概要
超教育協会は、2021年7月14日、探究学舎代表の宝槻 泰伸氏を招いて、「探究学舎が実践する“興味開発”のエッセンス」と題したオンラインシンポジウムを開催した。
シンポジウムの前半では、子どもが好きなことを見つけて主体的に学ぶための「興味開発」について宝槻氏が説明し、後半は超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに参加者を交えての質疑応答を実施した。その前半の模様を紹介する。
>> 後半のレポートはこちら
>> シンポジウム動画も公開中!Youtube動画
「探究学舎が実践する“興味開発”のエッセンス」
■日時:2021年7月14日(水)12時~12時55分
■講演:宝槻 泰伸氏 探究学舎代表
■ファシリテーター:石戸 奈々子 超教育協会理事長
宝槻氏は約30分の講演において、「能力開発と同様に重要な教育テーマが興味開発である」と強調。子どもたちが好きなことや興味を持てることを見つけられるように積極的にサポートすることが、親や保護者、学校に求められていることを説明した。主な講演内容は以下のとおり。
【宝槻氏】
探究学舎は2011年からスタートした「塾」です。ただし、受験対策や勉強を教えるのではなく、「子どもたちに興味の種をまいて、ひとりひとりの探究心に火をつける」ことを大切に考え、おもに小学生を対象に歴史やロボット、アートなど、さまざまな授業を実施しています。子どもたちが、みんな夢中になって熱狂的に授業に取り組んでいるのが特徴です。
なぜ、探究学舎では子どもたちに興味を宿すような授業が必要だと考えているのでしょうか。その理由を説明するのにポイントとなるのが、子どもに対する親や保護者の期待です。
多くの親や保護者が子どもに期待することは、「社会の中で自立してほしい」と「好きなことを見つけてほしい」の2つに集約される傾向があります。
▲ スライド1・親が子どもに期待すること
それではなぜ、価値観がこれだけ多様になった社会において、親は同じような期待を抱くことになるのでしょうか。分析した結果では、「これらは大昔から続く親の願い」なのです。江戸時代でも農民の親は子どもに対して、将来は立派な田畑を継ぐ農民になってほしい、自立してほしいと願い、武士の親も立派に後を継いでほしいと思ったでしょう。つまり、時代や地域が変わっても、親であれば必ず抱く願いが、「社会の中で自立する」ということなのです。
一方の「好きなことを見つけてほしい」という願いはどうでしょうか。江戸時代の農民の親は思っていたのでしょうか。農民の息子が、将来は大名になって城に住みたいと言い出したら、親は、お前は畑を継ぐのだと粛々と諭したでしょう。明治、大正、昭和の時代になって職業選択の自由が憲法で保証されるようになっても、昭和の親の多くは「身分の差」等を超えて職業を選ぶよりも、自立すること、安定することを基本的に願っていました。以前なら、例えばユーチューバーになる、ミュージシャンになると言ったら、「おかしなことを言うな」とたしなめられるでしょうが、今は正解がない時代です。何をもって安定というか、何をもって幸せというかも決められません。自分で道を切り開いていってほしい、すなわち自分が好きなこと、やりたいことを見つけて生きていってほしいとなってきます。極めて現代的な親の願いといえるのです。
こうした中で、社会の中で自立するという目標を子どもたちに実現してもらうためには、さまざまな能力を身に着けてもらう必要があります。「能力開発」です。今までは「読み書きそろばん」でしたが、世の中が変わってきているので、読み書きそろばんをベースにしつつ新しい能力開発のあり方を模索する時代に入っています。学校や塾や専門学校などで、新たな能力開発のあり方について実践と議論が繰り返されています。社会の中で自立するためには、能力開発が準備として必要となります。
能力開発と同様に重要なのが興味開発
