グラフ文書を教育に活用することで批判的思考能力が向上
第132回オンラインシンポレポート・後半

活動報告|レポート

2023.9.8 Fri
グラフ文書を教育に活用することで批判的思考能力が向上</br>第132回オンラインシンポレポート・後半

概要

超教育協会は726日、東京大学大学院情報理工学系研究科 附属ソーシャルICT研究センター教授の橋田 浩一氏を招いて、「教育におけるAI利用」と題したオンラインシンポジウムを開催した。

 

シンポジウムの前半では、橋田氏が教育におけるグラフ文書の活用と効果について講演を行い、後半では、超教育協会理事長の石戸奈々子氏をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。その後半の模様を紹介する。

 

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「教育におけるAI利用」

日時:2023年726日 12時~1255

講演:橋田 浩一氏
東京大学大学院情報理工学系研究科

附属ソーシャルICT研究センター教授 

■ファシリテーター:石戸 奈々子 超教育協会理事長

 

▲ 写真・ファシリテーターを務めた
超教育協会理事長の石戸 奈々子

 

シンポジウムの後半では、超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。

グラフ文書は小論文を書いたり文章題を解くのに効果を発揮

石戸:「橋田先生は、これから人間が長い文章を書かなくなるのではないかと仰っていました。その意図するところが今日のお話かなと思います。人間の文章を書くという行為は、AIがこれから進んでいくことでかなり変わっていくと考えていらっしゃいますか」

 

橋田氏:「そうですね。最近のAIの発展などがもし仮になくても、グラフ文書の方がテキスト文書より人間にとって扱いやすいため、徐々にテキスト文書がグラフ文書に置き代わっていくと思います。しかしAI効果は大きいと思います。例えば我々が最近論文を査読する時にはChatPDFのようなAIを使い、論文を直接読まずにまずサマライズさせます。つまり原文を読まずにAIを介してアクセスしています。それにより査読の効率が5倍くらいになっています。長いテキストを人間が直接読む時代は終わりつつあると思います。長いテキストを人間が直接読み書きしないのなら、どういう文書を人間は作るべきかという話になり、それがグラフ文書というわけです。もともと、テキストからグラフへという流れはあり得ますが、それがAIによって加速されるということです。それでAIの性能もよくなり、人間の知的生産性や批判的思考能力の伸びも一層促されるようになる可能性が高く、そうしたいと考えています」

 

石戸:「一般的な質問で必ず聞いているのですが、AIが広がるにあたり、本当に人間に求められる力はこれからどのように変わっていくのかということと、それに伴い教育をどういう部分で変えるべきなのかについてご意見をいただければと思います」

 

橋田氏:「AI、特にLLM膨大な記憶と浅い理解が得意なため、そのほかの部分、リアルな体験と推論によって知識を運用する能力や、色々な仮説を評価して新たなアイデアを創造する能力を伸ばすことが人間には求められると考えています」

 

石戸:「グラフ文書で文章のあり方が変わっていくのではないかという研究は、国内外問わずどのくらいのボリューム感で研究がなされているのかと、例えば他の方法としてどういう方法が想定できるのでしょうか」

 

橋田氏:「他の方法は思いつかないです。グラフでテキストを置き換えるという発想がほぼないです。私以外に行っている人を見たことがありません。それはよいねと言う人はいますが、正式に論文などを書いている人はいません。それはおそらく、色々なグラフを作るのがとても大変に見えるからでしょう。実際、リンクのラベルを手入力するのは大変だと、コンセプトマップを主導してきた人も思い込んでいたため、この形のコンテンツで従来のテキスト文書を置き換えようという発想がほぼなかったと思います。だけどよく考えたら、この関係を規格化することによってむしろ従来のテキストよりも簡単に作れるとわかり、実際に実験してみたらそうだったという流れです。そのため、世界で唯一の研究ではないかと思います」

 

石戸:「グラフ文書の使い方についてさまざまな質問がきています。まずひとつは、今日は国語の文章を事例として挙げていただきましたが、それ以外にどのような教科や活動で、グラフ文書を使った学びの場の構築を実現できるのかというもの。それから、メリットデメリットに関するものです。グラフが大きくなりすぎると、どこから読み始めればよいのかなど読み解くのに時間がかかって分かりにくくなるため、グラフ文書が適した場面とそうではない場面があるのではないかという質問がきていますが、いかがでしょうか」

 

橋田氏:「適していないのは、プレゼンテーションそのものに価値があるコンテンツです。つまり文学作品です。五七五をグラフにしても仕方がありません。五七五であることに価値があります。だから文学作品はグラフにする意味があまりありません。グラフにする意味があるのは、ロジカルなコンテンツ、法律、契約書、論文、マニュアルなど。

 

