概要
超教育協会は2022年11月17日、法政大学 キャリアデザイン学部教授 坂本 旬氏を迎えて、「デジタル・シティズンシップ教育〜ICTをポジティブに活用する善きデジタル市民への学びとは」と題したオンラインシンポジウムを開催した。
シンポジウムの前半では、今や先進的な教育現場はもとより、総務省や内閣府が言及する機会も増えた「デジタル・シティズンシップ」とは何か。欧米で進むESD(持続可能な開発のための教育)に基づいたデジタル・シティズンシップ教育の内容と現状について、さらに立ち後れている日本の教育現場での具体的な活動展開について、坂本氏に伺った。後半は、超教育協会理事長の石戸 奈々子をファシリテーターに、参加者を交えての質疑応答が実施された。その前半の模様を紹介する。
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「デジタル・シティズンシップ教育〜ICTをポジティブに活用する善きデジタル市民への学びとは」
■日時:2022年11月17日(木)12時~12時55分
■講演:坂本 旬氏
法政大学 キャリアデザイン学部教授
■ファシリテーター:石戸 奈々子
超教育協会理事長
国も推進を始めたデジタル・シティズンシップ
【坂本氏】
総務省は2022年6月の報告書で「ICT活用のためのデジタルリテラシー向上推進会議」を設置するという案を出しました。そこには、欧米で普及しているデジタル・シティズンシップの考え方を踏まえ、全世代がICTを当たり前に活用して、積極的に社会参加しいくための体系的なスキルや考え方を身につけることが必要とあります。このように総務省ではデジタル・シティズンシップという言葉が普通に使われるようになりました。すでにデジタル・シティズンシップやメディア情報リテラシーの考え方が当たり前になっている海外の実情を見て、日本でも重要だとの認識に至ったためです。
内閣府が出した「Society 5.0の実現に向けた教育・人材育成に関する政策パッケージ」でも、デジタル・シティズンシップという言葉が出てきます。オンライン上では誹謗中傷などたくさんの問題がありますが、それらも踏まえて、内閣府も大きく舵を切ることにしました。今まで学校教育ではやってこなかった、ましてや全世代型の対応はしてこなかった、こうした危機感が背景にあります。また中央教育審議会でも、次期学習指導要領にデジタル・シティズンシップを入れるべきだとの提案があり、その方向に議論が進んでいくでしょう。
このように、デジタル・シティズンシップは、重要なキーワードとして知られるようになったばかりか、政策議論の対象ともなり、すでに一部の政策に反映されてもいます。
デジタル・シティズンシップの定義
では、デジタル・シティズンシップ教育とは何でしょうか。欧州評議会が2020年に制作した「デジタル・シティズンシップ教育トレーナーズパック」という研修用資料がありますが、それには「デジタル技術を利用して社会に積極的に関与し参加する能力」と定義されています。これまではシティズンシップとは、デモ行進や投票で社会や政治に参加する能力を指しましたが、デモ行進を計画したとして、今どきガリ版でビラを印刷して手で配るなんて人はいません。ソーシャルメディアを使うのが普通です。そう考えると、デジタル技術で社会に参加する能力というのは、すでに当たり前のものになっています。
欧州評議会は「対面式の討論、ボランティア活動、新聞への投稿、公職への立候補、行進やデモなど、デジタル以外の民主主義的なシティズンシップと共存し相互に影響し合うもの」であり、リアルとデジタルは切っても切れない関係にあると言っています。デジタル・シティズンシップは、デジタル世界だけの話だと思っている人がいますが、それは大きな間違いです。
学校教育でよく使用されるのは、アメリカのCommon Sense Education(コモンセンス・エデュケーション)財団のガイドです。そこではデジタル・シティズンシップは、「学習、創造、参加のためにテクノロジーを責任を持って使用すること」と定義しています。社会参加だけでなく、学習も目的に含まれています。これは幼稚園から高校3年生までの教育を対象とするもので、選挙権のない子どもでも、スマートフォンを手にしたときから市民社会に参加しているのだという前提に立っています。現在、小学生の半数がスマートフォンを持っています。スマートフォンで情報を発信すれば公共社会に参加したことになるという現実があるにも関わらず、そこをきちんと教えていない。それが問題だというのが基本となる考え方です。
