概要
超教育協会は2023年5月17日、東京大学大学院情報学環 教授の暦本 純一氏を招いて「AIと教育の未来」と題したオンラインシンポジウムを開催した。
シンポジウムの前半では暦本氏が、自身が研究する「人間能力拡張:ヒューマンオーグメンテーション(Human Augmentation)」と、生成系AIを教育に活用することの有効性や留意点について説明した。後半は超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者を交えての質疑応答が実施された。その後半の模様を紹介する。
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「AIと教育の未来」
■日時:2023年5月17日(水)12時~12時55分
■講演:暦本 純一氏
東京大学大学院情報学環 教授
■ファシリテーター:石戸奈々子
超教育協会理事長
▲ 写真・ファシリテーターを務めた
超教育協会理事長の石戸 奈々子
AIの教育への活用で新たに求められる「学校の役割」「学び」「身に付けるべき力」とは
シンポジウムの後半では、超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、視聴者からの質問を織り交ぜながら質疑応答が実施された。
石戸:「日本の初等中等教育では現在、一人1台パソコンの環境がようやく整いました。私もそれを長年望み提案してきた一人です。その次として、ドラえもんのように常に一緒にいてくれ、家庭教師のようであり友達のようでもあるロボットが一人1台あるとよいな、実現したいなと考えていました。暦本先生のお話を聞いていて、それが早くも実現可能なレベルにあるのではないかと思いました。
教育でChatGPTを使うかの是非が、世界レベルで議論されていますが、使う使わない以前に、抜本的に教育が変わることになるのではないかと思います。カーンアカデミーのお話で、教育にAIを入れると学び方が変わることが紹介されましたが、そもそも、『学ぶ内容はこれまで通りでよいのか、これからの私たち人間は、幼少期から何をどう学ぶべきか』、暦本先生の考えをお伺いしたいです」
暦本氏:「AIが人間の仕事を奪うという話があります。頑張って勉強してスキルを身につけたのに、AIが自動的にやってくれるからいらなくなったということも、これからの社会では起こりえるでしょう。すると『学ぶ』ことの重要性とは、本人が学びたいかどうかのモチベーションになってくると思います。学べて嬉しい、知って嬉しい、AIが自動化したとしても『私がそれをできること』が嬉しいと思う気持ち、生きがいや心の豊かさが、これまでよりも大切になると思います。
AIを教育で活用するとき、AIは言葉で教えてくれます。つまり、根幹には国語の重要性があるということ。AIが言ったことを理解できなければ、せっかくのAI先生の家庭教師も役に立ちません。聞いて、読んで理解するというコアの学力は、やはりこれからも大事だと思います」
石戸:「さきほど、作文をAIで書いてきた小学生の話がありましたが、超教育協会のAIのワーキングで、理化学研究所の橋田 浩一先生が、『人間はもう、長い文章を書く必要がなくなるのではないか』とおっしゃっていました。暦本先生も著書の中で『大事なことは1行で示せること』だとお話されていますが、これから必要な国語の力もまた、これまでとは変わってくるのではないかと思います。先生がお考えの人が学ぶべき国語、必要とされる能力とはどのようなものでしょうか」
暦本氏:「たしかに文章は、長ければよいというものではありません。確か、ソクラテスは文章を『書かない派』だったと記憶しています。我々は、ソクラテスの講義をプラトンが記録した文章から読めるのですが、ソクラテスからすると、知の本質とは相手に質問を投げて相手の考えが返事となって来るという、考えのやり取り、つまりは『対話』です。書き留めてしまうとそれはもう化石みたいなものだと言っています。
そう考えると、質問を投げると返って来るというAIのチャットは、ソクラテス型の学習を復権させているかもしれません。これまでは対話をそのまま自動的に記録することが技術的に難しかったため、何らかの方法で書き留めるしかなかったのかもしれません。今後は、ソクラテス的な学び方、つまり対話を重視した学び方が重視されることもあるかと思います。文章になっていること、書き留めてあることから学ぶことも、対話によって学ぶことも、どちらも大事だと思いますが、どちらにもAIを活用できるようになったことが大きなことだと思います」
