生成AIによる学習の変化を考える3つのポイント
第150回オンラインシンポレポート・後半

活動報告|レポート

2024.4.12 Fri
生成AIによる学習の変化を考える3つのポイント</br>第150回オンラインシンポレポート・後半

概要

超教育協会は2024214日、千葉大学教育学部長・教授の藤川 大祐氏を招いて「生成AI時代に教育はどのように変化するか~授業実践を踏まえて考える」と題したオンラインシンポジウムを開催した。

 

シンポジウムの前半では藤川氏が、文章生成AIの仕組みや特徴を踏まえて、生成AIで学習が変わる3つのポイントについて解説した。後半では、超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。その後半の模様を紹介する。

 

>> 前半のレポートはこちら

>> 藤川氏講演資料公開「生成AI時代に教育はどのように変化するか~授業実践を踏まえて考える」(pdf 1.15MB)

 

「生成AI時代に教育はどのように変化するか~授業実践を踏まえて考える」

■日時:2024年2月14日(水)12時~12時55分

■講演:藤川 大祐氏
千葉大学教育学部長・教授

■ファシリテーター:石戸 奈々子
超教育協会理事長

 

▲ 写真・ファシリテーターを務めた
超教育協会理事長の石戸 奈々子

 

シンポジウムの後半では、超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。

生成AIなど新しいテクノロジーが次々に登場する時代 教師たちにも「自分で学べるか」がこれまで以上に問われる

石戸:「はじめの質問です。生成AIの登場によって、教育の分野に限らず、改めて人間だけの力とは何かという議論が生まれています。これからの生成AI時代を生きる子供たちに必要な力は何かと問われたら、先生なら何とお答えしますか」

 

藤川氏:「人間とAIを比べることは、あまりよくないと思います。人間には身体があり有限の命を生きていて、その中で辛いこともあり、うまくいくこともあり、意思があって、感情もあり、傷つくこともあるわけです。人間としてどう生きていくか考えるのが人間の本質です。AIと比べるまでもなく、AIは助けてくれるだけのものだと思います」

 

石戸:「比較の問題ではないというのはおっしゃる通りですね。一方で、教育現場としては、より一層、人間の感性を育むような学びを提供することに力点を置く方向にシフトしていくということですね」

 

藤川氏:「ワクワクするとか、身体で感じる意味なら『感性』ですね。身体があることはすごく重要です」

 

石戸:「拡張知能やクリエイティビティなどの用語がありましたが、大谷さんや藤井さんのように、いかにAIを味方につけて自分の力を拡張し、これからの社会を生きていくか、新しい社会を作っていくかが大事だと思います。視聴者からは『先ほど質問スキルのお話もありましたが、その視点で、AIや生成AIを使いこなすために必要な力とは、どんな力でしょうか』という質問がきています。いかがでしょうか」

 

藤川氏:「先ほどの『超スピード』は大事だと思っています。恐る恐るたまに使うのでは力にならないと思います。試行錯誤して良いわけですし、望むような回答が全く得られない経験も大事です。ひたすら使いAIにハマって、噛み合ったコミュニケーションができていくことが大切です。一人で使うだけでなく、集団で使うと上手な使い方をする人に出会えます。『ああ、こういうふうに聞くと良いのか』と学びながら使ってみるのもよいと思います」

 

石戸:「次は、『生成AI×教育』の議論のときに毎回出てくる質問です。『生徒たちが生成AIを使って課題を提出しました。生成AIを使ったことに対して、どのように評価しますか』というものです。先生も中学校もしくは大学でいろいろな実践をされていると思います。スマートフォン持ち込みの入試はどうなのかといった議論もこれまでにありました。これから先ブレインテックが進んで脳にチップを入れる人も出てくるかもしれません。そう考えると、これからの学びの場での評価はどう捉えていけはよいのか、ご意見を伺えればと思います」

 

藤川氏:「単純に、入学試験みたいなものは大変ですよね。入学試験で生成AIを使ってよいことにしたら非常にやりづらいと思います。入学試験はかなり特殊な場なので、そうではなく日常の教育活動における評価として考えてみたいと思います。

 

生成AIは使えて当たり前の道具になりつつありますから、私の大学の授業では、18歳以上の大学生の皆さんは自分の判断で使ってよいとしています。生成AIだったら授業の課題にどう答えるかと問うこともありますし、生成AIを踏まえて課題を解けばよいと思っています。学生には、『生成AIを超えて自分の色をどうつけるかと考えて課題に取り組んでほしい』という話をよくします。

 

