概要
超教育協会は2021年12月13日、慶應義塾大学 環境情報学部教授・ヤフー株式会社 CSOの安宅和人氏を招いて、「コロナ後のシン・ニホンについて」と題したオンラインシンポジウムを開催した。
シンポジウムの前半では安宅氏が、コロナ禍という未曽有の状況において、改めて日本が世界で存在感を発揮するためには、「データ×AI」についての素養を新たな基礎教養として育成することに加え、時代の局面と価値創造の変化を踏まえ、育てるべき人物像を「仕組みに乗り・回す側」から「仕掛け・創る側」に刷新することが必要であると説明。後半では、超教育協会理事長の石戸奈々子をファシリテーターに参加者を交えての質疑応答が実施された。その前半の模様を紹介する。
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「コロナ後のシン・ニホンについて」
■日時:2021年12月13日(水)12時~12時55分
■講演:安宅 和人氏
慶應義塾大学 環境情報学部教授
ヤフー株式会社 CSO
■ファシリテーター:石戸 奈々子
超教育協会理事長
一般社団法人データサイエンティスト(DS)協会の創立メンバー(理事)・スキル定義委員長として、IPAと共同でデータサイエンスのスキル標準、DS検定を策定・推進する一方、CSTIでの10兆円基金創設、数理データサイエンスAIカリキュラムの策定・展開、デジタル防災未来構想、国のデジタル基盤検討、新AI戦略検討会議、教育未来創造会議などさまざまなデータ×AI系の政府委員も務めている安宅氏は約30分間の講演において、コロナ後のシン・ニホンについて語った。主な内容は以下の通り。
【安宅氏】
新型コロナウイルス感染症の拡大など、さまざまな予期せぬ出来事が起こる不確実な時代にあって大切なことは何でしょうか。不確実性の高い状況下においては、目先で確実なことしかしていない組織や社会は滅び、未来に対してある程度以上にリスクを取りながらも備えている組織や社会は生き延びるということが、以前マッキンゼーで行われた研究からわかっています。
この視点を持つことは大切です。私の著書『シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成』(以下、シン・ニホン)でも指摘していますが、今、世界では、50兆円を遥かに超える大きな企業価値を持つ企業が続々と誕生しています。なかでも特筆すべき企業の一つはテスラ社です。
テスラ社の電気自動車は、AIをフル活用したスマートフォンが車として走っているようなものとよく語られますが、乗ったことがない人にはイメージが沸きにくいと思います。テスラは「単に燃料をガソリンから電気に置き換えたクルマ会社」ではないのです。
▲ 資料1・テスラ、ゼネラルモーターズ、
トヨタ自動車の株価の変遷
(安宅和人.『シン・ニホン AI×データ時代における
日本の再生と人材育成』より)
テスラ社は販売台数はトヨタ、GM、VWの大手三社に比べ、ずっと小さいにもかかわらず、既に2020年7月にそれまで自動車会社としては世界一の企業価値を誇ったトヨタ自動車の時価総額を抜き去り、今はトヨタのほぼ4倍の企業価値になっています。
テスラと既存の自動車会社との企業価値の差が開く一方なのですが、この一見不可解なトレンドの背景にはCovid19の到来で決定的に明らかになった、人類と地球との衝突が置きている現代社会に対する寄与がどのぐらい明確なのか、ということがあります。
テスラ自身は自分たちはモビリティ会社としてはとらえておらず、持続可能なエネルギー社会に向かう変化の触媒としてとらえています。彼らのミッションは「この世の中がサステナブルエナジーの社会に移行することを加速する(to accelerate the world’s transition to sustainable energy)」です。
以前、対談相手の東京電力パワーグリッドの副社長である岡本氏に『東京電力のディスラプターが現れるとするとどこだと思いますか』と聞くと即答で『テスラです』と返ってきました。ディスラプター(disruptor)というのは、既存のビジネスモデルや秩序を破壊するプレーヤーのことです。
参考: Special対談 シン・ニホンのエネルギーを語ろう 安宅和人×岡本浩 (岡本浩「グリッドで理解する電力システム」日本電気協会新聞部 2020に掲載)
テスラは現時点でも、EVを作るだけでなく、強度高く、発電可能な屋根材であるSolar Roofを作り、家庭用蓄電池のPowerwallで自社の車に充電するというサービス展開を行なっています(注:ソーラールーフは日本では未発売)。ちなみにテスラ車一台で普通の家庭の数日から一週間分の電気が蓄電可能です。彼らは全世界的にグリッド(送配電網)のいらない世界を構築しようとしているのです。彼らの企業価値はモビリティ会社としてだけでは理解できないということです。
