概要
超教育協会は2023年5月24日、一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏を招いて「AI時代の教育変革」と題したオンラインシンポジウムを開催した。
シンポジウムの前半では野口氏が、まず生成系AI「ChatGPT」に代表されるAIの利活用にともない教育が変わることの重要性について講演し、後半は超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者を交えての質疑応答が実施された。その前半の模様を紹介する。
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「AI時代の教育変革」
■日時:2023年5月24日(水)12時~12時55分
■講演:野口 悠紀雄氏
一橋大学名誉教授
■ファシリテーター:石戸 奈々子
超教育協会理事長
野口氏は30分間の講演において、生成系AI「ChatGPT」と教育との関係、教育内容を変化させることの重要性などについて説明した。
生成系AIの利用を制限するのではなく論文やレポート作成の課題の出し方を変えればよい
生成系AIは、教育に根源的な影響を与えます。まさに教育の本質に関わる変化が起こっているともいえます。この問題についていろいろ議論されていますが、たいていは生徒や学生にどうやってこれを使わせるのか、あるいは使わせないのか、どのように使い方を制限するかがテーマになっています。このような議論も必要ではありますが、問題の本質を捉えているとはいえません。問題の本質は、「教える側がどう変わるべきか」です。
例えば、「ChatGPTを使うとレポートや論文を自動的に書けてしまう。すると学生の思考能力が失われる、だから利用を制限すべきだ」という意見があります。確かにその通りですが、学生が使っているのかどうかチェックするのは非常に難しいため、制限しても効果はそれほど期待できないでしょう。
私は、むしろ教える側、あるいは課題を出す側が変わればよいと考えます。これまでと同じ課題を出すのではなく、生成系AIを使えない、使っても意味がないような課題を出すことが重要です。例えばChatGPTは2021年6月までの情報しか持っていないため、直近の事態を考慮しながら論文やレポートを書きなさい、といったテーマにすれば、ChatGPTには正しい答えを出せない、使えないことになります。
学生の行動を制限すれば、新しい技術革新がもたらす潜在的な利益を学べないことにもなってしまいます。教える側が「生成系AIには、何ができて何ができないか」をしっかり把握し、どんな有効な利用法があるか理解して学生に伝えることのほうがはるかに重要なのではないでしょうか。つまり、教える側や課題を出す側が、「この新しい技術にどう対応して変わっていけるか」、それが問題の本質なのではないかと思います。
▲ スライド1・生成系AIは教育に
根源的な影響を与えるが、
禁止しては問題解決にならない
ITの発展にともない、教育も変わるべき 何を教え、何を学ぶべきかが教育に問われている
少し視野を広げて、生成系AIだけでなくIT全般で考えみます。ITが進化、変化していくに連れて、「何を教えるべきか」も変わるべきですが、これまでそれはなされてきたのでしょうか。「国語」について考えてみたいと思います。
これまでの国語教育では、漢字を正しく書くことが重要でした。それを訓練してテストする教育をしてきました。しかし、しばらく前から、文章はワープロで編集できるようになり、「手で正しく書くこと」の重要性は低下しました。書くことは、今やコンピュータがする、人間はそれを読めさえすれば良いことになってきたのです。
例えば、日本語は「漢字仮名交じり文」という世界的にも珍しい構造をしています。漢字を拾って読んでいくと、特に訓練しなくても速読ができることになります。これは日本語の非常に大きな特性です。「読む」ことに重点を置き、日本語の特性を利用しようとするなら、学校では、漢字の数を制限するのではなく、できるだけたくさんの漢字を使う教え方に転換するべきです。そして、「書けなくてもよい、読めればよい」教え方に変換することが必要です。その変換ができていたか、私は非常に疑問に思います。