大学生は自由に使います。条件が許せばですが、中学校や高校でも日常の、特に探究的な学習では、生成AIを使って当たり前だと考える必要があると思っています。生成AIレベルの課題解決で満足するのではなく、生成AIが出した回答をどう超えて、どう自分に合わせるか、考えてもらうことが基本だと思います」

 

石戸:「私も、スマートフォンも含めてありとあらゆるツールを使って最適解を出すという学び方が大事だと考えていましたので、当たり前のツールとして使うことに賛同するところです。一方で、入試は別とのお話ですけれど、やはり入試のことも考えなければいけないのではないかと思います。というのも、入試が変わらないから教育現場が変わらない、という議論もこれまでさんざん行われてきたからです。一般論として、国立大学の入試はこれからどうあるべきか、先生のご見解を伺えればと思います」

 

藤川氏:「入試は、どうやっても不満が出るシステムだと思いますので、できるだけ分かりやすく、選択肢を示しながら作っていくことが大事だと思っています。国立大学の場合、一般入試は基本的に大学入試センターの共通テストがあり、独自の二次試験があります。独自の試験は各校が手間暇かけて作っていますし、千葉大学の教育学部は全員面接もしています。手間暇かけて大学学部にあった選び方していると思います。一方で共通テストは全国一斉ですので、標準化され公平でなければいけない。すると凝ったものを作るにも限界があるので、一定の枠の中で公平性を優先した内容になります。さらに旧AO入試、現在は総合型選抜という入試がありますが、こちらは各受験生のことをよく知る機会を作って、実際に行動してもらったり、対話してもらったり、プレゼンしてもらったり、それまでの経験も含めて評価していきます。現状は、一般入試と旧AO入試にはそれぞれ明確な基準があり、自分に合った方法で受験してもらうという、誰にとっても分かりやすいやり方だと思います。現状でベストなのかなと思っています」

 

石戸:「さらに踏み込んでお聞きすると、入試はこれまで、教室に入れる人数など物理的な制約条件がある中で選抜しなくてはならなかったと思います。一方でデジタルを活用することで、もともとの制約条件すら変えられる可能性があります。するとそもそもの大学のあり方、さらに言うと、小学校、中学校、高校のあり方も、抜本的に変えた方がよいという可能性もあるのではと思います。いかがでしょうか」

 

藤川氏:ICTなどテクノロジーが発達すればするほど、実際に教師役の人間と生徒がきちんと関わりあって学ぶ場面の価値が相対的に上がっていくと考えています。大学でも、例えばオンランのオンデマンドの授業で動画を見て各自学んでおく場面は、当然それなりに位置を占めていく必要はあっても、やはり要所では、ゼミのように少人数で議論をしながら、指導や実験をする体験的な活動をこまめに提供しなければいけないと思います。これについて一気に規模を拡大することは、考えない方が良いように思います。

 

日本はそもそも少子化の傾向にあるわけですから、大量の学習者を無理にひとつの場所で受け入れる必要はありません。動画でできる講義科目は大量の人を受け入れる余地を残しつつ、むしろ少人数でこまめに指導することを大事にしていく方向に、ならざるを得ないように思います」

 

石戸:「私も、対面での生身の先生の指導の価値がさらに上がると思います。視聴者には初等中等教育に関心がある方が多いので、その点の質問もきています。『先生のこれからの役割やその指導技術は、どう変わっていくのか。それをどのように育成していけばよいのか』というものです。ご意見を伺えればと思います」

 

藤川氏:「新しいテクノロジーがどんどん出てくる状況ですから、先生方も自分で学べるかどうか、これまで以上に問われてきています。ますますその傾向も強まると思います。ですので、自分の働き方も調整しながら新しいものを体験する余地を持っている先生、生成AIが出てきたときにしっかりと向き合って自分なりに使っている先生には、この状況は魅力的だと思います。自分で試したことを日頃の授業や学級作りなどに生かせる先生になっていく必要があると思います。学校の先生がどれくらい、探究することに余地を持てるかが、問われるのかなと思います」

 

石戸:「そうですね。子供も大人も学び続けることが大事ですね。先生たちが余力を残すためにも、校務に生成AIをうまく活用していくことも重要と思いました。

 

このような質問もきています。『初等中等教育において、ハルシネーションの対応方法について、具体的にどのように指導教育されていますか』というものです。生成AIはかなりもっともらしく答えるから、今まで以上に騙されやすくなってしまう。大人もフェイクニュースに騙されることがありますが、小中学生に対してはどのように伝えると良いのでしょうか」

 