グラフが大きくなった時にどうなるかについて。確かに、グラフが巨大になったら訳が分からなくなりますが、それはテキスト文書でも同じです。ひとつの本はパートに分かれてパートが章に分かれて、章は節に分かれて、節は段落に分かれています。ひとつのグラフは普通のテキストの2~3段落分だと思いますが、グラフの中の各ノードのグラフを埋め込むことができます。ノードをダブルクリックするとその中のグラフが現われるような感じです。こうしてグラフ全体に階層構造を導入することができます。それはテキスト文書の階層構造とほぼ同じものです。階層構造全体は同じだけれど、階層構造の一番下のところではグラフの方がテキストよりも扱いやすく、全体としてもグラフの方がテキストより扱いやすい。テキストよりグラフが難しいという場面はないと思います。逆に細かく構造化されていることによって、この結論はこの章のここに根拠があるのでリンクで結ぶというような構造が簡単に作れるので、よりインタラクティブにアクセスできる。そういう意味で、総合的にグラフの方が扱いやすいと考えています。もちろん扱いやすさを実際にデモンストレーションする必要はありますが、理論的に考えればそうなる。グラフは確かに順序がありませんが、文脈によってどこが重要かはかなり機械的に判断できるため、まずはここから読んでくれということをAIがアシストしてくれることは割と簡単にできるはずです」

 

石戸:「1つめの質問の、国語以外のどのような教科でグラフ文書が使えるかということに関してはいかがですか」

 

橋田氏:「文章の読み書きが関連するような教科では全て使えると思います。小論文を書いたり文章題を読み解いたりする場面は、社会や数学、英語などでもありますね。漢字の書き取りや英単語の綴りは関係ないと思いますが、いろんな場面で使えると思います」

 

石戸:「作ったグラフの良し悪しをどのように改善させるのか。それに対してAIアシストのようなものがあるのかという質問がきています。私も少し腑に落ちなかったのは、テキスト文書よりグラフ文書の方が質が高いことの理由としてより多くの論点があるということと、推論の連鎖が長いということを挙げていらっしゃいましたが、時に論点を絞ってより分かりやすくした文章の方がよい文章ということもあります。また、質問にあったようにグラフ文書の良し悪しをどのように判断するのかについてはいかがですか」

 

橋田氏:「良し悪しは、まずはローカルに意味が通っていることで判断します。例えばこれが根拠として結論が導かれると正しく構造化されていることがローカルの質の話ですが、全体として見てた場合に、結論に対して根拠が示されているかみたいなことが質に関わってきます。それは推論や因果などのリンクがあるかどうかで判断できます。このようにグラフの質を定義することができます。

 

それから、より絞り込んだ文章がよいのではないかというお話ですが、グラフにすることによってよりインタラクティブにアクセスすることが可能になります。要約のようなこともより簡単です。こういうことを知りたいとAIに言うと、AIがグラフを要約してくれます。ChatPDFのようなものとあまり変わらないと思います。現在のLLMモデルを使うと、長いテキスト文書でもけっこうよい要約をしてくれます。ひとつの論文の範囲内で、その論文の中で何回も言及されているような内容が確率的に重要だという判断をしているのだと思います。グラフの形で意味が明示的に構造化されていると、より一般的な場面での要約もより正しくできるようになりより分かりやすい、アクセスしやすいコンテンツとなるのではないかと思います」

 

石戸:「視聴者は新しい教育環境を作ることに関心があるため、広く教育×AIの話に論点を変えたいと思います。これからは、パーソナル家庭教師、パーソナルエージェントが学びを担うということをデータワーキンググループでも仰っていたと思います。それについてもう少し具体的に、橋田先生がイメージされている教育面でのパーソナルなAIはどういうものかをお聞かせください」

 

橋田氏:「LLMには記憶やちょっとした理解などの能力があるため、教科書に書いてあることをそのまま教える能力は人間の教師より優れています。しかしその知識を運用する力やそれに基づいて何か別のものを評価する力、さらに新しいアイデアを紡ぎ出す力はないので、その能力を人間につけさせるようにうまくインタラクションを設計する必要があると思います。そのため、ユーザーがAIに対して評価や創造を期待するような使い方はNGです。記憶やちょっとした応用はAIにやってもらえるので、あとは人間が自分でやるという仕立てをいかにして作るかということではないかと思います。ちょうど今、グラフ文書のエディターにLLMをプラグインする仕組みを作っているところですが、それも人間主導が前提です。新しいアイデアを練るところは人間が主導して、AIが持つ大量の知識を補助的に使うという方法を、色々なユースケースを考えて設計する必要があると思います」

 

石戸:「今後の教育目標はやはり変えていくべきなのか、そして、そこでの学びをどのように評価するのが適切なのかという質問がきていますが、いかがでしょうか」

 

