AI時代に求められる人間力と教育の再構築の重要性とは
第196回オンラインシンポ・後半

活動報告|レポート

2025.12.19 Fri
AI時代に求められる人間力と教育の再構築の重要性とは</br>第196回オンラインシンポ・後半

概要

超教育協会は2025年10月29日、株式会社第一生命経済研究所 主席研究員 テクノロジーリサーチャー 柏村 祐氏を招いて、「AI時代の教育とは~スタンフォード大学らの米国最新調査を踏まえて考える~」と題したオンラインシンポジウムを開催した。

 

シンポジウムの前半では、柏村氏がAI時代の教育の再構築の重要性などについて講演し、後半では超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。その後半の模様を紹介する。

 

>> 前半のレポートはこちら

 

「AI時代の教育とは~スタンフォード大学らの米国最新調査を踏まえて考える~」
■日時:2025年10月29日(水) 12時~1255
■講演:柏村 祐氏
株式会社第一生命経済研究所 主席研究員 テクノロジーリサーチャー
■ファシリテーター:石戸 奈々子
超教育協会理事長

 

▲ 写真・ファシリテーターを務めた
超教育協会理事長の石戸 奈々子

 

シンポジウムの後半では、超教育協会の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。

チャレンジをして失敗をしてもそれを許容する教育がこれからは大切になる

 石戸:「視聴者の皆さまからも、多くの質問が寄せられています。生成AIの急速な普及に伴い、教育の変化は必然であり、スタンフォード大学のレポートや海外事例を踏まえた今日のお話であると認識しています。では、海外では教育分野において生成AIをどのように受け止め、どのような改革がすでに始まっているのでしょうか。その動向についてお聞かせいただけますでしょうか」

 

柏村氏:「日本と同様、海外でも先行研究の検索、情報整理、プレゼン資料の叩き台作成などで生成AIが広く活用されています。一方で私が懸念しているのは、MBAを取得してもコンサルティング会社に入社できないなど、知的労働の就職が難しくなっている点です。AI時代においては、人間にしかできない領域で力を発揮できる能力の獲得が重要だと考えています」

 

石戸:「冒頭では、AIがすでに人間のIQを超えつつあるという事実も示されました。AIが人間の知能を上回る時代において、教育の目的はどのように再定義されるべきだとお考えでしょうか」

 

柏村氏:「非常に難しい問題です。現在の教育について私が感じている点を述べます。かつては『友人と喧嘩をして痛みを知り、人を殴ってはいけないことを理解する』といった学びも存在していましたが、現在ではそのような教育実践は問題視される可能性があります。多くの場面で『〜してはいけません』といった温室的な環境が整えられる一方で、社会に出ると環境は一変します。そうした視点からは、身体で感じ取る学びの重要性を改めて認識しています。ハラスメントへの配慮など教える側の難しさもありますが、本質的に良くないことは良くないと明確に伝えなければ、生きる力を弱めてしまいます。社会は競争であり、相手の痛み・気持ち・喜怒哀楽を理解する力を育む教育が必要だと考えます」

 

石戸:「ご講演では、知識や記憶に過度に依存した教育から脱却する必要性についても触れられました。

そのための基盤として、11台端末の整備や学校DXが推進されていますが、教育改革という点では必ずしも十分に進んでいないという実態があります。こうした日本の制度や学校文化の中で、生成AI時代に最も適応できていない部分、そして変えるべき部分は、どこにあるとお考えでしょうか」

 

柏村氏:「『答えのないことを学ぶ』教育が十分に実現できていない点ではないでしょうか。国語、算数、理科、社会には明確な答えがありますが、答えがある領域の学習はAIとの競合が最も大きい部分です。答えのない問いに向き合う学習機会を増やす必要があります。合理的な答えはAIが提供します。現在は答えがない文化の時代であり、その世界をどのように生きるかという力こそがAI時代の学びの中心になると考えます」

 

石戸:「先ほど挙げていただいた4つの力を育む教育が重要であるという点には、私も強く同意します。しかし現場では、理想と具体的な実践方法との間にギャップがあり、悩まれている先生方も少なくありません。

そうした力を教育課程の中に組み込むために、現時点で取り組むことができる実践には、どのようなものがあるとお考えでしょうか」

 

柏村氏:「企業が学歴を重視する以上、受験勉強が続きます。塾に多額の費用を払い、中学生の段階から努力を続けるわけです。教育だけを変えても機能しないのです。大学や大学院の後のキャリアで、こうした学びをした人が高収入を得られるという未来像を示さなければ学びは変わりません。教育単独では再定義ができないということです。

 

さらに、スタートアップの起業も選択肢となる時代です。財務、ファイナンス、税務、資金調達などの知識も学校教育で学べることが望ましいと考えます。人生においてお金は重要であり、その土台を満たす教育が必要です。日本では『稼ぐための学び』がやや不足しているように感じます」

