概要
超教育協会は2020年6月3日、兵庫県尼崎市教育長の松本眞氏を招いて、「尼崎市の臨時休業期間における学習支援(ICT活用)に向けた取組」と題したオンラインシンポジウムを開催した。
シンポジウムの前半は、新型コロナウイルス感染症の影響による休校中に、ICTを活用した学習支援に取り組んだ実例を松本氏が紹介。後半では超教育協会理事長の石戸奈々子をファシリテーターとして、参加者からの質疑応答を実施した。その前半の模様を紹介する。
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「尼崎市の臨時休業期間における学習支援(ICT活用)に向けた取組」
■日時:6月3日(水)12時~12時55分
■講演:松本眞氏 兵庫県尼崎市教育長
■ファシリテーター:石戸奈々子 超教育協会理事長
松本氏は、約30分の講演において、ICT先進地域ではない尼崎市が、新型コロナウイルス感染症の影響による臨時休校という非常時に、ストレージサービス「BOX」を活用した学習支援の取り組みを行ったことを説明した。
▲ 写真・兵庫県尼崎市教育長の松本眞氏。
Zoomを使ったオンラインで講演した。
主な講演内容は以下のとおり。
中学校のICT環境の整備の遅れが課題
私はもともと文部科学省の人間で、尼崎市に来て3年目になります。尼崎市は兵庫県の中で、一番大阪寄りで、人口45万人の中核市です。学校は幼稚園から高校まで71校園あり、先生は約2000人います。勤労青年も多く、夜間中学校などで働きながら学ぶ環境を大切にしてきた歴史があります。ただ、地方から苦労して働きに出てきた人が多いので、経済的に厳しい人が多く、就学援助認定率が全国と比較すると10ポイントくらい高くなっています。生活保護率も高く、不登校率も全国より1%から2%くらい高いです。
ICT化の状況では、残念ながら、整備されているとは言えません。兵庫県内で,整備されていないほうから数えて、5番目か6番目くらいです。こうしたICT環境の遅れには、財政的な背景があります。沿岸部の工業都市なので、地盤沈下して海抜0メートルの地域があるなど水害対策に多大な経費がかかったこと。公営のボートレースが栄えていた頃の過剰投資のつけが今きていること。各地から集まった労働者が今は高齢化して扶助費が増えていることなどです。
学校のICT環境については、小学校は教室までLAN回線があり、タブレットPCが40台、大型テレビがあります。一方、中学校はLAN回線がなく、大型テレビもない状況です。これは改善が必要ということで、2018年の着任直後からICT環境整備に着手していますが、45万人都市だけに簡単にはいきません。2018年には仕様書を作って予算要求に向けて動き出しましたが、実際に動き始めたのは2019年。人材や予算の確保をして、今年度から調達していくという流れでしたが、途中で自然災害や生徒指導事案、新型コロナウイルス感染症の拡大などがありました。それが調達にも影響して、時間がかかってしまい、苦労して準備しているところです。
臨時休校中の学習支援をどうするかが焦点に
そのような状況の中、このほど新型コロナウイルス感染症の拡大で、臨時休校となり、生徒の授業をどう実施していくか、大きな問題になりました。3月は本来であれば各学校で、その学年で習ったことの復習をする期間ですが、早い春休みが来てしまったイメージでした。また、授業もさることながら、学校では「卒業式をどうするか」も大きな焦点となりました。成績処理を早くしなくてはならない、進学先への引き継ぎをしなくてはならない、学校関係者に感染者が出たら場合どうするかなど、課題が次々にでてくる状況です。その整理に追われていました。4月の途中から、学習支援を本格的に考えねばという危機感が出てきて、5月には新学期の中身も進めておかないとまずいという意識でした。
そんな危機意識を持っている時、4月初めに横浜市教育委員会の記事が出ました。授業動画を撮影しているというもので、「もう動き始めている自治体があるのか」と驚きました。多くの自治体では、4月からは学習補助について本気で考え始めていて、我々も内心焦っていました。そこで色々な情報を見ながら、ICT活用のメリットデメリットを整理していきました。まず動画の作成は魅力的ですが、ただよくよく考えると動画作成にかかる労力は多大で、コンテンツの質を保つのも難しい。また、動画を作成したところで、現場が使ってくれるかという思いもあって、それならば民間の動画コンテンツを集めた方がいいという発想になりました。
そこで、まとめ動画サイトを教育委員会のページに作りました。各教科の単元で使えそうな情報を各家庭に教えるという家庭学習の支援ツールという位置づけでした。
ただ、このようなツールで4月後半から5月を乗り越えられるのは思っていませんでした。
5月は新しい学年の学習内容に進んでもよいという判断をしました。新しい単元を家庭で学んでもらう可能性があるので、いかに家庭学習の負荷を下げるかが一番のポイントになります。教科書は自宅学習用に設計されていない集団教育のためのツールなので、教科書のみで自習することは難しい。尼崎市のICT環境を考えるとプリント配布が限界でしたが、せめて学習のインプットの部分の負荷だけでも下げるためにICTを活用できないかと考えました。今振り返ってみると、この気持ちを持つか持たないか、諦めるか諦めないかが大きかったと思います。
クラウドシステム「BOX」を学習支援に活用
じつは、当時、学習環境のICT化ではさまざまな考えが錯綜していました。例えば、リアルタイムの遠隔授業は魅力的だけれど、家庭には家庭のリズムがあるでしょう。テレビ放映は、テレビ局との調整もあるしコストもかかる。そもそも教育委員会がコンテンツを提供しても現場が使うのかどうか、などです。そんな思いを抱えながら、4月中旬に指導主事と話していた時のことです。指導主事から、研修で先生が資料を共有できるようなクラウドシステム「BOX」を導入しようと考えていることを聞きました。
