「自由を相互承認できる市民」を育む新しい学校の姿とは
第55回オンラインシンポレポート・後半

活動報告|レポート

2021.9.3 Fri
「自由を相互承認できる市民」を育む新しい学校の姿とは<br>第55回オンラインシンポレポート・後半

概要

超教育協会は2021720日、熊本大学教育学部准教授で教育哲学者の苫野 一徳氏を招いて、「『そもそも教育は何のため?』から考える『公教育の構造転換』」と題したオンラインシンポジウムを開催した。

 

シンポジウムの前半では、苫野氏が、人類の歴史を大きく変えた公教育の役割と150年間に生じたその歪み、そして「学び」と「公教育」を構造転換する「3つのカギ」についての講演を行い、後半では、超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに質疑応答を実施した。その後半の模様を紹介する。

 

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■日時:2021720日(火)12時~1255

■講演:苫野 一徳氏

熊本大学教育学部准教授/教育哲学者

■ファシリテーター:石戸 奈々子

超教育協会理事長

 

▲ 写真・ファシリテーターを務めた
超教育協会理事長の石戸 奈々子

 

シンポジウムの後半では、ファシリテーターの石戸 奈々子が参加者からの質問を紹介し、苫野氏が回答するかたちで質疑応答が実施された。

 

「公教育の構造転換」への期待は大きく
視聴者からの質問が多数

 石戸:「コロナ禍は子供たちの学習環境にも大きな影響を及ぼし、『150年間変わらなかった学校』を抜本的に変えなければならないという機運が生まれています。参加者からも多くの質問がきています。

 

最初は『子供たち同士で進めて行くと、ネット社会のように自分たちに都合のいい仲間としか議論しない集団になりませんか』という、理想と現実のギャップを問う質問です。確かに、多様な意見に出会えるはずのネット社会で、むしろ同質な情報とばかり触れ合うようになっているという指摘もあります。いかがでしょうか」

 

苫野氏:「だからこそ、多様な人たちが混在して学べる場所を、人為的、意識的に作っていく必要があると考えています。従来の学校は子供たちを一つ所に囲い込んできましたが、これは学校に囲い込むことで教育の機会均等を図る意図がありました。しかし、今では子供たちを囲い込むどころか、学校が教育を独占することもできません。発想を転換しなければなりません。『多様性がごちゃまぜのラーニングセンター』が一つの解になると考えています」

 

石戸:「次は、講演の最後にあった『自分たちの学校は自分たちでつくる』という提案に関連して、『軽井沢風越学園についてもお話を伺いたいです』という質問です。苫野さんも開校に関わられた風越学園について、お話をお聞かせください」

 

苫野氏:「講演で話したようなことをまるごと実現したいという思いから、3名の共同発起人で立ち上げたのが風越学園です。背景には、2014年に著した『教育の力』で、『個別化・協同化・プロジェクト化の融合』を理論化した際、多くの人に『イメージが湧かない』と指摘されたことがありました。それで、日本でも学習指導要領の範囲内で実現できることを示したくて作った学校です。現在は理事を退任していますが、そこでの知見をこれからどんどん全国の学校、特に公立学校に向けて発信していきたいと考えています。

 

まだ多くの人がこういう学びや学校のあり方を知りません。そこで『こういう学びがあり、実際に活動している学校もたくさんある』ということを広めて行こうとしています」

 

石戸:「次の質問は『先生のあり方をどう考えますか。事務作業に忙殺されるシステムで先生自身が教育を考え、議論できているのでしょうか。自由のない先生、先生には市民社会の自由がないのではないか』という質問です。先生方が多忙すぎるというのも大きな課題となっていますが、苫野さんのご意見をお伺いできますか」

 

苫野氏:「ご指摘はよく理解できます。この問題の根底にある給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)を何とかしたいという思いで、給特法がなぜ原理的に間違っているのかを哲学的に論証する論文なども書きましたが、ここはどういう教育の構想をするにしても『一丁目一番地』だと思っています。

 

ただ、先生の働き方を変えることは、学校単位や先生単位でも解決できる、というより解決すべき問題です。文部科学省や教育委員会にできる形式的なところには限界がありますので、先生同士の対話で本当に必要なこと、必要でないことを考えていくことが何よりも重要です。

 

講演で『自分たちの学校は自分たちでつくる』という話をしましたが、これは先生も同様です。先生も生徒も対等な学校づくりの仲間として、自分たちの働きやすい職場を、対話を通して作り上げていく必要があります。工藤勇一さんや木村泰子さんといった、学校を大きく変えてきた校長先生方も皆、誰もが幸せに暮らし、学び、働ける学校とはどういうところか、対話を通して作りあげてきました。私も、最後はそこしかないという思いで、『対話の文化』を学校の中にインストールしていきたいと考えています」

 

石戸:「次の質問は、『いわゆるインクルーシブ教育の恐ろしさが、オリンピック開会式の関連報道で明らかになりましたが、理想と現実、理想のみのリスクについてどのように考えられますか』というものです。対話の中でしっかり基本コンセプトを理解していくことは重要だと思いますが、一方で『現実的には』という話に引き戻されてしまうことも常ではないかと思います。そのような時、苫野さんはどのように突破されていますか」

 

苫野氏:「私の話の根っこは20世紀初頭の新教育運動が源流です。ジョン・デューイと弟子のWH・キルパトリック、あるいはイエナプランといった新教育が次々と出てくる中、先生方の悩みは常に『放任』と『ホールド』の境界でした。本来ここは先生の腕の見せ所なのですが、子供たちの自由をどこまで尊重し、どこからNGとするのかというところを踏み間違えて、『何かやらせておけばいい』となるところが、この120年余り、新教育系学校の悩みでした。

