概要
超教育協会は2022年1月19日、テレビプロデューサーで株式会社スチールヘッド代表取締役の小松 純也氏を招いて、「教育とエンタメの違いがわからなくなった件」と題したオンラインシンポジウムを開催した。
シンポジウムの前半では、小松氏が、長年携わってきたテレビ業界と、教育業界におけるコンテンツ作りの意外な共通点などについて講演し、後半では、超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに参加者を交えての質疑応答を実施した。その後半の模様を紹介する。
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「教育とエンタメの違いがわからなくなった件」
■日時:2022年1月19日(水)12時~12時55分
■講演:小松 純也氏
テレビプロデューサー
株式会社スチールヘッド代表取締役
■ファシリテーター:石戸 奈々子
超教育協会理事長
▲ 写真2・ファシリテーターを務めた
超教育協会理事長の石戸 奈々子
シンポジウムの後半では、ファシリテーターの石戸 奈々子より参加者から寄せられた質問が紹介され、小松氏が回答する質疑応答が行われた。
視聴者や子供の「心を動かす」手法に高い関心
石戸:「『チコちゃんに叱られる!』の問いの立て方は本当に素晴らしいですね。視聴者からも『チコちゃんの質問はいつも秀逸だと思います。これからは子供たち自身が問いを立て、課題を見つけることがすごく大切になるので、そのノウハウを確立することは教育現場にとっても重要です。当たり前を疑うことが難しい中、チコちゃんではどうやって質問を考えているのでしょうか』という質問が届いています。いかがでしょうか」
小松氏:「説明が難しいのですが、あえて言うなら『世の中をできるだけ先入観を持たずにフラットに見る』ことでしょうか。世の中のあらゆるものの理由を『何でだろう』という目線で考えてみることです。ただ、テーマの選定に関しては、できるだけ身近なもの、当たり前のことを疑ってみるということを大事にしています。目の前にあるものをこれまでの自分の主観、あるいは文脈を取り払って疑いの目で見るといろいろな問いが立ち上がってきます」
石戸:「子供たちの素朴な『なんでだろう』にきちんと答えてくれる大人の存在が、いつまでもそのような感性を失わない、好奇心を持った大人を育てることにつながるのかもしれませんね。
次は私からお伺いします。『ラフ&ピース マザー』は、ワークショップのような主体的・創造的な学びを促す、言葉をかえるならば21世紀型スキルや非認知能力を育む遊びと学びをデジタルで取り組むチャレンジとしてスタートしました。つまりリアルな体験をどうデジタルで表現するかにチャレンジしていらっしゃいます。もちろん映像制作のプロであり、それら番組の漫画などの紙メディアへ展開もされています。
学校現場でもいわゆる対面型の授業で紙のメディアが採用されているほか、視聴覚教育もあり、今後それらをデジタル化していく動きがあります。リアルとデジタル、あるいは紙と映像で、それぞれに『できること』と『できないこと』があると思いますが、それぞれのメディアを教育に活用するにあたって何かお気づきのことがあれば教えていただけますか」
小松氏:「対面授業で発せられる言語メッセージには、文字だけではない、いろいろな機能があるとよく言われます。高校生の時の社会の先生は、地理を教えながら『ここはこういう国だ』とさまざまなことを教えてくれたのですが、語尾の口調や声の出し方、さらに目つきや顔つきを通じて弱者に対する共感や権力に対する疑問が伝わり、当時子供だった私はそれに激しく共感していました。このように、あることを教える際、教える内容そのものだけでなく教える側のエモーションや人生観も一緒に伝わっていくことは、直接教えることの大きなメリットであると同時にリスクでもあり、先生のスタンスによっては非常に大きな力を発揮します。
また、『言葉や映像』と『文字やデジタル』には、『流れていってしまうもの』と『残るもの、見渡すことができるもの』という大きな違いがあります。映像が中身の把握に時間がかかるのに対し、紙に書かれた文字は、在り処さえわかっていれば素早く見ることができ、必要な部分だけを選んで要約し、理解することができます。