詳しく聞くと、容量制限なしで動画もアップできるし、生徒のアカウントも不要ということで、これを研修だけに使うのはもったいない、学習支援に使えるのではないかという発想になりました。
そうなるとかなり設計が見えてきました。学校の魅力を大事にしながらICTを活用できるのが魅力で、クラウドのプラットフォームを準備して、コンテンツは先生がつくるという発想のもと、先生一人一人の創意工夫を後押しするという設計にしました。また学校の魅力は勉強だけでなく、生活の張り合いやモチベーション、友達との助け合いが重要で、それを作っているのは担任に他ならない。なので担任が創意工夫できるツールを教育委員会が準備し、管理職や教育委員会はそれを応援するという発想に立つという設計にしました。
ただし、実現するには問題がありました。各家庭のICT環境です。そこでGoogleフォームを使い、家庭のインターネット受信環境に関する緊急アンケート調査を実施しました。アンケートの結果、現在は受信できないが環境を整備することは可能と答えた8.6%を含め、95%が受信可能という結果でした。それでは、受信が不可能と答えた5%をどう考えるか。その時、私は、「5%に対しては個別に丁寧に対応すればいい」と決心し、自分の思いをまとめて教育委員会の幹部にメッセージとして発信しました。スライドは、そのメッセージの抜粋です。
メッセージではまず、日本の公教育の常識に変化が生じている、ひとつは「ICT活用の常識の変化」で、もうひとつは「公費負担と家計負担の常識の変化」であるとして、今は変化のタイミングに来ていることをアピールしました。そして、「BOX」というストレージシステムを活用して、課題を出す教師を応援し、推奨するスタンスを取ってもらいたいという強い気持ちがあることを伝えました。
続けて、これまでは、クラスに1人でも通信環境がなければ実現してこなかった仕組みが、原則として通信環境が各家庭にあることを前提とした授業展開を行い、通信環境のない子に対しては個別に対応していくという考え方に変化していくでしょう。だから各校長先生には、通信環境のない家庭があるからICTでの課題の提供はやめるべきというスタンスは絶対にとらないでください。このような発想は、日本の教育環境の進化を止めることに繋がるし、世界から見た日本の教育環境の劣化を決定づけます、と訴えました。
その一方で、中高生には受験の心配があります。受験はインプットが極めて重要なので、その支援ツールとして効率的に学ぶための「スタディ・サプリ」を提供しました。市長の後押しもあって、全市立中学校、高校の生徒に提供することができました。
次の写真が、学習保障の取り組みの全体像です。臨時休業期間中は、単なるインプットは「スタディ・サプリ」を使って効率的に学んでもらい、思考力や表現力の部分は担任が作成したワークシートや動画などを活用する。学校再開後はリアルな世界で学べることを大事にして、そこにICTをかけ合わせていく。このような全体像を設計しました。
こうした取り組みを積極的に発信することによって波及効果を狙おうということで、教育委員会で「GP(グッド・プラクティス)だより」を作成し、各学校に周知する取り組みも行っています。
現在の「BOX」の活用状況ですが、小学校で最初は20校だったのが現在は34校に広がっています。中学校では9校、高校は2校です。使用ストレージの容量も、飛躍的ではありませんが少しずつ伸びている状況です。また、各先生がどんなコンテンツを作っているか見ると、PDFもありますが動画が圧倒的に多いです。活用パターンはメッセージ動画が多いですが、授業動画や学習の進め方を解説する学習支援動画も多いです。
また、テレビ会議システムを活用して、オンライン朝の会やオンライン教育相談を実施している学校もあれば、学校同士でワークシートを共有するという使い方、オンライン研修など色々な活用パターンが出てきているので、我々としてはどんどん広めていきたいと考えています。
「Withコロナ」「Afterコロナ」に向けたICT活用における共通認識
最後に、「Withコロナ」「Afterコロナ」に向けて私が思っていることをまとめます。文部科学省が「GIGAスクール構想」を進めている中で、教育委員会や管理職がICT環境の整備や活用を進めないことは、子供たちの学習環境の充実を止めているという意味で、責任問題になるということを認識すべきです。その上で、3つの共通認識を持つべきと考えます。
まずは、公平性の再定義ということで、形式ではなく実質を重視した学習環境の保障が大事ということ。先ほどの、インターネット受信環境がない5%の家庭に対しどう対応すべきかということですが、5%というとクラスに1人か2人です。その1人か2人のために全体の環境を止めるなど、形式にとらわれると進化しないので、できるところはまず進めて、5%に対しては色々な支援をすることで実質的に教育の機会を保障していく、そういう発想をとるべきと考えます。
2つめの共通認識は、家庭負担としての通信料の概念を持つこと。諸費で家庭が負担している教材費はたくさんありますが、その中に通信料が上乗せされます。これは社会や家庭にも理解をいただかないといけません。だからこそ、公の就学援助とか生活保護を充実させていく必要があるし、家計負担の見直しもしていかねばなりません。
3つめの共通認識は、「教育情報セキュリティ」の考え方の見直しです。教育委員会でもセキュリティに関して一定の理解を持つ人を置いて、自治体の行政事務のセキュリティに単に従うだけでなく、学校の使い方を考えた自分たちのポリシーを作っておく必要があります。それが、学習におけるインターネット活用には不可欠という認識を持っています。
>> 後半へつづく