース・ロードマップ』(A Metaverse Roadmap: Pathways to the 3D Web, 2007、ACCELERATION STUDIES FOUNDATION)という本が、けっこうきちんとした教科書的役割を果たしており、そこに面白い分類が載っています。2つの分類軸があり、縦軸が「Real」と「Virtual」、意識の軸足が現実世界なのかシミュレーションの世界なのかというもの。横軸が「Intimate」と「External」、軸足が体験する自分自身にあるのか、外の世界にあるのかというものです。この2軸で分けられた4つの象限を見てみると、見通しが付くかと思います。第4象限には「Virtual World」とありますが、これは完全に自己中心的なバーチャルな世界で、ファンタジーの世界の中で遊ぶといった、きわめてVRに近い世界です。第3象限は「Mirror World」とあります。自分自身の体験というより、もう少し外側に意識を移した世界です。「デジタルツイン」という技術がよく言われるようになりましたが、これはバーチャルな渋谷のような仮想空間に軸足を置いたものです。「Google Earth」の「ストリートビュー」のような、バーチャルに再構築された世界を遠足するといったようなことです。

 

▲ スライド5・メタバースのいろいろ

 

上の象限に行くと現実に近づいてきて、リアルな世界でバーチャルなものを見るという形になります。実際の渋谷に行って、そこで携帯などでバーチャルなものを楽しむというARの世界です。

 

このように、VRとメタバースとは非常に近い関係にありますが、お話しした通り、いちばん重要なのは、ネットワークの中に活動空間があるという枠組みです。これにどういう意味を持たせるかが、まさにこれからの課題です。そこでゲームをしたいという人には、ソーシャルゲームにとても適した場所になりますし、そこで何かを語り合いたいという人には、よいコミュニケーション空間になるでしょう。そこで商売をすれば、価値の循環が生まれて経済的な色彩が強くなっていく。またはシミュレーションなど、いろいろな可能性があります。そういう意味で、楽しみだと言われたり、未知だと言われたりしている面白い世界なのです。

 

このように、経験をベースとした第2、第3の空間が作られるようになると、ここで当然、教育というアプリケーションが重要な話題になってきます。

メタバースに関わる技術

技術的な話をしておきましょう。どんな技術が関わってくるかという話の一丁目一番地に出てくるのが、ネットワーク技術です。たくさんの人がログインしてくるために、メタバースはネットワーク技術と不可分の関係にあります。

 

現在のネットワークでは、DXでコンピューターを利用する場合、Webブラウザーを通じて使う形になります。しかし、VRはいまだに単体でコンピューターを使っている状態です。コンピューターを「生で」使っているようなもので、これからWebに載せようとしている段階です。つまり、間接的な形でコンピューターを使う構造にVRを進化させようとしているのが現状です。今後、VR技術とネットワーク技術が一緒になる必要があるのです。

 

もうひとつが「アバタ」(分身)の技術です。我々が電子空間で活動する際には、体を持つことで歩いたり物をつかんだりできるわけです。ある意味、体はインタフェースのツールとして、きわめて重要であり、そうしたアバタをどのように作るかが重要な技術になります。

 

これは僕ですが、自分とは違う体を使うほうが面白いかも知れません。もっとはるかにイケメンになって登場したり、または女性になってもよい。そうした身体と意識の不一致は、コンピューターサイエンスというよりは心理学的な研究対象になりますが、それを含めた技術が、今、注目されています。

 

▲ スライド6・アバタ

 

ちなみに現在、メタバースに入り込んでいる人たちは大勢いるのですが、9割方が男性で、圧倒的な男性優位です。しかし面白いことに、その男性の多くが女性のアバタを使っています。

 

そのようにアバタを変えることで、しゃべくりが上手くなるなどの効果が確認されています。ものすごく口下手な人間をサイバー空間に連れて行くと、しっかりと人を仕切るようになって、「こいつ、こんなに優秀だったのか」と驚いた、などという話も聞きます。そういう意味で、別の世界を用意することには、教育的な効果があるのかも知れません。

 

インタフェースの問題も、非常に重要だとされています。メタバースと聞くと、すぐにHMD(ヘッドマウントディスプレイ)のような姿を連想する人もいると思います。たしかに、HMDはVR的なメタバースを体験するには適していますが、これを一般の人たちに一気に普及させるのは難しいため、もっと違ったインタフェースを考える必要もあります。その為、スマホやPCを使った部分的なメタバースへの接続ということも配慮しなければなりません。このようにインタフェースをもっときちんと考えないといけない、というのが技術上の3つめの課題となります。

 

▲ スライド7・インタフェース

 

コロナ禍とメタバース

メタバースを語る上で、コロナの話は不可欠です。このオンラインシンポも第100回になりますが、コロナがきっかけで始まったとお聞きしました。実は、2003年、2005年、2007年にもメタバースブームがあったわけですが、そのころ「セカンド ライフ」というメタバースの祖先みたいなシステムがあり、それがブームの牽引役となりました。今でもサービスは続いています。当時ほど熱狂的ではないまでも、このゲーム内で回っているお金の額は、トンガのGDPに匹敵するほどだと言われています。

 

▲ スライド8・2003年 Second Life 運営開始
→ 第1期メタバースブーム

 