 

石戸:「産業界がどのような人材を求めているかは、教育に大きな影響を及ぼします。その人材像の変化を明確にし、教育現場に適切に反映していくことが重要だという点については、まさにご指摘の通りだと思います。視聴者の方からも、次のような質問が寄せられています。地方の公立高校における教育の現状として、『新しい学びに取り組む余力がほとんどなく、結果として現状維持になってしまっている部分がある。ボトムアップで変革を進めるとすれば、どこから手をつけると良いでしょうか』というものです。現場の状況もご存じかと思いますが、この点について何かご意見がございましたらお願いいたします」

 

柏村氏:「オズボーンの法則では、仕事に影響のない業務を『やめる』ことが最も重要とされています。これまで慣習的に続けてきたことを思い切ってやめてみる、というのも一つの手かもしれません。ボトムアップで考えるのであれば、まずは何かをやめて様子を見るというアプローチも可能ではないでしょうか」

 

石戸:「話は変わりますが、スタンフォード大学のレポートでも、高学歴・高収入層ほどAIを使いこなしているというデータが示されていたと記憶しています。AI利活用の格差を広げないことは、極めて重要な課題であると考えています。本来AIは、個別最適化を低コストで実現し、むしろ教育格差を縮める可能性を持つツールだと思っています。では、こうしたAI利活用の格差や教育格差の問題に対して、教育現場として何ができるのか、どのような役割を果たすべきなのか。先生のお考えをぜひお聞かせいただければと思います」

 

柏村氏:「教育の中で、『AIと対話して学べること』と、先生自身が『生徒とのコミュニケーションの中でしか学べないこと』とを区別することが重要だと思います。仕事でも、作業と仕事は異なります。作業とは定型的な業務、例えば『データ入力』、『チェック』、『定型文の作成』などです。一方で仕事とは価値を生む行為であり、企業で言えばマネタイズ、すなわちお金を稼ぐことです。

 

教育現場に置き換えると、暗記や計算といった定型的な学習はAIと生徒の間で個別最適に進めればよい部分です。先生にしかできないことは、フィジカルな関わりなのかメンタルな支援なのかは分かりませんが、必ず存在します。そこを切り分けることが必要です」

 

石戸:「日本はこれまで『デジタル敗戦』と言われ続けてきました。教育分野でも、2020年にようやく11台端末体制が整い、世界的な遅れを取り戻したものの、長らくデジタル活用は後進的だと見なされてきたのが実情です。同じ過ちをAIで繰り返さないために、今、日本は何に取り組むべきなのか。ぜひ先生のお考えをお聞かせください」

 

柏村氏:「情報の教科書を拝見しましたが、概念的な説明が中心です。概念ではなく、例えばChatGPTを全員に使わせ、『アプリを作ってApple Storeに公開してお金稼いでください』といった課題のほうが学びにつながると思います。小さな成功体験を積み重ね、実社会に接続する学びへと転換していく必要があります。法律や経済など体系化された伝統的分野のシラバスは非常によくできていますが、テクノロジーが社会に与える意味を体験する学習が必要だと考えています」

 

石戸:「デジタル化の際にも、基礎学力か非認知能力かという二項対立が語られることがありましたが、今回も同様の趣旨の質問が多数寄せられています。

たとえば、『答えのない問いを学び、答えのあることはAIが教えてくれるという点には共感します。一方で、AIのハルシネーションを見抜くには、答えのある領域について十分に学んでいないと判断できないのではないでしょうか。答えのあることを学ぶ必要はないのでしょうか』という質問。また、『基礎学力を支える教材や教育者の役割は依然として大きいと考えています。新しい学びの時間が増えることで、基礎学力の習熟が十分に担保されるのか懸念があります。教材や教え方には、どのような変化が求められるのでしょうか』という声も寄せられています。基礎学力と、創造性・コミュニケーション力などのバランスをどのように取っていくべきか。とりわけ義務教育の設計という観点から、先生のお考えを伺えればと思います」

 

柏村氏:「義務教育では基礎学力を学べば十分だと思います。義務教育の中で基礎的な学習能力を学べば良いと言うのはおっしゃる通りだと思いました。義務教育は国民に不可欠な教育ですが、高等教育は自ら選択して学ぶ場です。そこで基礎学力を重視する必要は必ずしもなく、より創造的な学びに時間を割くべきだと考えます。自分で費用を払い学んでいるのですから、その学校でしか得られない学びを先生方が提供することが求められます」

 

石戸:「各国の資料をご覧になっているかと思いますが、生成AIを活用した教育事例について、学校単位・地域単位・国単位のいずれでも構いません。『このような活用があった』、『このAIの使い方は興味深い』、『この向き合い方は参考になる』と感じられた具体例がありましたら、ぜひ教えてください」

 