文字がデジタルになると管理の利便性がさらに高まり、探す手間もなく簡単に呼び出せるメリットがあります。要約して伝えたり、反復的に利用したりするならデジタル文字で圧倒的に利便性が高まるので、教育現場でもデジタルの効率的な活用で時間に余裕を作り、その時間で先生方には子供と対面で向き合い、人としてどうかという人格的薫陶や世の中について語り合う時間を作っていただきたいですね」
石戸:「コロナ禍での一斉休校を経てオンライン授業への注目が高まり、結果として「対面の授業でしかできないこと」についての議論も生まれています。その時に参考になるお話ですね。
次は視聴者から、『チコちゃんに叱られる!では、視聴者側への回答が出る前に回答を聞いた一般の方のリアクションが挿入されますが、その効果とは何なのでしょうか。皆で考えることで参加している一体感を高める気がしますが、もし制作者側の意図があれば教えてください』という質問がありますが、いかがでしょうか」
小松氏:「基本的には『その問いが皆で共有できるものである』ことの表現です。結果として誰もわかっていないということを周知させるというプロセスです」
石戸:「子育てでも教育でもスイッチを入れることはすごく大切かつ難しいことですが、エンターテイメントはスイッチを入れることの工夫に長けた領域だと思います。スイッチを入れるための工夫としてよく使われているパターンがあったら教えていただけますか」
小松氏:「自分もやってみたくなるという感覚を演出することはよくあります。例えば、以前作った『トリビアの泉』という番組なら『へぇ』というものです。見ている人たちが一緒にテーブルを叩きながら『へぇ』と言いたくなる、言いながらやるのが楽しいという感じです。
また、『人生最高レストラン』は、今まで食べて一番美味しかったもののお話をするという番組です。『今までで一番美味しかったもの』というのは、仲間うちでの食事会などでも最も月並みなテーマの一つですが、番組として見たとき、私もこれについて話してみたいと思える感覚、自分も参加したくなる感覚が『共感のスイッチ』を入れるきっかけになります。
他人が楽しそうにしていることが自分もやってみたくなる新鮮さを帯びているかどうか、そのあたりの心の工夫は番組を作るときにいつも意識していることです。言い換えると、日常の中で自分たちが他愛もない話をしている時にどういうことが盛り上がるかということは日々意識しています」
石戸:「次の質問は、『意識できる限界を乗り越えるフロー感覚は、次のステップに向かってチャレンジするもしくは努力すると言う意味でも非常に大事な視点だと思いますが、他の例のうち教育に関するところで何か良い例があれば教えていただけますか』というものです」
小松氏:「例えば、教育を一対一ではなく集団でやっていることで、友達が逆上がりできたことを『自分にもできるかもしれない』と前向きに捉えられるように導いていけることには大きな意味があるかもしれません。また、その時点では解決できないけれども、考えて、努力し、探求すれば乗り越えられる、子供たちが今持っているものの『少し先の楽しげなこと』を提案する語り口、そのあたりを子供たちに提案して一緒に考えていくことにも意味があると思います。
あとは教えて行く大人たちが、自分はどういうことだとワクワクするのか、己に問うてみることでしょう。例えばりんご飴。一番ワクワクするのは買う時で、食べてみたらちょっとがっかりする人が多いでしょう。講演でちょっと触れた化石掘りの話でも、化石がある山を遠望しているときの方が、化石を掘っている地層に直接向き合っている時よりもワクワクしているかもしれません。
教育の現場でさまざまなことに向きあう中でも自分の心の動きをイメージしてワクワクするポイントを見つけ、それがピークになるような話の流れ、物事の運びの流れを構築していく。抽象的な表現で申し訳ありませんが、物事の具体を一度抽象化し、それをもう一度当てはめて考えていくと物事は整理しやすくなっていくと思います」
石戸:「『限界を超える時にワクワクする』といっても限界は人によって違うので、テレビであればその最大公約数をどうやって取ればよいのか、一方でデジタルなら個別最適化できるのでそれぞれの限界を超えたワクワク体験が創出しやすいのか、などと思いながらお話を聞いていたのですが、今のお話だとむしろ集団教育の中の方が限界を超えるワクワクを演出しやすいのですか」
小松氏:「そう思います。子供は日頃から、友達との間に一緒に過ごしてきた時間のコンテキストが流れていることを常に意識しています。自分よりも不得手だったことを友達ができるようになるのは、その子にとってすごいモチベーションになります。また『あの子にはいつも勝てない』と諦めないように大人がフォローしていくことで子供たちが伸びて行くということもあるでしょう。