欧州評議会とコモンセンス・エデュケーションの定義を総合すると、「デジタル技術を使用して学習、創造し、責任を持って市民社会へ参加する能力」となります。
▲ スライド1・デジタル・シティズンシップの10領域
欧州評議会のトレーナーズパックには、デジタル・シティズンシップの10の領域が示されています。これを3つに分類すると、ひとつめは「オンラインになること」となります。その中にはユネスコの概念である、批判的に思考し創造的に表現する「メディア情報リテラシー」があります。もうひとつ重要なのが「アクセス・アンド・インクルージョン」です。これはデジタル・インクルージョンのことです。すべての人がデジタルの恩恵を受けられるという前提がなければ、デジタル・シティズンシップは成立しません。
ブロードバンド接続が実用化されたころのアメリカでは、すべての人にインターネットの恩恵を与えようと、ネット接続が困難な人たちのための公共接続サービスを図書館が開始しました。図書館がデジタル・インクルージョンの最前線となったのです。これがデジタル・シティズンシップの基本の考え方であり、これが前提であることを理解しておくべきです。
次に、最近よく言われるようになった「オンラインのウェルビーイング」の考え方、そして「オンラインの権利」があります。そこには参加の権利、責任、プライバシーとセキュリティー、消費者意識が含まれます。
教室で端末を使うことが目的ではない
注意すべきは、デジタル・シティズンシップは「してはいけないこと」の集合ではないということです。かつてアメリカでも規制を重視した時期がありますが、効果がありませんでした。アメリカのDigCitCommit(ディグシットコミット)連合は、それに対して5つのコンピテンシー(能力)を提言しています。「他者への共感力」、「情報評価力」、「活動への参加」、「メディアバランス」、「オンラインの安全」です。
ここにメディアバランスという考え方が示されています。日本ではよくスマートフォン依存やゲーム依存など言いますが、デジタル・シティズンシップは「依存」という考え方をしません。むしろ、子どもたち各自の実情に合ったメディア活用のバランスを、自分で考えさせます。
日本の学校教育では、授業で端末を使うことが目的化されがちですが、そうではありません。社会参加のためのスキルを学ばせるのですから、学校の授業に限った話ではないのです。教室で端末を使うより以前に、すでにみんなスマートフォンを持っているのが現状です。具体的には、日常活動へのデジタルツールの導入方法を教え、そこから参加型市民活動へアプローチします。
学校で大切なのは、「教室内にデジタル学習コミュニティーを作ることから始め、少しずつ拡大する」ことです。そのため、授業でデジタルツールを使うというよりも、協力し合える、批判的に物事を考えられるコミュニティー作りを重視すべきです。
こうして、生徒が参加型デジタル市民になれるよう練習する場を作り、「ゆっくり始めてゆっくり育てる」と、アメリカのデジタル・シティズンシップ研究の第一人者クリステン・マットソンは本に書いています。
立ち止まって考える習慣、社会に対する責任を学ぶ
デジタル・シティズンシップの形成で重要なのは「スキル」と「資質」だと、コモンセンス・エデュケーションは言っています。スキルとは「なすべきことに対する能力と知識」です。強力なパスワードの作成やプライバシー設定のカスタマイズといったことです。資質とは、心構えのようなもので、行動や思考のもとになる「継続的」な特性です。たとえば、投稿や返信をする前に、起こり得る結果を一歩立ち止まって考える習慣などですが、これもスキルと同様に、練習しなければ身につきません。
2番目は「好奇心と共感を持って多様な視点を探る」ことです。そこには、道徳的、倫理的、市民的な責任が提示されています。残る資質は「事実を求め、証拠を評価する」、「選択影響を想像する」、「行動と責任」となります。
▲ スライド2・思考ルーチン