藤川氏:「実践報告には注意喚起ぐらいはありますが、『教育』はほぼされていないと思います。私は、何か情報を受け取ったときに虚偽や誤り、あるいは偏った表現である可能性が常にあると考えなければいけない、クリティカルシンキングやメディアリテラシーに関わる技能だと考えています。『たとえ教科書であっても、誤解を招く可能性もあると考えなければいけない』という教育をしていく必要があります。これまでの日本の教育では、疑問を持つことを否定するところがありましたが、これからは疑問を持つことが歓迎されます。疑問を持ったらどうやって調べようか、と授業を中断してでも確認できるような環境が必要だろうと思います。特にAIは、本当にそうかと意識しながら使うことが大事で、他の情報源にあたってみる、あるいは回答になった元の情報を確認することを習慣づけていくことが大事です。『情報源を確認しましょう、懐疑的に見ましょう』と先生が日頃から言い、態度でも示していくことが必要だと思います」

 

石戸:「今の内容にも関連しますが、AIリテラシーという視点で改めて整理したいです。これまでのICTリテラシーと大きくは変わらないと思いますが、藤川先生が考えているAIリテラシーとして特に注意すべきことがありましたら、教えていただければと思います」

 

藤川氏:AIリテラシーの基本は、先ほどのクリティカルシンキングやメディアリテラシーと共通すると思いますが、冒頭の『GPTとは何か』を理解することは大事だと思っています。厳密な仕組みは私でもよく分からないのですが、おおまかに『AIはこんな仕組みだから、こんな出力になるんだ』と理解できるようにしておくことは大事です。メディアリテラシーでいうと、例えば新聞記事が作られるプロセスをある程度知っていることで、『こう作られるから、こういう表現が出てくるのだ』と理解できるわけです。テレビ番組がどう作られているか知ることで、テレビ番組を懐疑的に見ることにつながるわけです。それらと同様です」

 

石戸:「出口のところだけ『気をつけなさい』と言っていると、技術が変われば応用ができなくなってしまうのなら、それはリテラシーとは言えませんね。やはり、原理原則をある程度理解をし、自分の頭で考えていくことが大事でると、改めて思いました。

 

AARサイクルについて、複数質問がきています。『学校現場においてAARサイクル超スピードで回すにはどんな障壁があると思うか。それを実現するには、具体的に何をするとよいのか』という質問です。いかがでしょうか」

 

藤川氏:「一つには今、探究的な学習が注目されています。答えのない課題を探究して発表する、実際にやってみる、という学習が今後、増えていくことは間違いないと思います。東京都渋谷区の学校は、午後の時間をすべて『探究』にするそうです。こういう例が出てくるのは非常に心強いです。探究的な学習とAARサイクルは非常に相性がよいです。答えが決まっていない課題に対していろいろと試行錯誤してみる。何もしないと何も出てこないわけですが、何かして失敗することがあっても失敗から次にまた進めるわけで、失敗にいかに価値があるかが分かってきます。やってみることが大事で、成功が失敗か自体はそれほど意味がないという価値観とマインドセットになっていかなければならないと思います。その意味で、探究的な学習で失敗を価値づけていくことが大事だと思います」

 

石戸:「社会に出てからの問いも、まさに正解が分からないものばかりですよね。まず先生が正解主義から抜けていくことが大事かと思います。このような質問もきています。『いろんな事例をリストで見せていただきました。生成AIを活用した授業で国内外問わず先生が特に面白いと思われた事例があればご紹介いただきたい』とのことです。いかがでしょうか」

 

藤川氏:「海外事例も調べましたがよくわかりませんでした。日本の先生たちは実践報告をまめにしてくれる人が多いですね。このように新しいものが出てすぐに実践方法が出てくるということは、日本は強いのかなとちょっと思います。外国の例はあまり分からない前提で申し上げます。小学館のメディアの『みんなの教育技術』というシリーズ、これは私の知り合いの池田 修さんという京都の大学の先生と、藤原 友和さんという北海道の小学校の先生が大量に情報を出しているもので、アイデアがものすごく面白いです。とにかくありとあらゆることをChatGPTにやらせたらどうなるのかと、相当使っています。例えば修学旅行のプランを作る、校務文書の原案を作る、条件を入れて時間割のようなものを作らせるなど。クイズも作るし、新しい言葉遊びの創作みたいなことも面白いなと思います。この方のお話は、ぜひ機会があったら聞いていただきたいです」

 