日本の教育現場で語られていることはあまりないと思いますが、ピケティ氏の本を見るまでもなく、日本だけでなく、世界的に付加価値の総和であるGDPよりも企業価値が社会の富を生み出す中心となって久しいです。
株式市場や投資信託などで適切にお金を運用さえしていれば、一般人の資産もこれに伴い伸び、社会全体が潤う。世界のスーパーリッチの皆さんがどのように富を得ているかをみても明らかですが、巨大な富はGDPやその分配である給料から生まれるわけではありません。この個人では使い切れない富はCovidワクチン開発の加速のために巨額のお金がゲイツ財団から投資されたように、新しいイニシアチブとして社会に還流していきます。つまり、このような未来への希望を生み出す企業をいくつ作れるか、そういうことができる人を何人生み出せるか、が国富そのものの創出でもあるのです。
先進国、中国はもちろん、インドすら世界的に主要国の人口、特に生産年齢人口、が調整局面に入る中、大量生産の発想とは異なる思考をしていかないと、いつまでたっても社会のためになりません。「データ×AI」という電気や化学のようなどこにでも入り込む普遍性の高い技術革新が起きている中で、これらをテコに未来の世界に寄与するためにどのように価値を生み出すか、という発想にシフトしていくべきなのです。
2020年2月に『シン・ニホン』(NewsPicks)を出版したときには「データ×AI」によるデジタル革新の第一波、つまりPhase Iの最終段階と思っていましたが、Covid19によるウィズコロナ状況で前倒しが進み、明らかに今は第二波が来ているPhase IIに入ったと考えています(下の2016年に作成した図を参照)。Phase II、PhaseIIIの時代に、どこまで対応していくか、第二波にいかに乗り、変化を生み出していくかが、これからの価値創出におけるポイントです。
▲ 資料2・データ×AIにおける波は
2021年現在でPhase IIに入っている
(安宅和人.『シン・ニホン AI×データ時代における
日本の再生と人材育成』第二章より)
今は資産を持つ側がさらに富を生み出しています。資産は企業価値に加え、ブロックチェーンなどの暗号資産、これも「データ×AI」の利活用の一種、によって更に生み出されていっています。まとまった資産を持っている人は、さらに巨額の富を生み出しています。しかも変化は激しく、たとえば世界の暗号資産の総額はこの数年で指数関数的に伸び、すでに数百兆円のオーダーです。
富だけではありません。近代の人類史は指数関数的な変化の繰り返しでした。たとえば120年前のニューヨークの風景は馬車と人ばかりでした。残っている写真を見ると、それがたった13年ですべて自動車に置き換わっています。T型フォードの発売は1908年ですから、それから5年しか経っていないのに、1000年単位で続く馬による移動社会から大きく変わってしまったのです。
基本的にエクスポネンシャルに時代が変わるということを人類は繰り返しており、今もこれからもそれが起きるということです。
データやAIを「使い倒す人」と「使い倒せない人」との闘いに
AIやデータという汎用性の高い技術と資源が生まれ、急激に広がりつつあるいま、よくいわれる「AI vs. 人間」という図式は正しくなく、これからは「AIやデータを使い倒す人」と「使い倒せない人」との戦いになることは明らかです。中国では2018年以降、深層学習まで含めた教育が中等教育レベル(まずは一部の学校から)でスタートしています。日本もそれを見てまずいと奮起し、高校の新設科目である「情報Ⅱ」はこれに匹敵するものになっています。このように日本の中等教育も変わりつつあるのです。
社会を生き抜くための基礎教養は変化してきており、「データ×AIリテラシー」を基礎素養として身に付けていくことが求められています。この未来を創っていくべき局面では、単なる特定分野の研究家ばかりではなく世の中を変えていくような人が決定的に必要です。鍵となるのは私が「異人」と呼ぶ、新しいことを仕掛ける人であり、様々な分野の人をつないで実現できる人です。
▲ 資料3・社会を生き抜くための
基礎教養に「データ×AIリテラシー」を
身に付けることが求められている
(安宅和人.『シン・ニホン AI×データ時代における
日本の再生と人材育成』より)
世の中では「ワーク ライフ バランス(Work Life Balance)」が議論されることが多くありますが、私は、落合陽一氏によって提唱された「ワーク アズ ライフ(Work as Life)」に当面なっていくと思っていますし、最終的には生きているそのものが価値になるライフ アズ バリュー(Life as Value)になっていくとみています。そして世界の富の形成の構造変化を考えると、給与というもの自体がなかばベーシックインカムに近い存在になる時代に入ると考えています。