石戸:「ソクラテス的な学習方法がAIの時代になってまたできる、さらにアップデートした形でできることには期待したいです。
学習や教育の方法が変化していく一方で、学校などの教育機関の在り方も変わってきます。学校の存在は、これからどうあるべきだと思われますか」
暦本氏:「仲間づくりやグループワークなどの視点での重要性がより高まってくるのではないでしょうか。単純に教室で先生が教科書を読んで頭の中にコピーする、黒板を書き写すといったことはそれほど重要ではなくなり、一方で、みんなで一緒に学んでいる感覚、人間のモチベーションにつながる感覚、その感覚をどうエンハンスするか、できるかが学校に求められる役割として重要になってくると思います。教室はいらないかもしれませんが、みんなで行動することの意味は、依然としてあると思います。遠足と修学旅行のことしか覚えていない、という人も多いようですし、いままでは授業のおまけのようだった遠足も、その価値を一旦、見直したほうがよいと思います」
石戸:「場合によってはメタバース上でみんなが集い、ともに活動をする場の構築もできるわけですよね」
暦本氏:「そうですね。もうひとつ別の視点でこれからの学校の役割についてお話しします。AIを活用することで、オンデマンドで学べるようになると、『その生徒が知りたいことしかAIが教えてくれない』という危険性もでてきます。修学旅行で無理やり京都に連れていかれたことが、その後、一生の良い思い出となることもありますよね。セレンディピティのように、いるかいらないかに関わらず体験させてしまう機会は大事で、その役割を学校が担うことも大切だと思います」
石戸:「好きな領域や好きなコミュニティでつながりすぎてしまう側面は、どうしても生まれると思います。人間のやりたい欲求に基づいて学んでいくことが大事だけれども、AIを使うと個別最適化しすぎて、偏ったやり方で学ぶ可能性が出てくるわけです。一方でセレンディピティのように、興味対象とはちょっとずれたレコメンドをしてくれると、より幼少期の学びは拡張しそうですね」
暦本氏:「本当によい家庭教師は、そういうことをやってくれます。ヘレンケラーのサリバン先生は、ヘレンケラーの手に突然、水をかけたことでコミュニケーションが開花しましたが、AI先生も『そんなこともあるけれど、こんなこともあるよ』と急に話題を振って本人が学びたいと思いつかないことでも、刺激としてもたらしてくれる可能性があると思います」
石戸:「ただし、それもAIのデータに基づいて計算されたものになるという、なんとなくモヤモヤと矛盾しているような感覚もあります。ただ、違う知識と違う知識の組み合わせによって、新しい発想が生まれてくるAIは、一人で考えているよりも違う知識をくれるブレスト相手としてすごく有能です」
暦本氏:「いわなれば『思考の壁打ち』です。どんな無茶ぶりをしても何かを答えてくれる、独り言の中にAIを入れるのも有効だと思います」
石戸:「学習内容に関して、複数質問がきています。長期的には変えていかなくてはいけないと思う一方で、一朝一夕には変わらないというのが教育現場でもあります。その中で、英語とプログラミングの教育に悩まれている方が多いようです。プログラミング教育は、私も必修化をずっと望んでいた一人です。しかし、いざ実現したと思ったら、ChatGPTに投げるとプログラミングして返してくれる時代がやってくる、英語についても多くの日本人がかなわないレベルのすごい翻訳が返ってきます。そんな時代のプログラミング教育や英語教育について、暦本先生の考えをお伺いできればと思います」
暦本氏:「英語教育について考えを話します。語学の読み書きに関しては、相当はAIがやってくれるようになりました。これまで論文を英語で書くのは専門家にとっても難しく、日本人にとって英語を読んだり書いたりすることはとても大変でした。AIを活用すればその負荷は軽減されるでしょう。一方で、英語の論文を読んだとしても、内容をディスカッションするのにはテキストではなく生身の会話が必要になります。その視点では、英語教育においてはAIで発音や会話がエンハンスされる、そういった方向に重点が変わっていくではないかと思っています」
石戸:「暦本先生は、人が話す口の動きをAIが認識して、話し言葉を自動翻訳する研究もされていますよね。翻訳のスピードがより上がってくると、日本語を話す口の動きを認識して英語で発話することも可能になるのではないかと思います。そうなると、また教育の重点が変わってくるかなと思いますが、それはだいぶ先でしょうか」