その後、技術が変化して音声認識・音声入力が可能になりました。スマートフォンに向かって話せばテキストが出力されるこの技術においては、漢字仮名交じり文が逆の効果を生んでいます。日本語には同音異字語が非常に多いため、音声認識ではなかなか認識しにくい。すると、音声認識には日本語よりも英語で話したほうがよいから、英語教育のほうが重要になる、そのような変化があるかもしれません。
ところが、生成系AIが出てくるとまた内容が逆転しました。生成系AIは「文章を要約する」仕事を非常に効率的に行います。この要約において、AIは「漢字に注目している」と思います。日本語はキーワードが漢字で書かれているわけですから、キーワードを探すために漢字を見ていけばよい。「漢字仮名交じり文」という日本語の特性は、新しい技術に合っていることになります。
もう一つの例は、検索の技術です。何か知りたいときに検索すればすぐに分かる検索エンジンが使えるようになってから、いろいろなことを覚えていなくても良くなりました。社会科の歴史で年号を暗記したり、例えば「ローマ帝国第何代の皇帝の名前は何か」といったことを覚えていたりする必要はない。ですから、社会科でそのような問題を出すことは、ナンセンスになってしまったわけです。これも検索という技術が教育や試験の内容に変更を迫っている一つの例です。
しかしAIができることは暗記しなくてもよいかというと、必ずしもそうではありません。覚えていないと新しいアイデアを創造することはできないため、暗記は依然として重要です。「何を暗記しなくて良くて、何を暗記するべきか」を考えることが重要なのです。
このように技術の変化は、我々に何を勉強すべきか、どんな訓練をすべきか、非常に大きな変更を要求しています。しかし実際の教育の内容がそれに対応してきていなかったことは、大きな問題であると思います。現在の生成系AIの問題も、いったい何を教え、何をテストし、何を訓練したらよいのか、教育に突き付けられていると思います。
▲ スライド2・情報技術が変化すれば
教育も変えていく必要があったが、
変わってこなかった
「AIがある種の創造力を獲得した」は錯覚 どのような指示を出すか「プロンプト」が重要になる
教育がどう変わるべきかを考える場合、「生成系AIは、何ができるのか」を正確に理解することがとても重要です。生成系AIの能力について、非常に多くの人が「尋ねると何でも答えてくれる魔法のような機械である」と考えています。しかし、これは全くの誤解です。生成系AIにそのような能力はありません。
第一に、答えている内容が実はほとんど間違いであることがあげられます。事実が間違っていたり、データが間違っていたりします。しかし、文章は非常にまともで、知的な人が書いているような、話しているような文章を打ち出してくるため、我々は内容が正しいと思ってしまいます。これは、錯覚です。
先ほど、レポートの課題を出す場合、最近の事態に関して述べよといったテーマにすればChatGPTを使えないとしましたが、このような質問にAIは、間違った答えを出すことが明らかなため、学生がChatGPTを使ったかどうかもすぐ分かります。またこれは最近のことに限らず、歴史的な事実も間違っていますし、数学の演算を間違える場合もあります。論理を間違えることもあります。
もう一つの重要なポイントは、AIの創造性、つまり「AIは創造ができるか」ということです。何か新しいものを創造しているかのような錯覚を与えることがありますが、AIに新しいものを創造することはできません。これは簡単に試すことができます。例えば何かの小説のタイトルを挙げて、「この続編を書いてみてください」など、なにか映画のタイトルを示して「この映画の続きを教えてください」のように投げると、答えは返されますが、ほとんど役に立たない内容です。このようなことを見れば、生成系AIがクリエイティブな能力を持っていないことが明らかです。
「創造力を発揮する」ことは、人間がこれからもやっていかなければならないことで、AIに任せることはできません。ただし、人間がどのようにして創造するかの「過程」が変わることで、創造的な仕事のやり方がこれまでとは変わることを認識することは重要です。