道徳的、倫理的、市民的責任の関係は、「責任のリング」で表されますが、その中には「思考ルーチン」というものが含まれています(スライド2:思考ルーチン)。真ん中の「SELF」とは「自分自身」ではなく、自分について考える、自分に対する責任という意味です。ここではデジタル習慣を振り返り、自分に関する課題とジレンマを考えます。
その外側が「COMMUNITY」です。ここでは、感情と選択、まわりの人との関係に関するジレンマを考えます。そこから一歩進むと、広い世界と市民生活(WORLD)につながることになります。世界に対する責任です。
言い換えると、中心のSELFは「道徳」、COMMUNITYは「倫理」、WORLDはまさにシティズンシップ「市民性」となります。ちなみに倫理とは、個人的な道徳とは異なる、集団や組織の規範のことを言います。道徳は学問ではありませんが、倫理は学問として成立しています。
小学3年生ですでに「世界への責任」について議論、反いじめ教育も
コモンセンス・エデュケーションの教材は、アメリカの公立学校の7割(約7万校)が使っています。デジタル・シティズンシップを6つの領域に分けて、幼稚園から高校3年生までの間に、螺旋階段をのぼるようにしてスキルを身につけさせます。デジタル市民としてのスキルと資質を育てること、思考のルーチンを発達段階に合わせて繰り返し身につけさせること、答えの出ない「ジレンマ」を考えさせること、「重大な問い」について議論させることを重視しています。
危険な事例は見せません。怖がらせる方法に効果がないことがわかっているからです。ルールを作ったり、守らせるという発想もありません。大切なのは、自分で考え、計画を立て実行するスキルです。
教材では、デジタル・シティズンシップの概念を教えることが大変に重視されていて、小学校3年生ですでに「自分、まわりの人々、世界に対してデジタル市民はどのように責任を果たすのか」といった「重大な問い」について議論します。
日本では「ネットいじめ」に関する教材はほとんどないですが、アメリカでは重要な問題として教材に取り入れられています。そこには「アップスタンダー」という考え方が登場します。傍観者(バイスタンダー)にならずに、誰かをサポートしたり、立ち上がったりできる人になりましょうという教育です。これは日本の学校でやっても、子どもたちは「かっこいい!」と共感してくれます。Twitterで「Upstander」を検索するとたくさんヒットしますが、「今週のアップスタンダー」や「反いじめアンバサダー」などとアメリカの小学校で生徒たちが表彰されている様子がよく見られます。こうして、いじめが起こらない学校風土を作っているのです。その成果として、2019年の調査では、ネットでいじめを受けた友人を助けた子どもが6割、知らない人のために立ち上がった子どもが5割以上となっています。
▲ スライド3・ビデオを見て議論しよう
高校3年生になると、本格的なシティズンシップ教育となり、ソーシャルメディアを使った市民活動を学ぶようになります。高校の銃乱射事件を受けて高校生たちが銃規制に立ち上がったことがありましたが、そのひとりキャメロン・カスキーくんは、最初は銃規制に反対する人たちをやっつけることしか考えていなかったけれど、彼らと実際に対話することで歩み寄れることを実感し、意見が異なる人との話し合いが重要だとの教訓を得たと話しています。このように、オンライン上のさまざまな問題を取り上げ、どうすれば自分が社会の課題に関われるかということをアメリカの高校生は学んでいます。
「持続可能な社会の創り手」につながらない日本の教育の現状
現在の日本の小学校の学習指導要領の目標が、その前文に書かれています。
「一人一人の児童が、自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが求められている」というものです。
学習指導要領に前文が付くのは、今回が初めてです。この問題を重視している証です。「持続可能な社会の創り手」という部分は、まさにESD(持続可能な開発のための教育)の基本理念です。
文部科学省の「情報モラル」教育においては、「情報社会で適正な活動を行うための基になる考え方と態度」を学ぶとされています。ところが実際には、子どもたちを講堂に集め、外から呼んできた講師に1時間ほど話させて済ませています。短期間で効果を出すためにリスクを示して怖がらせておしまい、というやり方が非常に多く見られます。