石戸:「私も改めてチェックしたいと思います。また、子どもたちの学習スタイルもやはり変わっていくと思います。ChatGPTの登場で、学びたい意欲がある子は、どんどん学習を進めることができます。そのような子供が今まで以上に増えていった時に、学校はどう対応していくのか。そういう学習者に対して留意すべき点はあるのか。過去には学びが進みすぎることへの留意点に言及された登壇者の方もいました。私なりの解釈ですが、これまで、心の成長と知能の成長の両輪だったのが、例えば知性だけがどんどん進んでしまったときに心が追いつかず、倫理観的に追いつかない側面が出てくる可能性もあるのではないか。そんな指摘もありました。つまり、その学習者が今まで以上のスピードで学習ができるようになる技術が登場したとき、学校としてどんな役割を担えるのか。それと学習者が留意すべき点、2点についてお話を伺えればと思います」

 

藤川氏:「私は、オタク的にものすごくよく知っている子供が出てくることを予想しています。今までオタクとは、基本的にサブカルチャー的なものを好きな人たちのことで、学校教育とはバッティングしていなかったのですが、あるジャンルについて、一般の大人が全く知らないようなことをものすごくよく知っている子どもたちもいます。これが、歴史や科学や文学といった、教科で扱うジャンルについても出てくるだろうと思います。そうなったら、オタクと言われている人たちが、どう生きているかを参考にすることが一つヒントなるのではないかと思います。私はオタク的なことについての研究もしていますので、その立場で申し上げます。オタクは、自分一人でものすごくはまっていく局面を経るわけですが、オタクとしての発信を始めたりオタク同士の交流をしたりするようになる人が割と多く、そうなると従来言われていたようなコミュニケーションができない人間のままではいられなくなります。むしろそのあるジャンルについてものすごく詳しいことを基盤しながらも、他者との対話をすごく意識しなければいけなくなる。もともと対話が得意ではない人も、自分なりの仕方でコミュニケーションする必然性が出てくる。そんな成長の仕方もあります。このAI時代、ある教科のある領域について学校の先生よりも、ものすごく詳しい子供がどんどん出てくる可能性があります。そうなったときに先生は、プライドを持ちすぎずにその子を一人の専門家として尊重して、コミュニケーションを取っていただきたい。オタクが迫害されずに保護される、サンクチュアリが学校であってほしいと思います。教科オタクの子も保護されていけば、健全に成長しやすいと思います」

 

石戸:「オタクのように一つを極める力は、それを入り口にさらに学習が広がっていくので素晴らしいことで、そういう力を育み大事にしてくれる学びの場があると良いですね。最後に、2つ質問します。1つめです。日本はデジタル化が極めて遅く、特に教育現場はデジタル化において後進国と言われ、コロナ禍では苦労しました。これからはおそらくすべての人がAIを使いこなす時代が到来するだろうと思います。日本においてAIの導入が遅れないようにするために、何をするべきなのでしょうか。

 

2つめはそれに関連することです。生成AIの登場によって教育は変化せざるを得ないと思います。しかしながら、なかなかデジタル化に対応できませんでした。変わらなくてはいけないのに変われなかった価値観を変化させるために、私たちは何をするべきなのでしょうか。重複する部分もありますが、教えていただければと思います」

 

藤川氏:「学校教育でということで申し上げます。2つに共通することですが、日本の学校教育は国の統制がそれなりにあり、学習指導要領が変わらないと変わりにくいところがあります。その中で生成AIについては20237月に文部科学省が学校向けに暫定版ガイドラインを出しました。それはすごく意味があることです。今後、これを学習指導要領等でしっかりと位置付けていき、学校の先生が安心して生成AIを使える環境を作って行くことが必要だろうと思います。

 

小学校のプログラミング教育も盛り上がっていないようですが、小中学校は11台端末があるわけですから、もう少し各教科での使い方を定めるなど環境をしっかり整えて、学校の教室で生成AIを普通に使える状況を作っていかなければならないと思います。そのために学習指導要領や、できれば生成AIの利用ルールも、年齢制限を下げて先生の指導の下なら使えるようにしていくなど、変えていく必要があると思います。著作権等についても、日本はルールが甘すぎるとの話もありますので国際的に通用するルールを確立するなど、政府主体で使いやすい枠組みを作っていかないと、学校での活用もなかなか進まないように思います。一方で、民間では自由に使えるわけですから、大人たちが当たり前のように生成AIを使って新たなものを生み出していく状況を作り、それらを学校にどんどん届けて、学校に影響を与えていただきたいとも思っています。そうすると学校も変わっていけると思います」

 

最後は石戸の「今後、生成AIを入り口にさらに学習が広がり、発展的な学びの場が広がることを期待したいです」という言葉で、シンポジウムは幕を閉じた。

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