子供たちの中にどういう文脈が流れているかを意識しながら、子供がそれぞれのストーリーを自分で意識して達成できるように導いていく。これを個々の子供たちに対して行うのは大変ですが、集団で何かに取り組むというのは、そういうことが自動的かつ同時多発的に起こりうる状況であるとも言えるでしょう」
石戸:「お話されていた『子供が縁石の上を歩きたがるのはなぜか』という問いについて、私は瞬間的に『未知の世界を探求することの楽しさ』を思い浮かべたのですが、回答はそこから一歩進んで『限界を超えることにチャレンジし能力を高めた瞬間に恍惚感が得られる』でした。これは何をもってそう言えるのか、そのエビデンスの取り方が教育における効果を測る上ですごく面白いと思えるのでお伺いしたいです」
小松氏:「これについては専門家の先生の解説がわかりやすいので、詳しくは先生に聞いていただきたいのですが、私個人の受け止め方としては、『新たに何かを知ることで自分が心で感じている世界が少し変わる』ということが、人間と世界の向き合いの中で起こってくると思っています。私は芸能関係にいるから常に意識しているのですが、好きなタレントやアイドルができると世界が変わる、明日が楽しみになる、そういう感覚に近いのではないかと理解しています」
石戸:「最後は視聴者から、『企業で雑談の時間が急激に減っていることがデータから分かっていますが、その事が与える影響はどういうものがありますか』という質問です。私の大学でも、オンラインになって効率的にいろいろ授業ができる部分もある反面、雑談が減ることで落ちてしまう教育的効果もあるのではないかという研究をしている学生がいます。特に小松さんのように、ディスカッションを重ねながら創造的に活動していくことが求められる現場では、雑談が減ることの影響にはどういうことがありますか」
小松氏:「私たちの仕事は、『世の中の気分』と言う非常に不可解なものを追いかけ、捕まえようとします。特に現場では、書かれた言葉、文字的なコミュニケーションだけでは捕まえきれないものを捕まえないといけません。雑談の中には、私たち自身が日々の暮らしの中で感じているいろいろな脈絡が吐き出されていますから、それができない現在の状況には非常に苦労しています。
『こういうことを良しとする』あるいは『こういうことが悪い』という感覚は筋道立てて語られるものではありません。それどころか、実は世の中の気分自体が筋道立っておらず、いろいろな脈絡が絡み合ってできている不可解な物で、特にバーチャルコミュニケーションの中では、話し相手の顔つきなどを含めて感じられるコミュニケーションは伝わりづらい、共有しづらいものがあります。
私たちが潜在意識の中で感じている、この複雑怪奇な世の中の気分の一番正しいセンサーは私たち自身ですから、今までの世の中にないものを本当に生み出したいならば、私たち自身の直感をお互いに交換するコミュニケーションが不可欠ですが、現在の環境では難しいですね。
ただ、これまでの経験から言えることは、簡単に言葉にできる方法や論理から今までにない斬新なテレビ番組やヒット番組が生まれた覚えが全くありません。むしろ、世の中で感じていることを直感的なコミュニケーションで会話し、それによって脳内に構築されていくもので番組を作った時にヒットしている感覚があります。
注意したいのは、そうした感覚で構築したものを一度論理に戻して、その方法でもう一つヒット作を作ろうとすると必ず失敗します。直感的に作っていたものを論理的に方法論で作ったと勘違いしてしまったことが間違いの元なのですが、たぶん論理に落とし込んでいく過程でいろいろなことがこぼれ落ちている、そのことに気づいていないのです。
いわゆる方法論とか事務的に必要なコミュニケーションの手段という意味ではリモートは非常に効率的ですが、摩訶不思議な直感みたいなものを相互に交換しつつ、その過程で筋道が立って形になっていくもの、これはビジネスでも教育でもさまざまな現場でもあると思いますが、そういうことがちょっと作りにくくなっているという気がします」
最後は石戸の、「エンターテイメントでも教育でも、あるいは他の分野にも共通することかもしれないですが、人の心を動かすものを作るためには人間の本質に迫る必要がある、ということを改めて感じた」という言葉でシンポジウムは幕を閉じた。