 

こうならないためには『何のための教育か』を皆が共有して土台を敷くことが重要で、それによって教育の実践・行政・構想もぶれにくくなります。この土台に『自由の相互承認』を敷き、それを壊すことを絶対に許さない強い意志があれば、インクルーシブ教育で障害者へのいじめや迫害に対して根拠をもって『ノー』と言えます。この『何のため』をぶれずに持ち続けることが一番大事だと考えます」

 

石戸:「自由の相互承認に関して、『戦争がなくなったのは良いですが、自由を過度に尊重した結果、身勝手な人が増えて地球温暖化やごみ問題などが起きています。自由、自由で大丈夫でしょうか』という質問もきています。自由の相互承認に意識を向けさせるためにはどのような工夫があると良いと思われますか」

 

苫野氏:「この問題意識はとても良く理解できますが、発想は逆だと思います。子供がすぐ『あの子ずるい』と言うように、人は自由を奪われると他人の自由も奪いたくなるものです。しかし、ずるいという言葉が出やすいのは子供たちが束縛され過ぎて不寛容になっている学校で、逆に自由が保障されていれば、他者の自由を認め、自分の行動にも責任を持つようになります。

 

大人も同じで、個人を尊重し、自由を徹底的に保障する姿勢が社会で共有されて初めて、地球や社会、そして後続世代に責任を持った存在になれるのです。逆に自由を奪われると、自分さえ軛から逃れられればいい、抜け駆けすればいいと考えてしまい、環境問題や格差などの問題も解決できなくなります。

 

憲法13条には『すべて国民は、個人として尊重される』とあります。個人を尊重する考えを相互にしっかり持つことが、巡り巡って責任ある市民につながると考えています」

 

石戸:「視聴者からは『社会の変化と独立して学校の仕組みが変わることはあり得ないのではないか』というコメントもきていますが、まさに社会全体が寛容になっていくことは大前提ということですね。

 

次の質問は、『学校が変わることも大事ですが、家庭でも昔の教育を受けてきた親が子供の新しい学びを受け入れることが必要です。家庭も含めた啓発活動にはどのようなことが有効でしょうか』というものです」

 

苫野氏:「本当にその通りです。さまざまな学校教育の取り組みについて子供たちと語り合ってください。Youtubeには、『きのくに子どもの村学園』や広島県福山市にある公立初のイエナプランスクール『常石小学校』など、数多くの事例がありますし、『軽井沢風越学園』のホームページでさまざまなカリキュラム動画を見ることができます。

 

もちろん、実際に見学して肌で感じていただくのがベストですが、大阪市立大空小学校を取り上げた『みんなの学校』や、アメリカ・サンディエゴにあるユニークな全プロジェクト型高校・High Tech Highを扱った『Most Likely to Succeed』といった映画の上映会を催して話し合うなど、とにかくたくさんの情報のシャワーを浴びて語り合うことが大事です」

 

石戸:「そういう場を増やしていくにはどうすれば良いでしょうか。『探究について、自分の回りの関係者が理解していない』、『公教育に関わる20%もの人に知らしめることができるのか』といった意見が数多くきていまして、どのように考え方を普及させていくかも大事だと思います」

 

苫野氏:「保護者の間で関心を持った方が対話の会や上映会をどんどんやってはいかがでしょう。初めは34名でも、そこに子供たちや先生、地域の人たちも呼んで、少しずつ広げて行ければいいですね。私も2014年に『教育の力』を出した時、多くの人から『これは理想かも知れないが現実には無理』と言われましたが、いつの間にか『何だ、行けそうじゃないか』という人がすごく増えていました。皆様も希望を失わず、どうすれば理想論と言われず、どういう条件を整えれば現実になるのかという発想を持って、それぞれの現場でできることをやってみてください」

 

石戸:「最後に、本シンポジウムの視聴者に多い『民間の教育関係者』に、これからの新しい教育構築に向けたメッセージをいただけますか」

 

苫野氏:「私は『教育の力』の中で、これからの教育行政は『学びのネットワークの再ネットワーク化』が必要になると書きました。今までの公教育は、学校という箱の中に閉じ込めて教育を独占することで教育の機会均等を実現してきたわけですが、もうそういう時代ではありません。これだけ学びのネットワークが広がり、教育機会が至るところにあるのですから、それを取り入れない手はありません。

 

問題は、そういった機会に裕福な子供だけがアクセスでき、そうではない子供が遮断されてしまうことです。教育行政に求められるのは、多様性が増した教育機会を再ネットワーク化して教育の機会均等につなげることです。そのためには教育産業の方たちと一緒に、ネットワークを全ての子供の教育機会に結びつけていく方法を考えなければいけません。

 

実は経済産業省が乗り出してきた時、公教育界には警戒心がありました。その後の関わりの中でその心配は杞憂だとわかってきました。むしろ、全ての子供たちの自由に資するために公教育全体を作り変えていくことを一番の土台に考えた時、哲学用語で言う『一般福祉』に叶う教育界のネットワークを一緒に作っていく『大きな仲間』だと思っています」

 

最後は石戸の、「苫野さんの著書を読んだ時に、CANVASの活動が言語化されているような印象を覚えました。今後も共に知恵を出し合い、新しい学びの環境を構築していきたい」という言葉でシンポジウムは幕を閉じた。

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