一方の好きなことを見つけるという目標に向けては、「興味開発」が重要な教育テーマになります。これが探究学舎のビジョンです。知りたいことややりたいことを積極的に作り出すためのサポートをするということです。
この興味開発を実現するために、探究学舎を運営してさまざまな授業を実施してきました。例えば元素編という授業では、小学校の1年2年3年生から元素をいきなり教えます。普通は小学校高学年や中学校で学ぶものです。ある子どもたちの例を紹介します。授業ではビスマスという元素が出てきます。形が面白く、色がきれいなので、子どもたちの興味が湧きます。このビスマスは実は自分でも作れるということを知ると、やってみたいとなります。そこで家に帰ると、巨大なビスマス作りに夢中になります。きれいなので、ビスマス指輪とかビスマスネックレスを作って販売しようと思ったらしく、作品を自分たちで作りました。作り方は自分たちで研究しました。そうするうちに、化学という学問にも興味を持って、率先して自分で勉強を始めます。親たちも、そうやって興味をもって勉強しているのを嬉しく思い、実際に元素を見るために科学館に行こうとなりました。そこで鉱物の周期表に出会い、これを自分たちでも作りたいとなり、実際に自分たちで川や山で石を拾い集めて鑑定して、「リアル周期表」を作り上げました。
▲ スライド2・自分たちで元素の周期表を作った子どもたち
これはうまくいった事例のひとつです。中学でいきなり元素を教えられ、「周期表を覚えろ」では興味を持てないでしょう。ところが、探究学舎の授業では、子どもたちは目を輝かせて周期表を見て、自然と学んでいくし、知識も身についていくのです。
歴史の授業も人気で、鎧兜を作ったり、楊枝で城を作ったり、城に何回も行ったりします。歴史を探究する姿を子どもたちから引き出すことができます。これが興味開発です。どれだけ化学式を覚えているか、年号を暗記しているかは一切気にしません。ともかく、好き、夢中、もっと知りたいやってみたいと思って、主体的に学習行動を起こすことが素敵なのです。それはきっと将来、自分が夢中なことで働くという姿に繋がると保護者にも伝えています。保護者も共感し、協力的です。
「驚きと感動」で子どもたちの興味開発を実現
興味開発を具体的にどう実践していくのか、じつは非常に難しい取り組みです。子どもたちが、主体的に学ぶプロセスを作り出すのは難易度が高いのです。これまでの教育は、「入試があるから勉強しろ」とやってきました。探究学舎では、「わあ!すごい!」という言葉を子どもの口から引き出すことを目指しています。これさえできれば、子どもたちの興味開発はできる。これが探究学舎の方程式です。驚きと感動です。驚きと感動をいかに感じてもらうか。驚きと感動の種を子どもという畑にまく。そして、子どもたちからどんな芽が出てくるか楽しみに待つ。こんなコンセプトで興味開発を進めています。
具体的に、「算数や数字が面白い」と思わせるための授業を考えてみます。算数や数学を学ぶことは、数を学ぶことです。小学校から中学校、高校に進むにつれ、自然数から始まって虚数まで学びます。ところがよく調べてみると、人類が発明した数と習う順番は違うのです。数字を発明する裏には、色々な事件やドラマが起きているのです。その事件やドラマを知らずに結論だけ学んでいるのが今の算数や数学で、だから面白くない。どんなドラマがあったのか、そのストーリーを紐とくことで興味を開発するのです。
今から遙か昔の時代でも人間は物を数えることがしたかった。羊飼いは石を並べて羊を数えていました。大昔の人間はこうやって、身近にあるもの、石や骨や木の枝を並べることで数える方法を発明しました。これを現代では「1対1対応の数え方」と呼んでいます。ただし、10や20ならいいですが、100、1000、1万になると石などを並べるのが大変になり、計算もできません。そこで人間は数字の発明という課題にチャレンジすることになりました。それが、古代文明を率いていた人たちです。エジプト、メソポタミア、インド、中国、マヤといった文明を築いた人たちは、独自の方法で数を発明することに挑戦しました。