ただし、データ×AIの時代になっても自ら「手」を使って創造していくことの大切さは変わりません。内燃機関、電気、化学といった、これまでの数多くの技術革新と同様に、生々しい想像力を、手と新しい技術で形にしていくことが求められています。
あらゆる文化は
「手」によってつくられる。
真の創造は最終的には
「手」によってなされる。
「手」をわすれることは
文化の原点を忘れ、
人間性を見失うことである。
このプロジェクトは
「手」を通じて
「新しい生活のあり様」を提案し、
「文化」の本質的な復権を願って
企てられたものである。
▲(浜野総合研究所
「TokyuCreativeLifeStore
イメージ構想計画書」
東急ハンズ企画書1976より)
以上の変化と時代の要請を踏まえると、作るべき人材像をこれまで通り「仕組みに乗り、出来た社会を回す人」だけを主軸に置くのではなく、「何か新しいことを仕掛け、生み出す人」側に刷新していくべき局面であることはほぼ自明です。「回す人」がいらないというのではなく「回す人」だけではだめだということ、「創る人」を大切にすることがとても大切であるということを、子どもたちも、親も、教育関係者も心の底までみんな理解して、異端児としてはじき出さずに、育てるということが大切ということです。
人材の刷新や育成について、日本の学校教育の視点から考えてみます。まず、「何かを仕掛ける人」を育成するなら、初等・中等教育からきちんと才能と情熱を育てていくことが大切です。
加えて、あらゆる活動の芯棒を支える人材としてPhD学生、ポスドク、大学教員といったリーダー層の強化は必須です。ただ現在日本は国のフラッグシップレベルの研究大学でも、到底世界のトップ大学に伍するレベルの待遇、資本投下が出来ているとはいい難い状況です。この状況の抜本的な改善に向け、国家的な基金として、10兆円規模の大学基金を提唱し、年単位で訴えてきました。幸い設立が決まり、現在運用だけでなく、その活用のあり方についてCSTI(総合科学技術イノベーション会議)にて真剣に検討が行われています。まもなく方針がまとまる予定です。
コロナ禍後のシン・ニホンが直面する世の中とは
Covid19発生後のシン・ニホンについて、さまざまな視点で考えてみます。2021年10月5日に真鍋淑郎先生がノーベル賞を受賞しましたが、真鍋先生の提示された温室効果ガスによる地球温暖化モデルが扱っている問題の深刻さは並大抵なことではありません。今、地球にはものすごい量の熱が海に蓄積していることでもわかるとおり、温暖化が進んでいるのは事実です。
▲ 資料4・世界の海洋に溜まる熱量の推移
(安宅和人.『シン・ニホンAI×データ時代における
日本の再生と人材育成』第六章より)
日本で報道されることはほとんどありませんが、温暖化により直径25mや直径50mもあるような巨大なクレーターが永久凍土地帯で発生しています。しかも、永久凍土地帯のクレーターから未知の細菌やウイルスが吹き出てくる可能性も指摘されており、その意味でも、まだまだパンデミックが襲来するリスクはあります。実際に2016年ロシアの永久凍土が溶け、炭疽菌に感染したトナカイの死骸から他の動物に感染し、炭疽の集団発生が起こっています。
参考:「解ける永久凍土と目覚める病原体、ロシア北部の炭疽集団発生」AFP BB News(2016年8月8日)
一方、気象庁によると日本は今後60年で年平均気温が4度近くも上がると予想されています。その結果、日本の美しい広葉樹林の多くを占めるブナ林が枯れていくのではないかと推定されています。
これが今、私たちに突きつけられている重大な現実であり、局面です。この先一体何が起きるのかというと、環境省の予測ですが2100年の東京の夏の気温は今の南インド並みとなり、台風の最大風速は90mにもなると予測しています。この予測データを発表した人に環境省の会議でお会いしたことがあって、「これはちょっと煽り過ぎじゃないですか」と聞いたら、「これは決してアグレッシブシナリオではないのです」という答えでした。「台風の最大風速が100mというシナリオも十分あり得て、70m以下のシナリオは考えにくい」と。
つまりこれらはもう、ほぼ確実に到来すると考えられる未来なわけです。温暖化を逆戻りさせるところまで持っていくのは相当に困難であり、温暖化抑制に向け、全世界的に最善を尽くしつつも、相当の悪化は覚悟しなければいけない局面です。
日本海を見ても、ここ100年で海面温度が1.7度も上昇しています。水は、空気と比べ、密度は800倍、比熱で4倍あります。しかも海はボリュームが大きい。その海水が1.7度も上昇している、すなわち途方もない熱量が溜まってきているわけです。