こうした怖がらせる教育法には効果がないことがわかっているにも関わらず、それで終わらせているのが現状です。系統的に「スキル」と「資質」を育成するという視点が弱く、ルールを作ることをゴールにする教育も見られます。それではスキルの育成には結びつきません。状況は人によって違うので、みんなが同じルールに従うことでよいのか、という問題もあります。
そこには、デジタル・インクルージョンとデジタル・アイデンティティーの形成、メディア情報リテラシー、アップスタンダー教育といったデジタル・シティズンシップ教育の重要な部分が欠如しています。「情報社会へ参加する態度」の視点も欠けているため、ESDにはつながりません。
ぜひ考えて欲しいのは、デジタル・シティズンシップとESDには深い関係があるということです。デジタル・シティズンシップでは、責任のリングに加えて、「情報の信頼性を見極める方法を学び探究学習に活かす」ことが重視されます。ところが現在の日本の探究学習においては、ネット上の情報の評価方法すら教えないまま行われています。何も考えずにオンラインで集めてきた情報を、そのまま探究学習に使ってしまっています。
コモンセンス・エデュケーションの「ポジティブなコミュニケーション方法を学び、地域や世界に向けて発信、交流する」、「世界の課題と地域の課題をつなぎ、行動する」という考え方は、まさにESDの目標でもあります。このように、デジタル・シティズンシップとESDは深くつながっているのです。
情報モラルからESDへつなげるには
大切なのは、「情報モラル」の考え方をESDにつなげていくことです。情報モラルは自分自身への責任です。個人の道徳の範囲で、ここで止まってしまうと世界につながれません。コミュニティーへの責任(倫理)と世界への責任(市民性)につなげる必要があります。
自分自身への責任の部分に含まれるのは「スキル」と「資質」、思考のルーチン、責任のリングなので、道徳教育で対応できます。次に「メディアバランス」、「デジタル足跡とアイデンティティー」、「プライバシーとセキュリティー」、「人間関係とコミュニティー」、「ネットいじめとアップスタンダー」、「ニュースメディアリテラシー」といったデジタル・シティズンシップ教育を年に6回行い、その延長線上で探究学習を行い、世界につながる教育にしていくのです。
▲ スライド4・デジタル・シティズンシップのラッパ
ESDの考え方をそのまま使えばよいのです。学校ごとにSDGsと教育目標を関連させて明確にする。たとえばユネスコスクールでは、地域ごとに課題を設定して、それをもとにESD教育を行っています。
そして、総合的学習の時間を軸に探究学習のプロセスを検討する。カリキュラムマネージメントは、ESGカレンダーを作ることです。最終的に、アウトプット(たとえば発表会)と評価の方法を決めます。地域に開かれた発表会ができれば、それが一番良い。評価にはeポートフォリオを使います。
ユネスコは最近、『グローバルデジタル時代のシティズンシップ教育の勧告』という文書を発表し、こう訴えています(※1)。
デジタル時代は、様々な学習の機会をもたらすと同時に、誤情報、偽情報、悪情報、プライバシーに関する懸念、ヘイトスピーチの流通を助長する重大なリスクをもたらしており、これらはすべて、民主主義制度や国際理解、平和、協力、人権、基本的自由の中核的価値を損なうものである。このビジョンでは、グローバル・シティズンシップ教育、メディア情報リテラシー、デジタルリテラシーの要素を統合したデジタル・シティズンシップ教育への投資の重要性を明確にし、学習者がヘイトスピーチや誤情報、偽情報、悪情報を解読・分解し、それを共有しない、または作成しないための共感性を含む倫理的基盤を構築できるよう、その能力を高めるべきである。
今、推進しているESDにデジタル・シティズンシップの要素をしっかり入れなさいということです。ここがポイントだと私は思っています。
※1 『グローバルデジタル時代のシティズンシップ教育の勧告』の翻訳
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