生成系AIに向かって「これこれをやってくれ」と指示をする文章のことをプロンプトといいます。このプロンプトをどう書くによってAIの返答内容が変わります。ですからこのプロンプトの書き方が大変重要になるわけです。
つまり、まずは、生成系AIに何ができて何ができないのかを正確に把握することが大切です。その上で、事実やデータはほとんど間違っていて、クリエイティブな仕事をすることはできないこの新しいAI技術の登場に、教える側はどのように対応するか、どのように変化していくべきかを考えると、人間の仕事のやり方が変わり「プロンプトをどう書くかが重要な仕事になっていく」ことになります。
▲ スライド3・AIに創造力はない。
しかし人間が創造する過程の
大きな助けにはなる
AIがますます進化する時代の教育は「AIを使いこなせる人材」の育成へ
ここまで申しあげたことを考えると、教育がどう変わっていかなければならないのかの方向性が見えてきます。
まず、ChatGPTのような生成系AIは、文献や資料の要約の作業を非常に正確にやります。ですから、非常に長い文献はまずAIで要約して読む価値があるかどうかを判断し、価値があると判断したらじっくり読む、のような作業が可能になります。もうひとつは、外国語の日本語翻訳です。これも非常に正確になりました。例えば英語の長い文献も要約して日本語で示すことが簡単にできるようになりました。
そうであれば教育の方法、試験の方法も変わるべきです。例えば国語や英語の試験問題、大学入試でも、長い文章を読んで理解する問題はいらなくなると思います。その能力はAIに任せてよいことになると思います。
文章を書くことも生成系AIがやってくれますが、それでは、いったいどんな文章を書けばよいのか。それについては、人間がプロンプトを書いて指示することが求められ、それが最も重要になります。
これからは、新しい技術である生成系AIを使いこなせるような人材を育成することが、これからの教育に課された重要な課題です。問題を捉えて、それを的確に文章に表せるための教育が必要であり、それを試験していく方向に変化していくことが重要だと思います。人間にしかできない創造する仕事を、生成系AIを積極的に活用してできる人、そんな能力を持った人間を育成する教育内容にシフトとしてくことが、これから重要になると思います。
▲ スライド4・「理解する作業」はAIに任せ、
AI使いこなせる人材を育成するための
教育が重要
「先生」の仕事はAIに奪われてしまうのか?役割が変わることを認識し対応することが重要に
これまで人間がやっていた知的な仕事が、AIによって代替されていくといわれていますが、果たしてそうなのでしょうか。「先生」はどうなのか、失業するのだろうか、この問題について考えてみたいと思います。
結論から申しあげると、先生という仕事が生成系AIにとって代わられることはなく、先生は失業しないと思います。ただし、先生に求められる役割は変わってくると思います。これは大変に重要なことです。
先生はいろいろな知識を教えることが仕事ですが、今後、その中のかなりのことをAIがやってくれることになります。ただし、先生はそのほかにも重要な仕事をいろいろしています。それがポイントで、特に重要なのは人格形成に関することです。特に初等教育、幼稚園や小中学校における役割は重要で、AIが取って代わることはできない、人間にしかできないことだと思います。
先生の役割としては、人格形成に果たす役割が重要性を増し、その役割をうまくこなせる先生が求められていくことになります。その重要度は幼稚園が最も高く、小中学校でかなり重要、大学ではあまり重要ではないと言えるかもしれません。幼稚園の先生はなくならない、大学の教授はいらなくなることも起こり得るのではと考えています。そうなると、教育のシステムはどのように対応していくことになるのか、問題が突きつけられることになると思います。
▲ スライド5・知識を教える役割は
今後AIが担う。先生は、
「人格形成」の役割がより重要になる
最後にまとめます。生成系AIと教育との関係については、いろいろなことが議論されています。しかし、学生や生徒がAI使うことをどう制約するかが問題の本質なのではなく、教育が新しい技術に対応し、教育内容や先生の役割を変えていくことが、問題の本質に応えることになるのではと思います。
>> 後半へ続く