暦本氏:「録画のオンライン授業のようなものなら、すでにできます。ただし、生身の人間同士の会話では、まだ難しいです。先ほどのソクラテスの対話のように、会話のキャッチボールの速さは言語理解の速さにもなります。となると先ほどの母国語の能力が重要で、それがイコール英語の能力です。国語力がない人が翻訳ツールを使っても、良くない作文が英語になるだけです。母国語がしっかりできていないのに外国語を学ぶことは、あまり意味がないと言えるかもしれません。一体化して学ぶことが大事だと思います」
石戸:「極論を言うと、国語と数学、算数をしっかり学習し、あとは本人の興味関心に合わせて探求的な学習で構成される教育機関が理想ということになりますか」
暦本氏:「ある意味そうです。逆に言うと、国語、算数ができない人にプログラミングだけ教えても、あまり意味がないと思います。ChatGPTに『こんなことができるプログラムをこのプログラミング言語で書いて』と書いてもらったものをコピーして使うことはよいのです。自分が作りたいものを速く作れる。ですから、『自分が作りたいものが何か考えること』に重点が変化していき、正しい文法で細かくプログラムを書けるかどうかは、それほど重要でなくなるかもしれないです」
石戸:「初等中等教育をイメージしていろいろと質問させていただきましたが、大学はこれからどうなっていくかも気になるところです。初等中等教育以上に独学がやりやすい環境になっていき、さらには研究も、毎日どんどん新しい驚くものが出てきています。今後は大学や研究所の役割も変わってくるのではないでしょうか。学校が入試に縛られている部分がある中、入試が今後どうなるのかということも気になります。入試の先にある高等機関の在り方が変わってしまったら、入試そのものがなくなるのではないかとも思います。そのあたり、先生の考えをお聞かせください」
暦本氏:「例えば最先端の技術を学ぶことに大学が必要かどうかは、わからなくなってきています。授業の講義としてまとめるということは、1年以上遅れて教えることなので、最近のように毎週のように新しいものが出てくると『先生は古い話をしている』となります。普遍的なことを教えたり、考え方を教えたりすることはあると思いますが、技術にキャッチアップできるような教育は、AIから直接学ぶやり方に移行すると思います。
大卒、資格認定機関の役割も、AIが人の能力を直接『この人は○○大学卒業だけれど、実は数学の成績は悪い」などと判定できるようになり、皆がそれを信頼するようになると、大学の存在意義も疑われるようになるかもしれません」
石戸:「信頼性がある形で学習の習得履歴を証明できれば、それを証明する組織も必要なくなるということですね」
暦本氏:「大学的にポジティブな話をすると、立花 隆さんが『大学は留年するために行くところ』と言っていました。大学はある意味で無駄のためにあり、無駄という余地を社会がどのぐらい認めるかという視点も大切かと思います。ちなみに、スカラーscholarの語源は暇という意味のskhole(スコレー)で、暇な場所を人工的に作ることが社会にとって大事かどうかだと思います」
石戸:「余白があるからこそ、新しいイノベーションが生まれるので、余白に寛容であるぐらい余裕がある社会であることは、すごく大事ですよね。
先日のオンラインシンポジウムで、『AIの教育への活用での課題は』と質問したら、『どんどん学んでいけてしまうことがある意味で課題だ』と株式会社THE GUILD 代表取締役の深津 貴之さんがおっしゃっていました。つまりいくらでも学べてしまうことで技術の使い方に関する倫理観が後回しになってしまうのです。先ほど遠足の話がありましたが、知性だけでなく心の成熟のための教えも、学校という機関では両輪でやってきたところに対して、AIは知識だけどんどん進んでしまう環境ともいえます。そのあたりで先生が考えておられる対策はありますか。AIを使ってどんどん独学していく新しい学習環境で注意すべき点がありましたら、教えていただきたいと思います」
暦本氏:「今までだとみんな同じ学年で、知識レベルが違っても1年ずつ上がっていきますが、AIになると飛び級社会です。小学校なのにコンピュータサイエンスを学ぶ子が出てきたとき、周りがその多様性を認められるかが重要になると思います。隣の子が天才でも『僕は友達になれるよ』なら良いのですが、レベルが違うから話もしないとなると孤立してしまうのでよくないです。
AIでたくさん学ぶ小学生が出るのはOKです。学ぶスピードを抑える必要はないと思います。ただ、『この子はすごい、ちょっと違う』ときに、周りがちゃんと認める人間関係の教育が必要だと思います」