橋田氏:「文部科学省もすでに批判的思考能力のようなことは強調しています。本当は学科の成績よりも批判的思考能力の方が重要だということは、割とご存じの方が増えていると思うので、いかにその方向で引っ張っていくかでしょう。多くの保護者の方々は、やはり試験の成績がどうで進学できるかみたいなことを気にされていると思いますが、それよりも批判的思考能力を含む非認知能力の方が、各学習者の中長期的な利益になると分かってきています。個別の学科の成績ではなく、もっと本質的なメタ認知能力などをどうやって評価するか、それを進学や就職の際にどう使うかといった制度設計が重要になってくるのではないでしょうか」

 

石戸:「AIを幼少期から使いこなしていく力が求められるし、教育現場でも使うことが前提となると思いますが、それに当たって留意すべき点はどういうところにあると思われますか」

 

橋田氏:「AI家庭教師は民間のサービスなので、学校現場とは切り離された形で提供されると思います。AIはあらゆる知識を集約することができるため、知識を学習者に伝授するという点では強力ですが、ではその知識の内容はどうなのか。偏向した知識や思想を学習者に植えつけるみたいなことがあってはいけないので、そのコンテンツをどうやってコントロールするかは、これまであまり議論されてこなかったと思いますが、AIと教育の関係においては非常に重要だと思います。プライバシー、著作権、フェイクの話に近いですが、それが教育の場面で具体的にどういった形でリスクとして現れるのかは、これからの話なのでまだよく分かりませんが、そういうことに関するガバナンスの仕組みを作るのは喫緊の課題ではないかと思います」

 

石戸:「この前のデータワーキンググループでも、データの利活用に関しては、議論をしている間にどんどん民間のサービスにデータを取られていっている、尚且つそれを使ったよりパーソナライズドされた学びが作られているので、その整合性をどうとっていくかについて議論していましたが、そのあたりについての橋田先生のご見解をお聞かせください」

 

橋田氏:「AIが色々なサービスやコンテンツに対する個人用ポータルになると、そこに色々なサービスが結びつきます。まずAI家庭教師、AIトレーナー、AIホームドクターなど色々なサービスができます。それと、AIが商品やサービスを手配してくれることも考えられます。個別の商品やサービスに関する知識もAIが集約し、それによって、個人のあらゆる行動を支援してくれるようになると思います。そこで教育も含めてAIによりよいサービスを提供してもらうためには、より詳しい本人のデータをAIに与えなければいけません。その個人情報の中には本人が他人に絶対知られたくない機微な情報もあり得て、そういう情報も使いたいがその情報がAIから漏れたら嫌ですね。そうでない口の固いAIであってほしいということは誰でも思いつきます。AIの開発者も思いつくはずなので、このAIは絶対にあなたの秘密を守ります、わが社にもあなたの秘密の情報は明かされません、という仕立てにして、その点において利用者に信頼してもらいたいと思うでしょう。ところが、そうやって非常に詳しい機微にわたる個人情報を全てフル活用してAIが本人にサービスしてくれるということになると、もちろん潜在的にはすごくよいサービスが提供される可能性がありますが、潜在的に最悪の被害を本人に及ぼすこともあるでしょう。ポテンシャルが高いということはリスクも大きいということで、それも多くの人がすぐに気付く話ですが、それに関しても教育コンテンツの偏りに関するリスクと同様に、強力なガバナンスが必要だと思います。それがちゃんと整って初めて、AIを提供する事業者も商売ができるし、一般のユーザーもAIを使うことができるできるでしょう。合理的に考えるとそういうストーリーだと思いますが、世の中しばしば合理的に進まないこともあるので、そういう合理的なやり方を広く知らしめて、その方向に世の中を導かないといけないと考えています」

 

石戸:「最後にひとつ質問したいのが、橋田先生が考えている理想的な小中学校を対象とした教育カリキュラムについてです。そして、それに関連することですが、AIが発展するなかで橋田先生は何を子供たちが義務教育で学ぶべきだと考えるかという質問もきています」

 

橋田氏:「義務教育で学ぶべきことは、勉強の仕方とか推論の仕方とか判断の仕方だと思います。批判的思考能力のようなことです。義務教育では学科のコンテンツも重要ですが、そちらはもうAIよいのではないでしょうか。教科書のような内容はAIに教えてもらいながら、自ら考える能力を身に付ける。学科のコンテンツを習得しつつ批判的思考能力を具体例に即して鍛えていくのが理想的な教育だと思います。そうすると、教室がいらなくなります。学年もあまり意味をなさなくなっていく。特に優秀な子は飛び級みたいなことをしなくても、色んな年齢の子たちと一緒にAIを交えて対話しながら学習ができます。あるいは創造ができます。そうなっていくのが理想ではないかと考えています」

 

最後は石戸の「学校制度そのものを抜本的に見直すタイミングかもしれませんが、皆が皆合理的な判断だけで動いているわけではなく、尚且つ過去の色々なしがらみがあるなかで、どのように現実的に落としどころを見つけていくかが大事だと橋田先生のお話を伺って感じました」という言葉でシンポジウムは幕を閉じた。

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