地球温暖化以外にも、重要な問題があります。M9級のスマトラ島沖地震(2004)、東日本大震災(2011)が今世紀になってから続いていることから分かる通り、太平洋西岸は地殻の活動期に入っている可能性が相当にあります。
東日本大震災では日本海溝が動いたわけですが、国のデジタル防災検討を行っている時、上に連なる千島海溝にはまだひずみが大量にたまっており、今すぐに大地震が起きてもおかしくないとある専門家から指摘されました。南海トラフの話は皆さんご存知のとおりで、2030年代に何らかの地震が起きる可能性が高いとされています。確率は低いとは思いますが、東海・東南海・南海地震が、仮にあまり時間をあけず、三連動で発生すると途方もないことになりかねません。津波が時差で発生しますので、ホイヘンスの原理で津波が重なり合い、30〜40mクラスの津波となりうるからです。
また、令和二年(2020年)に行われた中央防災会議の検討では富士山が噴火するとわずか3時間で首都機能がほぼほぼ停止することが想定されています。ガイシ(碍子)がやられるために電力が止まり、鉄道はもちろん、物流も止まります。電力停止に伴い、通信も上下水道も止まります。
参考:内閣府 大規模噴火時の広域降灰対策検討ワーキンググループ
こうしたことを総合的に考えると、パンデミックレディかつディザスターレディな社会・空間を作っていくことは、次の世代やその次の世代に残すに値する生活環境を作ることの必要条件だと考えます。
次の世代にどんな未来を残したいのか 人と地球の双方にとっての「善」を考える
以上みてきたとおり、紛争がないだけでなく、天災やパンデミックでやられない状況という風に平和の定義が変わりました。この人類としての「手詰まり感」をどう避けるのかが世界的な問題です。今は、人にとっての善と地球にとっての善の交点こそが価値創造においてmake senseする時代に突入しています。
▲ 資料5・これまでとは異なり、
人にとっての善と地球にとっての善は
交点でのみ価値がある時代になろうとしている
人と地球との両方にとって善であるとはどういうことか。例えば、人々の暮らしに重要な自動車のエンジンについて考えてみます。内燃機関をジェームズ・ワットが発明した頃、エネルギー変換効率は0.5%くらいでした。99.5%は熱として放散されて終わっていたのですが、現在のクルマのエンジンのエネルギー変換効率は2割くらいです。発電所などの大きなスケールの場合、最高効率だと4割強まではいくのですが。
一方、電気モーターなら9割以上の変換効率です。これらの半ば物理限界を踏まえれば、ガソリン自動車から電気自動車に変わっていくことは致し方のない流れであり、人と地球にとっての善でもあると考えます。仮に発電に化石燃料を使ったとしても、推進力はガソリンエンジンではなく、環境負荷の低いモーターで生み出すべきでしょう。
また、大量のCO2排出が避けられないアルミニウムの精錬でも、これまでとはまったく異なり、CO2ではなくO2を発生させる精錬方法も登場しています。土木や建築の世界で必須のセメントも世界的にCO2排出の約8%をしめており、鉄鋼業は日本のCO2排出の14%をしめていることを考えれば、こういう地下からのCO2持ち込みを抑制するためのイノベーションはとても重要です。
参考:
・「Apple、先進のカーボンフリーなアルミニウム 製錬法の実現に向けて道を開く」ほか。
・Climate change: The massive CO2 emitter you may not know about
・「高炉存続の危機、50年までに大半が閉鎖も-脱炭素に揺れる鉄鋼業界」
さまざまな課題がある中で、すでにパンデミックレディなまち作りも始まっています。従来の都市化の基本である「密閉×密」の逆である、開放×疎、すなわち「開疎」を前提とした街作り、都市の開疎化です。福岡県天神という九州最大の商業地では、50くらいのビルを立て直そうとしている「天神ビッグバン」が始動しており、立て直し後のビルは軒並み開疎化しようとしています。もしかしたら世界最先端の都市開発になるのではないかという期待があります。
参考:福岡市 HP 「規制緩和によって民間投資を呼び込む『天神ビッグバン』着実に進行中!!」
「シン・ニホン」にも書きましたが、今はなかなか「厄介な世の中」です。近い将来に世界が滅びてしまうかもしれない、そんな懸念さえ頭をもたげる人もいるでしょう。ただ、ぼやいているだけでは意味がありません。氷河期や中世のペストなど様々な変化の中、現生人類(ホモ・サピエンス)は15万年生き延びてきました。人類は基本滅びることはないという前提の元、自分たちの未来、次の世代にどんな未来を残したいのか考えて、毎日を生きていくことが重要なのではないでしょうか。結局のところは「やれることはやりましょう」という姿勢が大切です。ガタガタ言わず、力をつけ、やれることからやるということです。
>> 後半へ続く