石戸:「AI家庭教師が一人1台できたらよいなと思っていますが、AIパートナーとの共生の仕方について、考えをお伺いできればと思います。子供のころからAIをパートナーと認識して生きていく力が大事になるのではないかと思いますが、そのときに身につけておくべき視点やスキルがありましたら、お教えいただけますでしょうか」
暦本氏:「今は壁打ちの相手で、いつも妥当な答えを言ってくれる、ときどき間違えるけれど、がAIですが、だんだん賢くなるとそれに依存してしまう人が出てきてしまうと思います。自分の能力で当然、できることもAIがやってくれると思うと心が緩んでできなくなることがあるでしょう。GPSの地図に頼りすぎて土地勘がなくなってしまうのと同じようなものです。任せてしまうと自分はやらなくてよいと脳が最適化されていきます。AIに全部を考えさせて楽をしすぎるのではなく、ときどきは自分で考えるべきと、大きなリテラシーとして学ぶべきだと思います」
石戸:「どうバランスを取っていくかを、自分でしっかり考えていくということかなと思います。今まで人間がやっていた領域をAIが始めたとき、人間はまた新しいところに頭を使い始める、だからこそ新しい能力を獲得していくという可能性もあるのではないかと思います」
暦本氏:「そのループができれば理想的です。感想文をAIに書かせるところも、AIが書いたが気に入らないところを、さらにAIとやり取りしながら修正すれば、それもある意味では感想文を作っていることになります。これまでは一つの感想文を原稿用紙に書いて先生に提出していたところ、『先生、10パターン作って一番、良いものはこれでした』というのもあると思います。AIを使って感想文を10倍書いて選ぶという、全く新しいやり方になっているかもしれません。そのように使いこなして、自分の上のレベルの知的活動ができれば、理想的だと思います」
石戸:「『創造性は人間だけのものだ』といわれてきましたが、一方で、妄想する力は過去の知識と知識の組み合わせによって生まれます。そう考えると、画像生成系などのAIがクリエイティビティの部分もかなりやってくれる今、人間だけができる創造性とは何なのでしょう」
暦本氏:「少なくとも複数の候補の中から選び取るのは人間だと思います。新製品のキャッチコピー100個を提示されたとして、その中から1つを選び出すのは人間です。また、AIが絵を描けるようになると『絵を描く人の職業を奪う』と思われがちですが、いろいろな人がAIを使って絵を描きだしたら、描けるようになったらどんな社会になるかとポジティブに考えると、そこから新たな創造性が生まれてくるのではと思います」
石戸:「人間の力に関連することで、視聴者からこんな質問がきています。『教師の資質のひとつに、生徒に『この人についていきたい、この人みたいになりたい』と思わせるカリスマ性があると思います。AIにカリスマ性を持たせることはできるのか、モチベートさせることにAIがどのぐらい寄与できるのでしょうか』というものです」
暦本氏:「先日、話したコンサルタントの方は『心が癒される』と言っていました。『人間なら反論もするのにAIは反論もせず延々と答えてくれて、すごく信頼しています』と。新しい人格に魅力を感じるのは悪くないと思います。それから、カリスマ先生も不完全なところがあり、だからこそ面白いと興味を持つことがあります。AIにはつい完全や完璧や効率を求めがちですが、そもそも我々が不完全なのですから、余白や不完全の価値についても、意図的に考えたほうが良いかもしれません」
石戸:「最後にひとつ、『AIはこれからどうなっていくのか』、AIの未来について考えをお聞かせください」
暦本氏:「私はコンピュータサイエンスの研究をずっとしていますが、明らかにこの1年が最高の『ゲームチェンジ』だと思っています。グラフィカルインターフェースが登場したとき、インターネットが始まったときの数十倍、数百倍の変化が生まれると思います。社会全体が変わるので産業革命に匹敵すると言う人もいます。新しい技術は必ず良い面も悪い面もありますので、最初からよい悪いは簡単に言わないほうがよいと思います。あとは、『こんな時代をみんなで楽しみましょう』ということをお伝えしたいです。ゲームチェンジの連続で、人類史上こんなジェットコースターに乗れる機会はありませんので、楽しむしかないと思っていればよいのではないでしょうか」
最後は石戸の「楽しむ心が全てかもしれないですね。それこそが学びのモチベーションにもなるのではないかと思います」との言葉でシンポジウムは幕を閉じた。