柏村氏:「インドの事例が印象的です。インドにはカースト制度がありますが、エンジニアという職は、生まれた時からカーストの中で身分を差別的に扱われている人が多いですが、その枠に含まれておらず、AIを活用して学び、高収入の仕事に就くことができます。日本でも同様に、学びは学校だけでするものではなく、AIを使ってエンジニアリング能力を高めることができる時代です。国や学校が何かをしてくれるのを待つのではなく、ハングリー精神があれば学習機会はいくらでもあります。カーストに縛られた立場の人でも学びによって高収入を実現しているという点で、非常に象徴的な事例だと思います。日本でも同様の可能性があります」

 

石戸:「興味深いお話です。他に事例はありますか」

 

柏村氏:「他は、なかなかないですね。他国は学費が非常に高いです。アメリカの大学では数千万円かかります。一方インドではAIを活用し無料で学び、高収入を実現しています。結局のところ、学びよりもハングリー精神が大きいのだと思います。日本の昭和期はハングリーで、多くの人が学んでいましたが、今は社会が豊かになり、食べられない人はほとんどいない。満たされ過ぎた環境の中で、インドとはマインドが異なります。また、日本はハルシネーションや情報管理のリスクを過度に懸念し過ぎています。海外では積極的に活用が進んでいます。文化的な違いもあるのでしょう」

 

石戸:「確かに文化としてリスクに目を向けがちという側面はあるかもしれませんね」

 

柏村氏:「その通りです。今日のコミュニケーション能力の話にも通じますが、人間は似た価値観の人と付き合う傾向があります。しかし日本にも12,000万人という多様な人がいるわけですから、異なる価値観の人と関わる習慣を持たないと、同質的な人間関係に閉じこもり、エコーチェンバーやフィルターバブルに陥る危険があります」

 

石戸:「今日のお話の中でも、学びの場は学校に限られず、生涯学習が極めて重要であるという点に深く共感します。一方で、日本はリスキリングにおいても遅れが指摘されています。先ほどいくつか打開策をご提示いただきましたが、そもそも どこにボトルネックが存在するのか、そしてそれを 乗り越えるために何が必要なのか、改めてお聞かせいただけますでしょうか」

 

柏村氏:「根本的には『雇用の流動性が低い』ことにあると思います。市場が流動化すれば、同じ会社でしか使えないスキルではなく汎用的なスキルを学ばなければ市場価値を維持できません。リスキリングして転職することが当たり前の社会であれば有効ですが、現在の日本ではリスキリングして転職すると年収が下がるケースも珍しくありません。その状況では誰もリスキリングに踏み出さないでしょう。これは正社員の雇用・解雇規制の問題と表裏一体だと考えています」

 

石戸:「先ほど、知識重視・暗記重視の教育を語る際に、教育だけを改善しても解決には至らないというご指摘がありました。まさに、教育機関の努力だけではなく、社会全体の構造的課題を視野に入れる必要性を改めて痛感しました。

 

視聴者から最も多く寄せられた質問の一つが、創造性や非認知能力をどのように育むかという点です。学校教育である以上、評価の仕組みは不可欠ですが、これらの力は従来の尺度では測りにくい側面があります。一方で、適切な評価は向上心を促し、成長につながる仕組みでもあります。そこで伺いたいのですが、人間固有で定量化しにくい力を教育としてどう育てていくのか。そして、そうした力を重視する際に、教育機関ではどのような新しい評価の枠組みが考えられるのか。先生のお考えをお聞かせいただければと思います」

 

柏村氏:「例えばUberでは、運転手と乗客がお互いを評価します。学校でも、先生と生徒30名がいる教室であれば、互いに評価し合う仕組みがあってもよいのではないでしょうか。先生が一方的に生徒を評価する制度は戦後につくられ、80年もの間変わっていません。時代が大きく変化する中で、教師のみが評価するという仕組みは不自然です。普段の生活態度やコミュニケーションなど、非認知的な部分を含めて、30人全員で相互に評価し、それを成績に反映させるような仕組みも、まだ誰も本格的には取り組んでいない面白い可能性だと思います」

 

石戸:「企業でも360度評価が導入されていますね」

 

柏村氏:「ただ、サーベイを実施する場合、匿名ではなく、誰がどう評価したかという『情報の非対称性をなくす』手法も考えられます。それが日本の文化に馴染むかは分かりませんが、痛みを伴う場合もあるリアルなコミュニケーションの中でこそ、コミュニケーション能力は鍛えられると考えています」

 

最後は石戸が「これからの教育に期待すること」を尋ね、柏村氏が「チャレンジをして、失敗を許容する教育が大切です。そうでなければ生徒も伸びませんし、先生も疲弊してしまいます。失敗を許容し、昨日より良い未来をつくれる教育を期待しています」と語り、シンポジウムは幕を閉じた。

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