まず、シュメール人が活躍していたメソポタミア文明では、数字の1は、Aがひっくり返ったような記号です。それを並べることで数字を作りました。10はAを横にしたものにしました。この記号を使って、10が5つ、1を9つ並べると、59と読めます。探究学舎の授業では、「この数字を書いてみよう」と実際に子どもたちに書かせてみます。そうすると、とても大変で10秒くらいはかかります。読むのは簡単だが書くのは大変なのがメソポタミアの数字なのです。
エジプトの文明では1は縦棒が一本。それを並べることで表現しました。10は違う記号を出しました。100は縄、1000は花、1万は指、10万はオタマジャクシ、100万は万歳した人間。この数字を使って213万1219を書いてみます。
▲ スライド3・エジプトの数字
この数字を使って算数をすると、算数なのかお絵描きなのか分からなくなります。もっと興味深いのがマヤ文明の数字です。1は人の横顔。ほかの数字も人の顔です。中国の文明では、1は縦棒一本でした。彼らは木の枝を使って算木という数字を発明します。これは計算の道具にもなります。赤い算木を並べると引き算もできます。ここから、黒字と赤字という文化が生まれたとも言われています。インドの1は横棒一本。インド人は砂浜に指で数字を描いたと言われています。なので一筆書きが基本です。
これら5つの文明の初期の数字のうち、どれが私たちの数字の先祖になるのでしょうか。正解はインドの数字です。時代を経て少しずつデザインが変わっていって、ようやく今の数字が出来あがりました。そしてこの数字こそ、世界中に広まった万国共通の数字です。インドの数字はたった10個の記号を使うだけで、すべての数字を表せる唯一の数字だったことで世界中に広まりました。さらに、インドの数字は位がそろっているので、筆算を機械的に素早くできました。
一方、筆算が苦手な数字を持っていた国の人は、「そろばん」を使って計算していました。昔の日本でもそろばんで計算し、計算をした結果を、漢数字で表記していました。表記するための数字と計算するための道具が分かれていたのです。中国も同様です。算木を使って計算し、漢数字で表記します。ヨーロッパでも、ビー玉のようなアバスクと呼ばれる道具で計算して、その結果をローマ数字で表記していました。ところが、インド人は鉛筆一本あれば頭脳だけで計算ができる。このインド人の画期的な方法を見て、ヨーロッパ人は「凄い」と思ったのです。
「驚きと感動の種」を子どもたちという「畑」にまく
インド数字は1500年前に生まれ、アラビアを経由して500年前にヨーロッパに伝わりました。ヨーロッパ人はこの数字を見て、画期的だと驚いたのです。そして自分たちの数字を捨てて、この数字を採用する。そうすると、計算がとても楽になる。こうした知恵が、インドアラビアからヨーロッパに入ることによって、ヨーロッパは科学というものを作り出すことに成功しました。数字がヨーロッパに入ることで、ガリレオやコペルニクス、ニュートンやデカルトといった科学者や数学者が活躍を始めます。そしてその科学的発見が技術を生み出し、今日の科学文明が成立して、自由で便利な時代に生きることができるようになったのです。数字は、人間が知恵を使って長い時間をかけて発明した作品ということでもあります。その数字という作品を受け継いで、計算をするという行いをやりながら、我々は今もなお人類が取り組んでいる知のバトンのリレーに参加しているのではないか。そういう気持ちで勉強すれば、算数も楽しくなるのではないでしょうか。
▲ スライド4・ヨーロッパへ伝わったインドの数字
こうした数字にまつわるストーリーを授業で伝えると、子どもたちは驚き、感動します。ノンフィクションに埋まっている驚きと感動を子どもたちに種まきし、それによって興味関心、主体的な学習欲を作り出していく。それが探究学舎の興味開発に対するコンセプトであり、実践方法です。
>> 後半へ続く