「セカンド ライフ」はコロナ前のものでしたが、コロナ後の現在、こうしたものに対する社会の受け止め方は大きく変わりました。コロナの到来が10年前だったらと想像すると、怖くなりませんか? まだリモート環境が十分に整っていなかったし、「Zoom」のようなツールがWebブラウザーに載っていなかった。何よりネットワークのハードウェアは、ようやく画像が送れる程度でした。それではリモートワークは行えず、すべてが止まってしまったのではないかと思います。

 

こうしたリモート的なものは、コロナ以前は「あったら便利だし面白いよね」という認識だったものが、今では無いと生き残れない技術となり、社会が完ぺきに変わってしまいました。

 

また、我が国でも諸外国でも、オンライン・リテラシーが決定的に上がりました。この機会にオンライン・リテラシーを強化した企業は、今後の生存率を高めたと思います。何もせずにやり過ごそうとしている企業は、この先あまりよいことない。これはハッキリ言えることです。

 

僕自身もそうなんですが、リモートは辛いという人が多いと思います。リモートはたしかに不完全です。しかし、よいことがたくさんあります。僕が実感したのは、リアルの世界での移動時間です。僕は本郷にオフィスがあって、ときどき駒場に行って授業をしています。東京都内ですが、本郷から駒場の往復には1時間ぐらいかかります。駒場で1時間ちょっとの授業を行うと、時間効率は40パーセントほどです。ところがこれがリモートなら、直前まで別の仕事ができるので100パーセントになります。実際今日も、午前中に北海道で開催中の学会のセッションがあり、それが終わったらすぐにこの講演をしているわけです。そういうことが可能になるわけです。それなら、仮にリモートでのパフォーマンスが50パーセントであっても、十分にペイするでしょう。

 

そういう意味では、都市と郊外という20世紀型の我々の居住の仕方も、これから壊れていってしまうかも知れません。友人の隈研吾さんも言っていますが、大都市のオフィスに通勤するというのが20世紀では当たり前でしたが、在宅をベーストした住まい方になると、ちょっと違ったライフスタイルも登場してくるでしょう。

 

▲ スライド9・カプセル化された個人を
基本とする自律協調型社会

 

ただ、リモートになると、講演会などでお金が取れなくなるという問題が起こります。これには社会的な合意が関係してきます。リモートでの経済の循環について、どれくらいきちんと議論できるかが問題になります。ここは、経済学者も考えている点です。

 

VRはビジネスになるのかを考えるとき、最初は、小さなVRのメーカーが大きくなっていくという、スライドの赤の矢印の動きが単純に考えられていたのですが、それとは別のDXとVRの関係から見ると、すでにある程度の市場を持つGAFAのようなところがVR性を取り入れてメタバースの世界に入っていくという黄色の矢印の流れも考えられます。これには真実味があります。

 

▲ スライド10・VR大規模経済圏を考える枠組み

 

またメタバースには、お金それ自身が違ったものになっていくという流れもあります。これは、仮想通貨やNFTといった実際のお金の世界の先にVR経済圏というメタバースがあるとの認識です。

 

そうした意味で、社会はものすごく変わっていくだろうという予感があります。20世紀の象徴とも言うべきモータリゼーションという考え方も揺らいできます。本当に動く必要があるのかを考えるべきです。黒川紀章さんは「動くことは人間の本質だ」とおっしゃっていますが、「動き」とは物理的に動くことよりむしろ、情報を取り込むことが目的ですからね。

Society 5.0とメタバースの関係

「Society5.0」の時代が来ると言われていますが、それとメタバースは大きく関係しています。メタバースの周辺には、いろいろな変化のキーワードが散乱していて、これらがどう関係するのかは不明です。しかし、今申し上げたように、メタバースは社会的な住まい方の変化であり、単純にひとつの技術がポコッと変わったといったレベルの話ではありません。どれくらいの覚悟を持って社会を変えていくのか、という話なのです。

 

▲ スライド11・これらは全部セットかもしれない

 

両生類が、は虫類に進化したことで、生物は陸上に進出できるようになりました。簡単に言えば、卵に殻ができたのです。両生類の卵には殻がないので、陸上では卵が産めなかった。しかしここで単純に、「卵に殻があったらよいよね」という浅知恵で殻だけ付けてもダメです。ただ卵が突然変異しただけで両生類のままだったら、卵の殻を破れません。同時にくちばしが備わらなければ、卵の殻はかえって害になります。それと同じように、メタバースが面白いからといって、何でもメタバースに押し込むだけではダメなのです。

 

▲ スライド12・覚悟とは:
システムの変更とコンポーネントの変更

 

「全体が変わること」が非常に重要です。そうした議論の中でメタバースが語られなければなりません。その技術を考えていくうえで、おそらく教育が非常に重要になります。

 

最後に、VRとメタバースの違いについて言っておきたいことがあります。Society5.0は、少しわかりづらい言葉ですが、情報技術が基盤化するということなのです。

 

心理学ではよく「図」と「地」という言葉を使います。図とは目の前にある物で、地は背景を意味します。通常は図のほうが主役になりがちですが、実は地味ながら、地の方が重要です。背景が揺れてしまうと、我々の体も揺れてしまって大変なことになりますからね。

 

VRは図です。いざとなったら捨てることができます。それに対してメタバースは地です。基盤なので簡単には捨てられません。そこがVRとメタバースの本質的な違いと言えます。

 

>> 後半へ続く

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